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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(家中払米の展開)
家中
払米
の展開 江戸時代前期における弘前藩と夷島(えぞがしま)とのかかわりあいで最大のものは、寛文九年,このように、青森から松前へは、藩の重臣から小知行士まで階層を問わず、藩士の米が家中
払米
として積み出されたのである,鰺ヶ沢からは上方への家中
払米
(かちゅうはらいまい)の積み出しが多いのであるが、寛文三年には鰺ヶ沢からも,このように、青森をはじめとして鰺ヶ沢・小泊・十三湊など領内の各湊から松前へ藩士の米が家中
払米
として積み / 家中
払米
の展開
資料編2(近世編1)
(第一節 領内支配と支配機構の整備)
整備 一 領内支配に関する法令 二 役職の整備 三 軍役の整備 四 家臣団の形成 五 家中
払米
通史編2(近世1)
(宝暦~天明期の弘前藩の財政状況)
比率(%) 上方への移出米 65,000 30.92 江戸への移出米 24,500 11.65 要用
払米
,28,747 13.67 三ヶ所一番値段
払米
1,200 0.57 先納金拠出商人の(木谷藤右衛門 ,・扶持米(閏月分含む)等 60,101 28.59 諸役人賄米 4,000 1.90 銅山木山杣飯米
払米
,そのうち領内での米の地払いの収入と考えられる「要用
払米
代」が一三〇一貫余で六五・八六パーセント、ほかに,表35 安永6年収入の部(金銀方) 費 目 金高 銀 高 銀換算 合 計 比率 要用
払米
代
通史編2(近世1)
(青森以外の町の騒動)
町人への
払米
五〇〇俵の支給、一匁につき一升五合での飯米の販売も実施された。
通史編2(近世1)
(西廻海運と領内の整備)
西廻海運と藩経済の結節点としての位置を得ることになり、鰺ヶ沢町人が上方廻米船の上乗人に登用されたり、
払米
市場
通史編2(近世1)
(文化~文政期の藩財政)
また、金方の収入は四万一三一二両で、その内訳は自他領への米の売却(「
払米
」)が二万七七八八両で約六七パーセント,安永六年(一七七七)と比べると約九〇〇〇両の増額であるが、これは
払米
の売却代金が豊作によって増加したためであって,費 目 米 高 比率 備 考 ⑧ 家中知行切米扶持米 65,300石 25.70% ⑨ 両浜
払米
,,一番相場
払米
等 41,220 16.22 ⑩ 代官手代・浦々町同心等賄米・扶持米
通史編2(近世1)
(津軽領内のアイヌ民族)
その搬出すべき米は青森御蔵にあった津軽弘前藩の蔵米が充てられており、勘定奉行が藩側の
払米
責任者となり管理,米購買の構造は、彼らの飯米要求を代官(居住地の関係から後潟組代官)が郡奉行に取り次ぎ、青森御蔵からの
払米
通史編2(近世1)
(騒動のその後)
青森・弘前はそれでも藩からの多少の
払米
はあったが、在方はなきに等しく、木造新田の農民たちは、今度は飢民
資料編2(近世編1)
(はじめに)
但し、その中でも、廻米(かいまい)の展開による全国市場への参加、ついで家中
払米
(かちゅうはらいまい)等
資料編2(近世編1)
(新編 弘前市史 資料編2(近世編1) 目次)
四 家臣団の形成 ………………………………………………………………………… 三七八 五 家中
払米
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