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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (悪戸村における製陶)

悪戸村における製陶 悪戸焼は文化年間(一八〇四~一八一七)初期から現代にかけて悪戸村(現市内悪戸・下湯口,)でつくられた陶磁器を総称した言い方であるが、「国日記」には悪戸村で焼成した雑焼(ざつやき)(高級でない,なお、瀬戸焼は釉(ゆう)がけをしたものか無釉のものかは不明であるが、文化年間初期に悪戸村で製陶が行われていたことは,以上の記録から、悪戸村での製陶は文化年間初期から始まり、文政年代(一八一八~一八二九)末には国産方により,なお「封内事実秘苑」天保十一年十二月十八日条に、悪戸村瀬戸座で肥前(現佐賀県)の瀬戸師宇吉(うきち)( / 悪戸村における製陶
通史編3(近世2) (瀬戸師林兵衛による製陶)

悪戸村(現市内悪戸)の「御用留帳」(個人蔵)の天保十五年三月十八日条(図145)では、瀬戸座の林兵衛が,「国日記」弘化四年(一八四七)四月十七日条には、郡所仕込みの悪戸村林兵衛瀬戸座に見物人が多数入り込み、,図145.悪戸村の「御用留帳」  安政六年(一八五九)の「山方御用留」(弘図津)によると、悪戸村瀬戸師鉄三郎,すでに触れたが、悪戸村での製陶は製瓦を含めて文化年代初期から始められており、文政年間の半ば過ぎには窯業,図146.石岡林兵衛の津軽陶器卸・小売販売所 目録を見る 精細画像で見る  悪戸村での生産は窯場
通史編3(近世2) (下川原における製陶)

当時、下川原では白焼(磁器)、悪戸村では雑焼(日用陶器)が主に焼かれていたが、「国日記」嘉永元年(一八四八,江戸から乱引(らんびき)(蘭引〈ランビキ、ポルトガル語に由来している〉酒類・薬種等を蒸留する器具)を悪戸村
通史編3(近世2) (焼成について)

燃料には岩木川の流木が多く使用されていたほか、悪戸村(現市内悪戸)の松山や湯口(ゆぐち)(現中津軽郡相馬村
通史編2(近世1) (本村と新田)

第八巻』一九七八年 青森県文化財保護協会刊)には、越後転封に際して供を申し出た八十三騎の中に、「百石 悪戸村喜右衛門,石   高 (石・斗・升) 1 津軽野村 877.71 1 土堂村 478.12 2 下湯口村(悪戸村
通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

 鷹匠町 馬屋町 新町 西大工町 平岡町 駒越町 二小区(一八ヵ村) 黒滝村 湯口村 下湯口村 悪戸村
通史編4(近・現代1) (町村合併と弘前市制施行)

清水村(大字富田)-富田村 紙漉町 坂本村 常盤坂村 悪戸村 下湯口村 小沢村 和徳村(大字堅田)-
通史編3(近世2) ((三)陶磁器)

以下、平清水三右衛門による作陶および悪戸村と下川原における製陶を中心に述べ、移入については記述の中で随時触
通史編3(近世2) (民衆の精神世界)

この瞽女が事寄せたとする「産神」が悪戸村のいわゆる産土(うぶすな)神(守護・鎮守神)なのか、文字どおり
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