機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 22件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編2(近世1)
(大庄屋制の成立)
そしてこれに伴い、庄屋と五人組が廃止され、大庄屋の下に
手代
(てだい)、その下に手付(てつき)が置かれ、,従来の郡奉行―代官―庄屋―五人組体制から、郷士身分の大庄屋の設定によって、郡奉行―代官―大庄屋―
手代
―,
手代
と手付は村ごとに置かれ、大庄屋の目にかなった者が、大庄屋の申し立てによって配置された。,の運送加談(運送方手伝)への任命のほか、同六年十月には運送方を蔵奉行に任命したり、同十一月には村々の
手代
通史編3(近世2)
(礼服)
その後、「国日記」寛政二年二月十一日条に記されている倹約令第二・三条には、郷士・
手代
・目見(めみえ)の,前掲の「国日記」寛政二年(一七九〇)二月十一日条の第四・八条によれば、郷士・
手代
・身上柄の者には許可しているが
通史編3(近世2)
(仕事着)
第九条―郷士(ごうし)(郷村在住武士の総称)・
手代
(てだい)(地方(じかた)役人)身上柄(しんじょうがら,第一一条―郷士・
手代
・重立(おもだち)の者(村の指導者層)は、踏込(ふんごみ)(本章第一節三(一)参照
通史編2(近世1)
(地方支配機構の確立)
代官所の機構は、無縁
手代
(むえんてだい)一八人・同小遣(こづかい)二四人・同三口一五人、別に御百姓
手代
二九人
通史編3(近世2)
(斎藤規房)
同八年八月吉川家を辞して帰藩し、翌十一年十一月学問所の和学方御用掛に任じられ、同十二年十月高岡神社の祭司
手代
資料編1(考古編)
(1.青荷凝灰岩Ⅷ)(あおにぎょうかいがん))
カルデラ外青荷凝灰岩は、南津軽郡平賀町遠手沢沿いを模式地とし、駒ノ台周辺、唐牛(かろうじ)東方、
手代
森周辺
通史編5(近・現代2)
(卸売業の動向)
これは本市の卸売業が比較的規模が小さく、商圏が津軽圏内を主にしていることや、大規模卸売業者大
手代
理店をもつ,青森市の卸売業は大規模卸売業者や大
手代
理店をもち、弘前・津軽圏域をはじめ、八戸地区、むつ地区への販路を
通史編2(近世1)
(消極的な藩の救済策)
」天保九年十一月二十九日条)、十二月中旬になっても半分しか上納できなかった者は、郡所(こおりしょ)の
手代
通史編2(近世1)
(続発する強訴の動き)
百姓ら数百人が兼平(かねひら)山(現弘前市)に集合し、弘前城下に強訴(ごうそ)に及ぼうとしたが、同組の
手代
通史編2(近世1)
(土着策施行期の廃田開発)
この状況に対し、藩は寛政八年十一月、仮子頭による統制をやめ、
手代
・庄屋による仮子統制に切り替えている。
通史編3(近世2)
(青森商社の設立)
新築の本局には藩からの役人が一人、青森の米金仲買一二人のうち二人が五日交替で詰め、通い番頭一人・
手代
二人
通史編2(近世1)
(賃銭・物価の統制)
なお、仮子については前述したようにその統制を仮子頭から
手代
・庄屋に切り替え、相対で仮子を抱えたり、出奔
通史編2(近世1)
(西廻海運による大坂廻米)
また、上方での交渉が思うように進展しない場合、金主や
手代
が江戸や国元へ出向き、直接交渉に及ぶこともあり
通史編3(近世2)
(紺屋町末紙漉所)
「先年新井・今泉と申す者召し置かれ、金二〇両七人扶持ずつ下し置かれ、
手代
六人…一ヶ年御扶持切米ばかりも
通史編2(近世1)
(開発の実行者たち)
藩はさらに各村の庄屋・代官所の
手代
クラスの有力農民を「開発方下取扱」に任命、周辺の開発に関する指導者役
通史編3(近世2)
(日常着)
④召使および
手代
(てだい)の者の場合――冬は上張(うわはり)(上にはおり着る着物)や浴衣(ゆかた)を着用
通史編2(近世1)
(飢饉への対策)
につき七~八合(一〇〇文につき一升二~三合)と、倍以上の値段で売れたので、隠売買をする者も多く、配下の
手代
通史編2(近世1)
(文久の面改め)
調査に当たっては、在方は代官所
手代
や庄屋など村役人、町は町役人、寺社は門前(もんぜん)庄屋が取りまとめることになっていた
通史編4(近・現代1)
(青森県の農民運動)
石岡彦一は昭和二十七年、四十七歳で没したが、小学校卒業後弘前市のは宮川呉服店の丁稚(でっち)、
手代
通史編3(近世2)
(出発)
富田町足軽町の枡形よりここまで、道の両側に並木松が植えられており、村の庄屋・
手代
が一行を迎えた。
通史編4(近・現代1)
(断髪)
『広船日記』に、「明治六年四月頃、弘前町々の店、
手代
の子供年令二十才以下不残断髪いたし候。
通史編2(近世1)
(文化~文政期の藩財政)
25.70% ⑨ 両浜払米,一番相場払米等 41,220 16.22 ⑩ 代官
手代
/ 1ページ