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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(青森県における衆議院議員選挙)
工藤行幹、菊池九郎)、第五回進歩党(旧革新党)四人(徳差藤兵衛、奈須川光宝、工藤行幹、菊池九郎)、第六回
憲政本党
,この間選出された議員は、第七回
憲政本党
四人、政友会二人(〔政友〕寺井純司・田中藤次郎、〔憲本〕工藤行幹,・加藤宇兵衛・徳差藤兵衛・菊池九郎)、第八回(明治三十五年十二月)
憲政本党
三人、政友会三人(〔政友〕寺井純司,・田中藤次郎・淡谷清蔵、〔憲政〕加藤宇兵衛・工藤行幹・菊池九郎)、第九回(三十七年三月)
憲政本党
三人、,〕寺井純司・田中藤次郎、〔憲本〕工藤行幹・関春茂・菊池九郎、補欠市田兵七)、第一〇回(四十一年五月)
憲政本党
四人
通史編4(近・現代1)
(弘城政社の衰退)
弘城政社の衰退 明治三十七年四月二十一日、
憲政本党
代議士工藤行幹が急逝した。,かくて、二十年間県の政界を支配してきた弘城政社の牙城は揺らぎ、内部の石郷岡文吉と小山勝次郎の対立、そして
憲政本党
,しかし、四十三年三月十三日、
憲政本党
を主体に結党した国民党の議員は九二人、これに対して政友会は、明治三十七年一三九人
通史編4(近・現代1)
(地租増徴問題と青森県)
)は党内分裂から予算案も提出できず、四ヵ月で内紛・分裂で総辞職、次期内閣の第二次山県内閣は、憲政党と
憲政本党
,このとき、弘前出身で自由民権運動以来の政党指導者菊池九郎は
憲政本党
で、山県内閣と憲政党の星亨を批判して
通史編4(近・現代1)
(中弘政社の誕生)
同社はのちに弘城政社を名乗って本県の進歩党・
憲政本党
の中核となり、県政や郡政・市政を指揮した。
通史編4(近・現代1)
(中津軽郡会)
工藤長左衛門(憲政) 清水村 今八太郎(中立) 南津軽郡石川村 工藤敬爾(憲本) (注・「憲本」は
憲政本党
通史編4(近・現代1)
(郡制の施行)
沢田藤太郎 大浦村 前田俊蔵 駒越村 小杉左吉 東目屋村 竹内藤太郎 西目屋村 斎藤弘民(以上一〇人
憲政本党
通史編4(近・現代1)
(普選運動の胎動)
戦後、院内でも、戦争を担った国民に選挙権を拡張せよとの声が上がり、政友会、
憲政本党
とも三十九年の第二二議会
通史編4(近・現代1)
(地方の政争激化)
また、憲政党分裂に当たり、寺井純司は憲政党に残り、高杉金作は
憲政本党
に走ったため、中津軽郡の地盤は割れた
通史編4(近・現代1)
(菊池武徳と中央政治)
翌三十七年の選挙で、菊池が、縁もゆかりもない青森市からの立候補で
憲政本党
の元代議士徳差(とくさし)藤兵衛
通史編4(近・現代1)
(新聞の発行)
次いで、三十二年十二月一日、
憲政本党
の機関紙『北辰日報』(明治四十四年改題『弘前毎日新聞』、~大正八年
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