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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (擦文文化の特徴)

擦文文化の特徴 北海道地方を主要な文化圏とする擦文文化の指標である擦文土器の分布は、北は南サハリン、,そして南は青森県を中心とし、七世紀代と推定される初現期の擦文土器については、岩手県および宮城県の北上川流域,一〇~一一世紀代と推定される盛期の擦文土器の分布は、本県においては県西側の陸奥湾沿岸地域、岩木川流域を,中心としており、県東側は下北半島に限られ、初現期の擦文土器がみられた岩手県、宮城県には及んでいない。,擦文土器を出土する遺跡は現在のところ一〇〇遺跡を超える。 / 擦文文化の特徴
通史編1(古代・中世) (擦文文化の終末年代)

擦文文化の終末年代 本州の擦文土器は、土師器と共伴する例が多いことから、鉄鍋・内耳鉄鍋の出現、そして,根室市浜別海(はまべっかい)遺跡では北宋銭(元豊(げんぽう)通宝、一〇七八年)が後半期(終末期以前)の擦文土器,平安時代後半から鎌倉時代前半の遺跡から出土している湖州鏡(こしゅうきょう)が終末期(最終末期以前)の擦文土器,擦文文化にあっても、基本的には土器から煮炊具である鉄鍋、供膳具である木器(漆器)への転換が考えられる。,擦文文化終焉以降の北海道地方では新たな対外関係が展開し、いわゆるアイヌ文化の発展をみることになったと思 / 擦文文化の終末年代
通史編1(古代・中世) (本州の擦文文化の実態)

本州の擦文文化の実態 カマドをもつ竪穴住居跡から出土する本州の擦文土器が土師器を伴うことは、東通村稲崎遺跡,本州においては、米をはじめとする穀類の存在が知られており、この地域で擦文土器を製作・使用した人々も農耕,本来の擦文文化とは、似て非なる第三の文化といえるのかもしれない。,この事例は、平安時代における津軽地方の馬産の問題とともに、土師器・擦文のいずれにも属さない文化を担った,図28 後半期~終末期の擦文土器  北海道地方における擦文文化は、前半期には道央部に分布の中心がみられたが / 本州の擦文文化の実態
通史編1(古代・中世) (擦文文化圏との交易)

擦文文化圏との交易 岩木山麓に展開した大規模な鉄生産も年代的にはこの須恵器生産とほぼ軌(き)を一にしており,、擦文文化圏へのこれらの物資の供給を重視していたことが考えられる。,な量の製鉄関連遺物(鉄製品・鉄滓(てっさい)・砂鉄・羽口(はぐち)など)や生活遺物(土師器・須恵器・擦文土器,出土や、北海道余市(よいち)町大川遺跡などにおける米の出土は、津軽地方を中心とする東北地方北部からの擦文文化圏,に起因する供膳具(きょうぜんぐ)の土器の衰退へと結びついていっただけではなく、北海道地方においては、擦文土器 / 擦文文化圏との交易
資料編1(考古編) (〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)

〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器 古代の当該地域の土師器と擦文土器の内容は、時代性と深くかかわり、地域性,また北海道とも隣接しているため、時代により濃淡はあるものの、擦文文化とのかかわりも深い。,表3 本州の擦文土器出土遺跡一覧(左右ページ対応) 番号 遺跡名 所在地 遺跡の種類 出土遺物 伴出遺物,数片の擦文 40 割石遺跡  〃  〃 ?,〃 9C~10C 多量の擦文 41 小奧戸(1)遺跡  〃 奥戸字小奥戸 散布地 〃 土師? / 〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器
資料編1(考古編) (-中世Ⅰ期(12世紀代)-)

図50 12世紀の土師器(かわらけ) 図51 津軽地方の擦文土器(1) 図52 津軽地方,の擦文土器(2) 図53 津軽地方の擦文土器(3) 図54 津軽地方の擦文土器(4,) 図55 津軽地方の擦文土器(5) 図56 本州の擦文土器分布図
資料編1(考古編) ((2)北方文化との交易・交流)

律令体制の影響を強く受けることとなり、それと同時に津軽海峡を境として、これまでの文化圏が分断され、北海道は擦文文化,したがって、9世紀から10世紀前半期の擦文文化の文物、特に擦文土器の搬入は数える程度にすぎない。  ,10世紀後半以後11世紀においては、律令体制の崩壊に機を合わせるように擦文文化圏との交易や交流も活発さを,津軽地方を中心として、県内には45遺跡ほどの擦文土器の出土遺跡が見られ、しかも、この実態は単に擦文土器,したがって、擦文土器にはこの地方で生産されたものと、北海道からの搬入品があるが前者が多い。
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

について」(北奥古代文化1) 1968年 *73 橘善光 「青森県脇野沢村桂沢の擦文土器について」(,について-下北半島の擦文土器の成立に関する試論-」(古代53) 1970年 *83 桜井清彦 「擦文文化研究,の新資料」(北海道考古学7) 1971年 *87 葛西励 「青森市築木館遺跡出土の擦文土器について」,-大間崎割石遺跡を中心に」(北奥古代文化5) 1973年 *105 石附喜三男 「擦文式文化における,の新例と問題点」(北奥古代文化7) 1975年 *127 橘善光 「青森県大間町奥戸出土の擦文式土器
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅰ期(9世紀初頭~9世紀中葉)-)

一方、擦文土器は本格的に独自の土器に展開する時期であるが量的に最も少ない。,35 9世紀の土師器坏 図41 9世紀の土師器長胴甕  なお、この時期に北海道において擦文土器
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅲ期(10世紀中葉~10世紀後葉)-)

なお、この甕類の黒色処理法は東北南部以南には存在せず、擦文土器に特徴的に使用される技法であり、その関係,また、この時期に擦文土器が徐々に散見するようになり、北海道との関係が深くなりはじめる。
資料編1(考古編) (7.小友遺跡)

〔平安時代〕 堀跡・溝跡・柱穴列・井戸跡・鍛冶遺構等の各遺構と、土師器・須恵器・擦文土器・鉄製品・羽口,また、少量ではあるが擦文土器もある。  ,擦文土器は、口縁部に沈線及び段状沈線を巡らすだけのものであるが、胎土・焼成の特徴は11世紀代を示す。,97 小友遺跡出土遺物(須恵器・17は同転用硯) 図98 小友遺跡出土遺物(縄文・土師器・擦文土器
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅳ期(10世紀末~11世紀末)-)

この時期には、擦文土器を伴う遺跡が飛躍的に増加する。,この擦文土器も、多くの土師器とともに11世紀末の段階では終焉を迎える。
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

土師器(甑・羽釜・内耳土堝・土製かまど) 図50 12世紀の土師器(かわらけ) 図51 津軽地方の擦文土器,(1) 図52 津軽地方の擦文土器(2) 図53 津軽地方の擦文土器(3) 図54 津軽地方の擦文土器,(4) 図55 津軽地方の擦文土器(5) 図56 本州の擦文土器分布図 図57 砂田B-1号窯跡,かわらけ(2) 図62 中崎館遺跡SD01堀跡出土かわらけ(3) 図63 中崎館遺跡出土土師器・擦文土器,・須恵器 図64 中崎館遺跡出土擦文土器 図65 中崎館遺跡出土鉄器・古銭 図66 中崎館遺跡SD01
資料編1(考古編) (4.中崎館遺跡)

〔平安時代後期〕 11世紀代のものとしては、土師器・須恵器・擦文土器がある。,これらの遺物群の主体は、擦文土器である。なお、本遺跡においては、該期に属する遺構は不明である。,擦文土器は、SD01堀中からの出土のものが大部分である。,擦文土器の器種は、すべて甕で、口縁部から頸部にかけて数条の平行沈線や鋸歯状沈線を持つ。,北海道擦文土器編年の中でも、終末期に位置づけられるものである。
資料編1(考古編) ((3)10世紀後半~11世紀)

また、この時期、北海道に拠点を置く擦文土器も急激に浸透する。,擦文土器の分布域は大きく、Ⅰ区(下北半島)・Ⅱ区(外ヶ浜)・Ⅲ区(岩木川流域)・Ⅳ区(米代川流域)の4,これは、奇しくも前述した「擦文土器」の分布域と全く重複する。
通史編1(古代・中世) (エゾ=アイヌ)

それまでの北海道は、本州の土師器の影響を強く受けた擦文土器(蝦夷土師とも呼ばれる)を一つの指標とする擦文文化
通史編1(古代・中世) (渡嶋の所在)

北海道では、この比羅夫「北征」の時代に続縄文文化から擦文(さつもん)文化への転換期を迎える。,擦文文化とは、擦文土器という、縄文に代わって刷毛で擦(す)ったような模様を持つ、本州の土師器の影響を強
通史編1(古代・中世) (原エミシ文化の形成)

併行する時期に、東北地方北部や石狩低地帯を中心とする地域における続縄文・土師器混交文化の担い手たちは、擦文文化,母体を形成し、横走沈線文(おうそうちんせんもん)や鋸歯状沈線文・格子目状沈線文の描かれた甕に象徴される擦文土器
通史編1(古代・中世) (蝦夷はアイヌか)

蝦夷=アイヌ説の根拠として盛んに利用される「アイヌ語」地名という用語も、「擦文(さつもん)語」地名程度
資料編1(考古編) (-五所川原古窯群生産須恵器の供給先-)

これは奇しくも9世紀以降の「擦文土器」分布域と全く重複する。
通史編1(古代・中世) (弥生文化と続縄文文化)

カマドをもつ方形の竪穴住居は擦文文化を特徴づける重要な文化要素であり、先の特徴をもつ土器群は擦文文化初頭型式,北大式土器と称されてきた土器は、本来、続縄文文化から擦文文化へ推移する過渡的な時期に位置づけられる特徴
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅱ期(9世紀後葉~10世紀前葉)-)

一方、擦文土器は散発的に出土するにすぎない。
資料編1(考古編) ((2)9世紀~10世紀後半)

したがって、北海道はこの時点(9世紀前葉期)で文化的には本州と分断され、独自の文化圏(擦文土器文化)を
資料編1(考古編) ((2)太平洋戦争後から現代まで)

また、時代的には、国分式土器と平行するロクロ製土師器と擦文式土器から、「奈良朝の初頭期」と推定した。,なお、本県での擦文土器についての発掘例としても、またロクロ製土師器との共伴例としても初現であり、本州擦文文化,平山は須恵器67、橘は擦文や続縄文土器*82*88*102~*104で、北林は製塩土器*70*109で,これには本県よりもむしろ、東北地方南部の城柵・官衙(かんが)遺跡研究や生産遺跡、あるいは北海道擦文文化研究
資料編1(考古編) ((5)塩業)

特に、10世紀後半から11世紀にかけては擦文土器の共伴例も多く、擦文文化人自らの生産や、北方交易のための
通史編1(古代・中世) (環壕集落の構造と年代)

が顕在化してむしろ社会の安定化がうかがわれるのであり、この種の集落の出土遺物の共通点として、土師器と擦文土器,環壕集落の特徴として、鉄生産に関わる遺構や遺物、そして擦文土器の出土が目立つという点から推(お)して、
通史編1(古代・中世) (前九年合戦の勃発)

当時は、津軽海峡を挟んで本州と北海道が活発な交流を展開していた時期であり、さらに北では、擦文(さつもん
資料編1(考古編) (-鉄生産遺構と製鉄炉の性格-)

しかも、各遺構に伴う製鉄関連遺物(鉄器・鉄滓・砂鉄・羽口等)や生活遺物(土師器・須恵器・擦文土器・土錘,製鉄関連遺構や工人集団の住居跡は、出土した土師器・須恵器・擦文土器の年代観や、白頭山降下火山灰(10世紀第
通史編1(古代・中世) (安倍氏の登場)

なお、奥六郡の北に広がる糠部(ぬかのぶ)地方は、擦文土器が極めて希薄な世界であり、そこはやはり北海道とは
通史編1(古代・中世) (防御性集落の消滅)

一方でそれと同時に、これまで青森県域でもかなりの密度で分布していた擦文土器も、この地から消滅していく。
資料編1(考古編) (1.古墳時代の概観)

さらに、北海道においては7世紀まで存続し、次の擦文文化への橋渡しをなしたとされている。
通史編1(古代・中世) (蝦夷管領)

こうした東夷成敗権なるものが設定された背景には、院政期(ちょうど道南地方で擦文文化が終焉を迎える時期)
資料編1(考古編) ((9)蕨手刀)

27年 奥羽本線鉄道敷設工事 弘前市 大字門外 38.5 (欠) 28.5 11.0 4.0 擦文土器
資料編1(考古編) (5.荼毘館遺跡)

鍛冶遺構)出土遺物(土師器・須恵器・羽口) 図78 荼毘館遺跡第101号竪穴住居跡出土遺物(擦文土器
通史編1(古代・中世) (北奥における建郡)

たとえば、平泉藤原氏の時代になると、擦文土器や内耳鍋が姿を消し、美濃・常滑・瀬戸・猿投(さなげ)といった
資料編1(考古編) ((1)祭祀と仏教文化の波及)

八戸市大字新井田字塩入 土玉2 採集遺物 25 蓬田大館遺跡 東津軽郡蓬田村大字蓬田 鉄鈴1 土師器・擦文土器
通史編1(古代・中世) (一 中世寺院の建立)

古代律令国家とのかかわり(『日本書紀』)はもとより、平安後期の頃には、道南と北奥地域に共通分布する「擦文文化圏
資料編1(考古編) ([付図])

縄文土器(後期十腰内Ⅲ・Ⅳ群,晩期大洞BC式),弥生土器(前期五所式・二枚橋式),土師器,須恵器,擦文,02073 小友遺跡 弘前市大字小友字宇田野199 低台地上 城館跡 縄文(前・後・晩期) 縄文土器,擦文土器,弘前市大字十面沢字清水森102 津軽富士見湖西南台地上 包含地 縄文(早・中・晩期) 弥生,平安 縄文土器,続縄文土器,擦文土器
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

83)(十月)、浪岡町細野は滝口宏・西村正衛(十一月)によってそれぞれ調査がなされ(84)、土師器・擦文
通史編1(古代・中世) (新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)

………  117    三 津軽の古代信仰 ……………………………………………  123    四 擦文文化
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

(3)土器生産 ……………………………………  248           <1>津軽地方の土師器と擦文土器
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