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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (政争の激化と第三次改革)

事の重大さを認識した岩男はすぐさまこれを按察使府に報告したため、弘前藩は藩治に問題ありとして再度同府の,こうして、三年六月七日、按察使府次官菱田重禧(しげよし)(後、青森県権令)が弘前に到着し、藩知事承昭(
通史編3(近世2) (新しい指導者)

また彼は弘前藩とも因縁浅からぬ人物で、明治三年六月に弘前藩で藩内騒擾があった際、按察使府権判官(あんさつしふごんはんがん,民間の撫育(ぶいく)とともに東北地方の開化を督促する按察使府の官員だった菱田にとって、東北地方全体が未開
通史編3(近世2) (第二次藩政改革)

新政府は明治元年七月に岩代(いわしろ)国白石(しろいし)に陸磐城両羽按察使府(さんりくいわきりょううあんさつしふ,)を設置して新政府の出先機関とし、中央集権化のために民政取り締まりや藩政改革促進を実施させていたが、按察使府長官坊城俊章
通史編3(近世2) (寺院の動向)

に弘前藩は藩内騒擾(そうじょう)を契機として、白石(しろいし)にあった新政府の出先機関である三陸両羽按察使府権判官菱田重禧
資料編3(近世編2) (【解説】)

藩政改革も行われたが、この前後から弘前藩では深刻な藩内騒擾が起こり、新政府の出先機関である三陸白石両羽按察使府,ついに明治三年六月に按察使府権判官菱田重禧(ひしだしげよし)が直接弘前藩に乗り込み、藩首脳を支持して山田
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