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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(慈雲院)
慈雲院
慈雲院
(じうんいん)は、享保十年(一七二五)に藩から報恩寺東隣に二七六〇坪の寄進を受けて創建,このような経緯から、
慈雲院
は大道寺を開基としている。,すでに、幕府・藩は新寺建立を禁止していたので、長勝寺構の中にあって廃寺となっていた
慈雲院
の名跡を復興することにして,大正四年(一九一五)から旧制弘前中学校校地の拡張が、
慈雲院
の境内全部と報恩寺の一部に及んだため、
慈雲院
,図220.絵図に描かれた
慈雲院
/
慈雲院
通史編3(近世2)
(慈雲院)
慈雲院
慈雲院
(じうんいん)は、浅瀬石村(現黒石市)に長勝寺一二世蛇鷹を開山に創建された。,後に建立される黄檗宗
慈雲院
(現廃寺、市内新寺町)は、この古跡の復興として認められた。 /
慈雲院
通史編3(近世2)
((二)富籤興行)
慈雲院
が文化九年(一八一二)に行った富籤が領内で最初であった。,文政三年(一八二〇)四月、
慈雲院
は、富籤の発行を二ヵ年のうちに三回行うことを再度願い出た。,ところが、七俵の納入しかなかったことからもめ事になり、藩庁が両者を呼び出して
慈雲院
へ代金を返却させた。,
慈雲院
は、この金を耕春院の普請料と同じように御用達商人へ預け、その利息で寺務に充てたいとした。,耕春院は、文政元年(一八一八)に焼失しており、同四年に富籤発行が認められ、
慈雲院
・耕春院が富籤の益金を
通史編3(近世2)
(黄檗宗)
慈雲院
を、享保十年(一七二五)、新寺町報恩寺の東側に創建する時は、新寺建立禁止に触れるため、長勝寺山内
通史編4(近・現代1)
(私設青年団の結成)
弘前実業青年団で、新寺町
慈雲院
を会場に発会式を挙げた。
通史編4(近・現代1)
(青森県立弘前中学校の変遷)
この際、青森か黒石に設置してはどうかという移転話も再燃したが、十一月の臨時県会で弘前市新寺町の
慈雲院
の,
慈雲院
は行楽の地としても親しまれ、風光明媚なところであった。
通史編3(近世2)
(憩いの地としての南溜池)
また津軽地方における富籤(とみくじ)興行が、文化九年(一八一二)新寺町の
慈雲院
(じうんいん)など同町に
通史編4(近・現代1)
(大正期の弘中)
大正四年には、校舎の大改築と校地の拡張を行い、
慈雲院
と西隣の報恩寺の一部が加えられることになった。
通史編3(近世2)
(宝暦期の城下)
片山町・川端町・森町・新楮町(現御幸町付近)、富田町と桝形(ますがた)、宇和野下屋敷などや、春日祠・
慈雲院
通史編4(近・現代1)
(明治二十年度予算審議)
このときの案件は「弘前全市街拝借地処分議案-弘前新寺町報恩寺境外寺庵六ヶ処
慈雲院
界外共」だった。
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