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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(土器の煮炊から鉄鍋へ)
それは鉄器を模倣したと推定されるもので、把
手付
(とってつき)土器(図34-2)・内耳(ないじ)土器(図,図34 内耳鉄鍋と内耳土器・把
手付
土器 1 柳之御所堀跡出土内耳鉄鍋(岩手県平泉町) 2 蓬田大館遺跡出土内耳土器,(蓬田村) 3 源常平遺跡出土把
手付
土器(浪岡町) 把
手付
土器は、一種のフライパンないしは現在
資料編1(考古編)
(-古代後期Ⅳ期(10世紀末~11世紀末)-)
煮沸具としての土師器甕がほとんどで、ほかに少量の坏と把
手付
土器・羽釜・内耳土器がある。,37 10・11世紀の土師器高台付坏・皿・柱状高台付坏 図48 10・11世紀の土師器(把
手付
土器,把
手付
土器の調整も同様である。坏は硬質で、底部から直線的に立ち上がり、口縁部が薄くなるものが多い。
通史編1(古代・中世)
(地方色を顕す古代の津軽地方)
また、日常容器をみてもわかるように、土師器坏が極端に減少し、把
手付
土器や蒸籠形甑(せいろうがたこしき),集落が営まれた一一世紀後半代を盛期とする浪岡町高屋敷館遺跡の環壕からは土師器砂底坏・甕(かめ)・壺・把
手付
土器
通史編2(近世1)
(大庄屋制の成立)
そしてこれに伴い、庄屋と五人組が廃止され、大庄屋の下に手代(てだい)、その下に
手付
(てつき)が置かれ、,従来の郡奉行―代官―庄屋―五人組体制から、郷士身分の大庄屋の設定によって、郡奉行―代官―大庄屋―手代―
手付
体制,手代と
手付
は村ごとに置かれ、大庄屋の目にかなった者が、大庄屋の申し立てによって配置された。
資料編1(考古編)
(〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)
〃 中別所 防御性集落 〃 10C後~11C 5 小友遺跡 〃 小友字宇田野 〃 〃 把
手付
土器他,〃 11C代 土師籾痕 9 八幡崎遺跡(1) 尾上町八幡崎字宮本 遺構外 〃 把
手付
土器 11C,一本杉遺跡 秋田県鹿角市花輪 集落 〃 土師器 10C 46 上野遺跡 〃 大館市 住居跡 〃 把
手付
土器
資料編1(考古編)
(-古代後期Ⅲ期(10世紀中葉~10世紀後葉)-)
さらに把
手付
土器も徐々に散見するようになり、内面黒色処理壺(甕)も出現する。
通史編3(近世2)
(南溜池の成立)
池の底は西側から東側に傾斜した形をとり、東側の堤土
手付
近が最も深かったようである。
通史編3(近世2)
(松森町紙漉)
この紙漉の
手付
きなどをしていた人たちが、後に松森町の紙漉と呼ばれるようになった。
資料編1(考古編)
(-津軽五所川原古窯跡群で生産された須恵器の編年と年代観-)
終末期では、古館遺跡・砂沢平遺跡・蓬田大館遺跡等の防御性集落に特徴的に現れる把
手付
土器などに共伴するが
資料編1(考古編)
((3)10世紀後半~11世紀)
それは、木器(漆器)生産の発達による土師器坏の極端な減少、把
手付
土器や内面黒色処理壺、あるいは蒸籠形甑
通史編3(近世2)
(藩営紙漉座と蘭医星弘道)
御用人本多東作(ほんだとうさく)・佐野茂助、勘定奉行寺田慶次郎(てらだけいじろう)ら一七人と
手付
き七人
資料編1(考古編)
(7.小友遺跡)
各遺構及び遺構外から出土した平安時代の土器には、土師器では坏・甕・把
手付
土器・小型土器、須恵器では坏・
通史編2(近世1)
(飢饉への対策)
~八合(一〇〇文につき一升二~三合)と、倍以上の値段で売れたので、隠売買をする者も多く、配下の手代・
手付
資料編1(考古編)
(5.荼毘館遺跡)
土師器は坏、甕、壺、把
手付
土器、小型皿、柱状高台坏がある。
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
人扶持(4人) 6人 牢守 2両2人扶持 2人 瀬戸物焼 30俵 1人 御豆腐屋 20俵 1人 町年寄
手付
并小遣
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
10世紀の土師器堝(1) 図47 9・10世紀の土師器堝(2) 図48 10・11世紀の土師器(把
手付
土器
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