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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(青森以外の町の騒動)
青森以外の町の騒動 天明三年七月以降、青森騒動に触発される形で領内各地で
打ちこわし
が発生した。,この騒動は廻米の一時停止などの処置が講じられたため、
打ちこわし
までには至らなかった。,五所川原の
打ちこわし
もむろん事実ではない。,同じ西浜の深浦では天明三年七月三十日に蔵米を津出しようとした問屋、三国屋助左衛門・秋田屋惣左衛門が
打ちこわし
を,なお、領内「四浦」の一つである十三では
打ちこわし
は発生しなかったものの、青森騒動に先立つ七月十五日に、
資料編3(近世編2)
(第一節 後期藩政の展開と社会状況)
知行借り上げと蔵入り (三)給銭高騰と奉公人不足 (四)諸商売の制限 三 民衆の一揆・
打ちこわし
, (一)天明の
打ちこわし
(二)民次郎一揆 (三)近隣諸組の強訴
通史編2(近世1)
(青森騒動の経過)
主人が不在の家には女でも子どもでも集会に参加するよう呼びかけたり、また不参加の町人には
打ちこわし
の威嚇,弘前に強訴に行った場合、ほかにも米隠匿の行動が横行すると騒動勢は判断し、見せしめのため、
打ちこわし
を実行,米穀を蓄えていた商人のほかにも、町名主や両替商としての不正・不評を理由に、懲罰的に
打ちこわし
を受けた者,表33 天明青森騒動
打ちこわし
被害者一覧 居町名 名 前 所持米・雑穀俵数 備 考 大町 辻甚左衛門,また、盗人が出ることを懸念して
打ちこわし
も夜でなく昼に行うなどの配慮をしている。
通史編2(近世1)
(騒動の意義)
頭取層以外は主として中層の町民および借家層で、騒動をあおった者、
打ちこわし
をした実行犯などに分類されている,天明期には初めて
打ちこわし
の運動が全国的に展開したが、当騒動は惣町訴願と
打ちこわし
を中心に、廻米停止・
通史編2(近世1)
(騒動のその後)
この年の暮れにかけて、ヤマセによる凶作が特に太平洋側で著しかったのを反映して、
打ちこわし
は陸奥国の諸藩,特に仙台や白河では大規模な
打ちこわし
が起こっている。,江戸や上方で大規模な
打ちこわし
が行われるのは、天明六年から七年にかけてである。,この年は不作であったが、奥羽諸藩は飢饉には至らず、
打ちこわし
もほとんど起こっていない。
通史編2(近世1)
(天保飢饉と一揆・騒動)
一方、他藩で起こったような百姓一揆・
打ちこわし
は津軽領では大規模なものはなかった。,北奥諸藩が飢饉により一斉に米の津留や大量の購入を行ったせいで、大消費地である江戸やその近辺の米不足を招き、
打ちこわし
を,でも、江戸での米価高騰に影響された商人による米の買い占めが行われ、困窮した地元の貧民層により、さらなる
打ちこわし
を
通史編2(近世1)
(天明三年に頻発した騒動)
一七八三)七月、津軽領では、藩最大の湊町であった青森をはじめとして弘前・鰺ヶ沢などの城下町や湊町で、
打ちこわし
や
通史編2(近世1)
(近世最後の大飢饉)
三〇年ほど前の出来事であったが、天保八年(一八三七)に起こった大塩平八郎の乱をはじめ、全国的に一揆・
打ちこわし
を
通史編3(近世2)
(「世直し」の意味)
もちろん弘前や津軽地方で、江戸や上方同様に庶民の爆発的乱舞や
打ちこわし
、御札の降臨(こうりん)といった
通史編2(近世1)
(騒動の背景)
さらに凶作の影響による商業不振と、七月十日の青森大火は、一層状況を悪化させ、
打ちこわし
を誘発する引き金,この差の原因を一部商人の買い占めとみた町方の不満が爆発し、ついに飢渇に及ぶとして、
打ちこわし
が起こったのである
通史編2(近世1)
(民次郎一揆)
荒々しい行動をとることなく引き揚げたが、途中、御蔵町(おくらまち)(現弘前市浜の町)の相模屋久兵衛宅を
打ちこわし
ている
資料編3(近世編2)
(はじめに)
具体的には、幕藩体制後期の政治情勢に対する、民衆のさまざまな対応や、一揆・
打ちこわし
をはじめとする抵抗
資料編3(近世編2)
(【解説】)
第一節では津軽弘前藩の寛政改革を招来し、藩体制解体への起点となるような社会状況の変質と民衆運動(一揆・
打ちこわし
,第三項では、天明三年(一七八三)の
打ちこわし
と文化十年(一八一三)の民次郎一揆を主に扱った。,一揆・
打ちこわし
の要因は一つではなく、当該期の社会状況を背景としている。,天明三年の
打ちこわし
の根底には、第一項で示した宝暦期以降の農村状況が大きく影響していた。,当該期の一揆・
打ちこわし
の大規模化・広域化、要因の多様化、そして組織的行動様式という共通項をくくりだすことができよう
資料編3(近世編2)
(新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)
諸商売の制限 ………………………………………………………………………… 五六 三 民衆の一揆・
打ちこわし
, ……………………………………………………………… 五九 (一)天明の
打ちこわし
………………
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