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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (神事能)

してつれ)・脇師・脇連・地謡・小鼓打ち・太鼓打ち・狂言師・装束着せ・髪結いがいて、藩主が国元にいる時は扶持米,能役者が神事能を奉納して五穀成就を願うことは、藩より扶持米を与えられる者の役割の一部と考えていたものとみられる
通史編2(近世1) (宝暦~天明期の弘前藩の財政状況)

一方、人件費といえる藩士への蔵米渡・役知・切米・扶持米等は六万一〇一石(二八・五九パーセント)である。,買受米他 16,911 8.04 在方1万俵之元利 4,800 2.28 知行の蔵米渡・役知・切米・扶持米,28.59 諸役人賄米 4,000 1.90 銅山木山杣飯米払米 1,320 0.63 浦々渡切米・浦々扶持米
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

国元の支出の中心を占めるのが人件費たる藩士の知行切米扶持米で、六万五三〇〇石と国元の支出の半分以上に及,表62 子年(文化13年)米払方 (国元) 費  目 米 高 比率 備  考 ⑧ 家中知行切米扶持米,両浜払米,一番相場払米等 41,220   16.22  ⑩ 代官手代・浦々町同心等賄米・扶持米,37,362.5石 14.70% 江戸常用金25,000両の内公儀買上米代差引24,500両分代米 ⑳ 家中扶持米,ほかに江戸詰めの藩士への扶持米が六六二五石あり、この両者が江戸藩邸の運営費というべき性格のものであった
通史編2(近世1) (元禄の大飢饉と家臣召し放ち)

知行米削減が具体的に打ち出されたのは、十月七日に扶持米取に対してのものが最初であり、不作につき扶持米取,ただ、この時暇を出された者の多くが藩から扶持米等を支給されていた職人、町扶持人、足軽、小人(こびと)、
通史編3(近世2) (藩政改革がもたらしたもの)

予備銃隊として樋口に月一〇俵の扶持米(ふちまい)が支給されていたからである。
通史編2(近世1) (土着策実施への布石(Ⅱ期))

(1)近年の物価高により、扶持米だけでは小給で家内人数の多い者は生活が困難である。
通史編2(近世1) (騒動の要求と結果)

するために極貧の者に三五〇俵の補助米を差し出し、また青森町一九六〇軒の家々に対し、一軒当たり一斗ずつの扶持米
通史編2(近世1) (預手形とは)

「国日記」天保八年九月二十八日条(資料近世2No.一二六)によると、天保四年以来の凶作で、家中の扶持米
通史編2(近世1) (御用金の賦課)

この時は江戸藩邸も困窮し、藩士の扶持米の支給にも事欠くありさまで、藩としても蔵元の機嫌を損ねるわけにいかなかったのである
通史編2(近世1) (野本道玄の招聘)

へ招聘されたのは、家老津軽政実の口利きによるものであり、本来知行一五〇石であったが、国元の不作のため扶持米
通史編2(近世1) (信政晩年の藩政)

. 3 江戸扶持米代竹内 与兵衛取替分  1,749.,江戸扶持米 10,000.
通史編2(近世1) (下級藩士への開発奨励(I期))

(5)その代わり、来秋の収穫までは扶持米や手当銭はこれまでどおりとし、勤仕についても来年一年間は容赦する
通史編2(近世1) (土着策の展開と農村)

からの経済的分離を目指してはいたものの、切米取や金給家臣については自己の開発地がその相当高に達するまでは扶持米
資料編2(近世編1) (【解説】)

第二項の町方支配では、藩の御用を勤め扶持米を給与されていた町人の分限帳と由緒書、屋敷持ち町人に課せられた
通史編2(近世1) (城下弘前の変化)

いで元禄八年(一六九五)の飢饉によって、弘前藩では「減少」と呼ばれる、藩士・足軽・小人・中間や藩から扶持米
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」発行の前提と経過)

いんずうやく)のほかに、富裕な町人をそれらの「下加(したくわえ)」の名目で弘前並びに領内の蔵奉行に任命し、扶持米
通史編3(近世2) (町役負担と御用金)

また、藩から扶持米などを支給されている町扶持人も、人足役ではなく、地子銀を上納することに定められた(「
通史編2(近世1) (赤石安右衛門・菊池寛司の「覚」)

つまり、藩財政の窮乏によって扶持米が天明六年には一〇〇石につき四五俵渡しになる一方で、年貢諸役免除の優遇策
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶安三年(一六五〇)四月六日、盛岡藩、津軽領よりの欠落百姓三十二人へ、扶持米を給与する。,●承応元年(一六五二)四月十七日、盛岡藩、津軽領目内沢より六戸への欠落者へ扶持米を給付する。,●承応元年(一六五二)五月十一日、盛岡藩、津軽領より八戸町への欠落者へ扶持米を給付する。,●承応元年(一六五二)五月十五日、盛岡藩、津軽領大坂より五戸への欠落者十人へ扶持米を給付する。
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