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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (授業料)

授業料 白銀・和徳・亀甲小学とも明治七年の開校当初は授業料六銭六厘(当時、米一升は五銭)であったが、,米穀高に換算したもので、当時仮に米一俵を二円とすると年収一六〇円以上のものは上戸と見なされ、その子弟は授業料一,当時の就学の不振と学校への不満は、授業料の徴収が原因であった。,文部省、地方官による厳しい就学督促や学事督促も学校への不平不満をかき立てたが、授業料は直接家計に響くだけに,その後授業料が値上げされるたびに退学者が増加するが、これは政府の教育行政に対する民衆の、無言の抗議と見 / 授業料
通史編4(近・現代1) (授業料の廃止)

授業料の廃止 大正三年三月末をもって弘前市各尋常小学校の授業料徴収は廃止された。,年度でいうと授業料は大正二年度まで徴収されたのである。  ,市当局は、当初、授業料を廃止する意図はなく、在来どおり徴収するつもりで県当局に願い出たものの、県の許可,(本節第二項参照)このときの授業料は一六銭、これは明治四十四年から据え置きになっていた。,授業料廃止は空文となったいきさつがあった。 / 授業料の廃止
通史編4(近・現代1) (簡易小学校について)

簡易小学校について 小学校令が公布された明治十九年当時、日本全国の学齢児童の三分の二は、授業料を払うことのできない,簡易小学校は授業料を徴収せず、教科書は学校で貸与した。,簡易科は授業料や教科書が無料になっただけで、学用品代や通学に用する服装などの出費、通学による児童の家庭内労働力
通史編4(近・現代1) (小学校の改革)

簡易小学校の修業年限は三年、授業料は徴収することなく、学校経費は全部区町村が支出することと規定した。,学校経費は授業料で賄うのが本領という文部省の命令で、授業料は、児童一人一ヵ月一二銭という高額となった。
通史編4(近・現代1) (実業補習学校)

弘前では明治の終わりごろから大正にかけて、市の財政難から小学生からも授業料を徴収していたが、このころ、,義務教育完全実施の建て前から授業料徴収は廃止の方向にあり、東北では仙台、青森、弘前の三市だけがまだ無料,をめぐって議論されたが、このときは存続派が大勢を制し、知事の認可を求める申請をしたところ、県からは義務教育の授業料徴収,市は、やむなく同年四月から、高等小学校は別として(従前どおり月三〇銭徴収)、小学校の授業料は全廃せざるを
通史編4(近・現代1) (細民救済対策事業)

十一月の市会では、小学校の授業料未納問題が取り上げられた。,時敏尋常小学校   一一五名 城西尋常小学校   二六〇名      合計  一二七五名  授業料,この督促は、経費、日数がかかって効果が上がらないので、市では授業料全廃を考慮中という答弁だった。  
通史編4(近・現代1) (明治二十年(一八八七)の予算審議)

まず、収入の予算は大幅に増大しているが、その主たる原因は弘前高等小学校生徒が納める生徒授業料である。,計金千三百七拾円九拾八銭   外 一金千百弐拾円   雑収入   内  金千百弐拾円   生徒授業料, 合 計 1370.98 『明治20年度弘前総町聯合会筆記』により作成 注)上記の項目以外に、授業料
通史編4(近・現代1) (鬼沢小学開校と「村落小学」)

鬼沢小学は同村の民家を借用して教室に充て、教師一人、生徒男子のみ五〇人、授業料三銭で発足し、鬼沢、楢木,表17 中津軽郡各小学 名 称 地 名 設立年 新築 旧屋 公有 借用 教 員 生 徒 授業料 備
通史編5(近・現代2) (禅林街・太平高等学校)

〇〇人ぐらいであったが、生徒数の増加とともに独立した校舎を建て、独特な校風の学校として、その経営は、授業料
通史編4(近・現代1) (就学励行)

また、貧困家庭が子女の就学を拒むのは、授業料を払えないという理由からだけではなかった。,授業料のほかに要する経費、通学のための衣服、履物、学用品、弁当代などの出費がかさむからである。  
通史編4(近・現代1) (弘前市立弘前幼稚園)

当時弘前市内小学校の授業料は金六銭、それと比較すれば保育料は高額というべきであろう。
通史編5(近・現代2) (桜田市長リコール問題)

それに水道課の不正事件や、市立女子高校と商業高校の授業料横領事件が拍車をかけた。
通史編4(近・現代1) (市制施行と小学校)

また、学校基本財産に至っては全く貧弱なもので、学校経費の半分以上が授業料に頼っているありさまである。
通史編4(近・現代1) (玉成高等小学校の創立)

同校は学校組合に加入していない村の子弟でも、二倍の授業料を納める条件で入学を許可した。
通史編4(近・現代1) (市税の構造)

明治三十二年においては、高等小学校の授業料は手数料の項目にはなく、雑収入に含められている。,使 用 料 火葬場使用料 2,612.5 公園使用料 130.0 公会堂使用料 50.0 小学校授業料,弘前市立病院の診断料や入院料などの収入と、高等小学校・実業補習学校・市外から通う生徒が支払う尋常小学校の授業料,からなる、小学校授業料の収入である。  
通史編4(近・現代1) (義務教育の延長)

また年限延長に伴い、授業料が五、六年生は三〇銭に引き上げになると伝えても父兄に動揺は見られなかった。
通史編4(近・現代1) (明治二十年度予算審議)

明治二十年度弘前総町聯合町費支出予算案は、会議費五五円、土木費四四〇円、教育補助費七四七円九八銭--弘前高等小学校補助費、ほかに雑収入の授業料一一二,これに雑収入として生徒授業料一一二〇円があり、合計二四七六円二八銭の規模である。  
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