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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)
〈1〉津軽地方の土師器と
擦文土器
古代の当該地域の土師器と
擦文土器
の内容は、時代性と深くかかわり、地域性,表3 本州の
擦文土器
出土遺跡一覧(左右ページ対応) 番号 遺跡名 所在地 遺跡の種類 出土遺物 伴出遺物 / 〈1〉津軽地方の土師器と
擦文土器
資料編1(考古編)
(-中世Ⅰ期(12世紀代)-)
図50 12世紀の土師器(かわらけ) 図51 津軽地方の
擦文土器
(1) 図52 津軽地方,の
擦文土器
(2) 図53 津軽地方の
擦文土器
(3) 図54 津軽地方の
擦文土器
(4,) 図55 津軽地方の
擦文土器
(5) 図56 本州の
擦文土器
分布図
通史編1(古代・中世)
(擦文文化の特徴)
擦文文化の特徴 北海道地方を主要な文化圏とする擦文文化の指標である
擦文土器
の分布は、北は南サハリン、,そして南は青森県を中心とし、七世紀代と推定される初現期の
擦文土器
については、岩手県および宮城県の北上川流域,一〇~一一世紀代と推定される盛期の
擦文土器
の分布は、本県においては県西側の陸奥湾沿岸地域、岩木川流域を,中心としており、県東側は下北半島に限られ、初現期の
擦文土器
がみられた岩手県、宮城県には及んでいない。,
擦文土器
を出土する遺跡は現在のところ一〇〇遺跡を超える。
通史編1(古代・中世)
(擦文文化の終末年代)
擦文文化の終末年代 本州の
擦文土器
は、土師器と共伴する例が多いことから、鉄鍋・内耳鉄鍋の出現、そして,一三世紀前半に終末を迎えた可能性が高いとされる弘前市中崎館遺跡堀跡(SD01)の堆積土および底面から出土した
擦文土器
,根室市浜別海(はまべっかい)遺跡では北宋銭(元豊(げんぽう)通宝、一〇七八年)が後半期(終末期以前)の
擦文土器
,平安時代後半から鎌倉時代前半の遺跡から出土している湖州鏡(こしゅうきょう)が終末期(最終末期以前)の
擦文土器
,していたことが想定されるのであり、東北地方北部の土師器とは峻別(しゅんべつ)され、独自性の象徴であった
擦文土器
資料編1(考古編)
((2)北方文化との交易・交流)
したがって、9世紀から10世紀前半期の擦文文化の文物、特に
擦文土器
の搬入は数える程度にすぎない。 ,津軽地方を中心として、県内には45遺跡ほどの
擦文土器
の出土遺跡が見られ、しかも、この実態は単に
擦文土器
,したがって、
擦文土器
にはこの地方で生産されたものと、北海道からの搬入品があるが前者が多い。
通史編1(古代・中世)
(本州の擦文文化の実態)
本州の擦文文化の実態 カマドをもつ竪穴住居跡から出土する本州の
擦文土器
が土師器を伴うことは、東通村稲崎遺跡,本州においては、米をはじめとする穀類の存在が知られており、この地域で
擦文土器
を製作・使用した人々も農耕,浪岡町野尻(4)遺跡では、土師器的な特徴をもつ土器を下地にして馬の線刻画を描き、
擦文土器
の特徴である刻文,図28 後半期~終末期の
擦文土器
北海道地方における擦文文化は、前半期には道央部に分布の中心がみられたが,一〇世紀後半~一一世紀前半の鯵ケ沢町杢沢(もくさわ)遺跡では、ごくわずかではあるが
擦文土器
が三点、同大館森山遺跡
資料編1(考古編)
(-古代後期Ⅰ期(9世紀初頭~9世紀中葉)-)
一方、
擦文土器
は本格的に独自の土器に展開する時期であるが量的に最も少ない。,35 9世紀の土師器坏 図41 9世紀の土師器長胴甕 なお、この時期に北海道において
擦文土器
資料編1(考古編)
(-古代後期Ⅲ期(10世紀中葉~10世紀後葉)-)
なお、この甕類の黒色処理法は東北南部以南には存在せず、
擦文土器
に特徴的に使用される技法であり、その関係,また、この時期に
擦文土器
が徐々に散見するようになり、北海道との関係が深くなりはじめる。
資料編1(考古編)
(7.小友遺跡)
〔平安時代〕 堀跡・溝跡・柱穴列・井戸跡・鍛冶遺構等の各遺構と、土師器・須恵器・
擦文土器
・鉄製品・羽口,また、少量ではあるが
擦文土器
もある。 ,
擦文土器
は、口縁部に沈線及び段状沈線を巡らすだけのものであるが、胎土・焼成の特徴は11世紀代を示す。,97 小友遺跡出土遺物(須恵器・17は同転用硯) 図98 小友遺跡出土遺物(縄文・土師器・
擦文土器
通史編1(古代・中世)
(擦文文化圏との交易)
な量の製鉄関連遺物(鉄製品・鉄滓(てっさい)・砂鉄・羽口(はぐち)など)や生活遺物(土師器・須恵器・
擦文土器
,に起因する供膳具(きょうぜんぐ)の土器の衰退へと結びついていっただけではなく、北海道地方においては、
擦文土器
資料編1(考古編)
(-古代後期Ⅳ期(10世紀末~11世紀末)-)
この時期には、
擦文土器
を伴う遺跡が飛躍的に増加する。,この
擦文土器
も、多くの土師器とともに11世紀末の段階では終焉を迎える。
資料編1(考古編)
(資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)
土師器(甑・羽釜・内耳土堝・土製かまど) 図50 12世紀の土師器(かわらけ) 図51 津軽地方の
擦文土器
,(1) 図52 津軽地方の
擦文土器
(2) 図53 津軽地方の
擦文土器
(3) 図54 津軽地方の
擦文土器
,(4) 図55 津軽地方の
擦文土器
(5) 図56 本州の
擦文土器
分布図 図57 砂田B-1号窯跡,かわらけ(2) 図62 中崎館遺跡SD01堀跡出土かわらけ(3) 図63 中崎館遺跡出土土師器・
擦文土器
,・須恵器 図64 中崎館遺跡出土
擦文土器
図65 中崎館遺跡出土鉄器・古銭 図66 中崎館遺跡SD01
資料編1(考古編)
(4.中崎館遺跡)
〔平安時代後期〕 11世紀代のものとしては、土師器・須恵器・
擦文土器
がある。,これらの遺物群の主体は、
擦文土器
である。なお、本遺跡においては、該期に属する遺構は不明である。,
擦文土器
は、SD01堀中からの出土のものが大部分である。,
擦文土器
の器種は、すべて甕で、口縁部から頸部にかけて数条の平行沈線や鋸歯状沈線を持つ。,北海道
擦文土器
編年の中でも、終末期に位置づけられるものである。
資料編1(考古編)
((3)10世紀後半~11世紀)
また、この時期、北海道に拠点を置く
擦文土器
も急激に浸透する。,
擦文土器
の分布域は大きく、Ⅰ区(下北半島)・Ⅱ区(外ヶ浜)・Ⅲ区(岩木川流域)・Ⅳ区(米代川流域)の4,これは、奇しくも前述した「
擦文土器
」の分布域と全く重複する。
資料編1(考古編)
(-五所川原古窯群生産須恵器の供給先-)
これは奇しくも9世紀以降の「
擦文土器
」分布域と全く重複する。
資料編1(考古編)
(-古代後期Ⅱ期(9世紀後葉~10世紀前葉)-)
一方、
擦文土器
は散発的に出土するにすぎない。
資料編1(考古編)
((2)9世紀~10世紀後半)
したがって、北海道はこの時点(9世紀前葉期)で文化的には本州と分断され、独自の文化圏(
擦文土器
文化)を
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
情勢-北海道-」(日本の考古学Ⅲ 弥生時代) 1966年 *58 渡辺誠 「下北半島割石遺跡採集の
擦文土器
,東北地方の擦文文化について」(北奥古代文化1) 1968年 *73 橘善光 「青森県脇野沢村桂沢の
擦文土器
,「土製馬に関する試論」(古代学研究53号所収) 1968年 *77 桜井清彦・北林八洲晴 「青森市
擦文土器
,の新資料」(北海道考古学7) 1971年 *87 葛西励 「青森市築木館遺跡出土の
擦文土器
について」,」(考古風土記3) 1978年 *162 橘善光 「江別式土器文化の南下・土師器と北大式・
擦文土器
の
通史編1(古代・中世)
(環壕集落の構造と年代)
が顕在化してむしろ社会の安定化がうかがわれるのであり、この種の集落の出土遺物の共通点として、土師器と
擦文土器
,環壕集落の特徴として、鉄生産に関わる遺構や遺物、そして
擦文土器
の出土が目立つという点から推(お)して、
通史編1(古代・中世)
(エゾ=アイヌ)
それまでの北海道は、本州の土師器の影響を強く受けた
擦文土器
(蝦夷土師とも呼ばれる)を一つの指標とする擦文文化
資料編1(考古編)
(-鉄生産遺構と製鉄炉の性格-)
しかも、各遺構に伴う製鉄関連遺物(鉄器・鉄滓・砂鉄・羽口等)や生活遺物(土師器・須恵器・
擦文土器
・土錘,製鉄関連遺構や工人集団の住居跡は、出土した土師器・須恵器・
擦文土器
の年代観や、白頭山降下火山灰(10世紀第
通史編1(古代・中世)
(安倍氏の登場)
なお、奥六郡の北に広がる糠部(ぬかのぶ)地方は、
擦文土器
が極めて希薄な世界であり、そこはやはり北海道とは
通史編1(古代・中世)
(防御性集落の消滅)
一方でそれと同時に、これまで青森県域でもかなりの密度で分布していた
擦文土器
も、この地から消滅していく。
通史編1(古代・中世)
(原エミシ文化の形成)
母体を形成し、横走沈線文(おうそうちんせんもん)や鋸歯状沈線文・格子目状沈線文の描かれた甕に象徴される
擦文土器
資料編1(考古編)
((5)塩業)
特に、10世紀後半から11世紀にかけては
擦文土器
の共伴例も多く、擦文文化人自らの生産や、北方交易のための
資料編1(考古編)
((9)蕨手刀)
27年 奥羽本線鉄道敷設工事 弘前市 大字門外 38.5 (欠) 28.5 11.0 4.0
擦文土器
通史編1(古代・中世)
(渡嶋の所在)
擦文文化とは、
擦文土器
という、縄文に代わって刷毛で擦(す)ったような模様を持つ、本州の土師器の影響を強
資料編1(考古編)
(5.荼毘館遺跡)
鍛冶遺構)出土遺物(土師器・須恵器・羽口) 図78 荼毘館遺跡第101号竪穴住居跡出土遺物(
擦文土器
通史編1(古代・中世)
(北奥における建郡)
たとえば、平泉藤原氏の時代になると、
擦文土器
や内耳鍋が姿を消し、美濃・常滑・瀬戸・猿投(さなげ)といった
資料編1(考古編)
((1)祭祀と仏教文化の波及)
八戸市大字新井田字塩入 土玉2 採集遺物 25 蓬田大館遺跡 東津軽郡蓬田村大字蓬田 鉄鈴1 土師器・
擦文土器
資料編1(考古編)
((2)太平洋戦争後から現代まで)
なお、本県での
擦文土器
についての発掘例としても、またロクロ製土師器との共伴例としても初現であり、本州擦文文化
資料編1(考古編)
([付図])
02073 小友遺跡 弘前市大字小友字宇田野199 低台地上 城館跡 縄文(前・後・晩期) 縄文土器,
擦文土器
,弘前市大字十面沢字清水森102 津軽富士見湖西南台地上 包含地 縄文(早・中・晩期) 弥生,平安 縄文土器,続縄文土器,
擦文土器
資料編1(考古編)
(新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)
(3)土器生産 …………………………………… 248 <1>津軽地方の土師器と
擦文土器
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