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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編3(近世編2)
(●乳井神社 拝殿 乳井字外ノ沢--市指定文化財)
●乳井神社
拝殿
乳井字外ノ沢--市指定文化財 内外陣に分かれた五間堂であり、内陣に厨子が納められていたが,、近年、後方に新しい本殿が造られて、この建物は
拝殿
として使用されている。,図30 乳井神社
拝殿
平面図 / ●乳井神社
拝殿
乳井字外ノ沢--市指定文化財
資料編3(近世編2)
(●高照神社 岩木町大字百沢字神馬野)
図31 高照神社本殿・
拝殿
・幣殿平面図 (二)中門--県重宝 一間一戸の平唐門で屋根は柿葺であり,
拝殿
とほぼ同時期の建立と見られ、構造手法も同一であり、均衡もよく保たれている。,
拝殿
の建立もやや遅れて、正徳五年(一七一五)となっている。 ,
拝殿
は正面七間側面三間となり、入母屋造の柿葺で、正面に千鳥破風を載せて極彩色で飾っている。,幣殿は、
拝殿
の後方に突きだした形で、正面一間側面二間で切妻造の屋根が載せられている。
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
中門は、その位置が変わっていて、百沢寺大堂(本堂 現
拝殿
)の前に建ち、文化財指定に遅れた経緯を持っている,
拝殿
および幣殿は一体となっている建造物であるが、ここに保存された
拝殿
の棟札には、幣殿のことはいっさいなく,
拝殿
のことだけが記されており、その構造手法も異なったものがある。,
拝殿
の建立はやや遅れて、正徳五年(一七一五)という。,
拝殿
とほぼ同時期の築造とみられ、構造手法も同一であり、均整もよく保たれている。
資料編3(近世編2)
(●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)
現在の
拝殿
は、内外陣境の結界、内陣の来迎壁、それに須弥壇や厨子が撤去されて開放的に使用されているが、これは,、明治初期の「神仏分離令」によって百澤寺から岩木山神社へと移行し、密教寺院本堂から神社
拝殿
となった際に,図25 岩木山神社
拝殿
立面図・平面図 (『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より転載),(四)本殿--重要文化財 本殿をはじめ、奥門、瑞垣、それに中門などは、楼門や
拝殿
(大堂)などより遅,(七)中門--重要文化財
拝殿
の前に建つ切妻造栩葺型銅板葺の四脚門である。
通史編3(近世2)
(江戸時代末期の建築)
図240.栄螺堂 乳井神社(にゅういじんじゃ)の
拝殿
は、元来は本殿と
拝殿
とを兼ねた空間をもっていたが,、近年、後方に新しい本殿が造られて、今は
拝殿
として使用されている。
資料編3(近世編2)
(●猿賀神社 本殿 尾上町大字猿賀字石林--県重宝)
近世においては、
拝殿
のような空間も含まれていたと考えられるが、一般的な形式である「前室付き流造」とはなっておらず
通史編3(近世2)
(江戸時代前期の建築)
岩木山神社の
拝殿
は、先にも述べたように、百沢寺大堂(本堂)として慶長八年(一六〇二)に為信が建てたものを,な雰囲気をもつ密教本堂であったが、厨子などが取り除かれて、現在はかなり開放的な空間を示しており、神社
拝殿
通史編3(近世2)
(下居宮)
享和三年(一八〇三)の「寺社領分限帳」(資料近世2No.三九九)によれば、大堂(
拝殿
)の本尊阿弥陀如来
通史編4(近・現代1)
(招魂祭)
拝殿
の南側には祭事係と神官や僧侶、北側には遺族の控所があり、来賓控室は本丸南端の延年楼支店に設けている
通史編3(近世2)
(江戸時代後期の建築)
近世には
拝殿
も兼ねていたとみられるが、そのような場合、一般的には前室(ぜんしつ)付き流造(ながれづくり
通史編3(近世2)
(大社の神仏分離)
そしてこれまでの大堂は
拝殿
(はいでん)、山門は楼門(ろうもん)と改称し、新たに神体を祀らせた。
通史編4(近・現代1)
(開化思潮の影響)
だけに、わざわざ「外国の品物に手を触れず」という題で、一人三十首ずつ和歌を詠み、これを額にして猿賀神社
拝殿
通史編3(近世2)
(江戸時代初期の建築)
江戸時代初期の建築 慶長八年(一六〇二)の棟札(むなふだ)(長勝寺蔵)をもつ岩木山神社
拝殿
(はいでん
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