• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 17件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編1(古代・中世) (擦文文化の特徴)

擦文文化の特徴 北海道地方を主要な文化圏とする擦文文化の指標である擦文土器の分布は、北は南サハリン、,東北地方北部や石狩低地帯を中心とする地域における続縄文・土師器混交文化の担い手たちによって母体が形成された擦文文化,そして、擦文文化の担い手たちが採集経済に固執したのは、気候条件に規制されるという必然性はあったものの、,については、周辺地域に展開した諸文化との関係も十分考慮に入れる必要があるのかもしれないが、基本的には擦文文化 / 擦文文化の特徴
通史編1(古代・中世) (擦文文化の終末年代)

擦文文化の終末年代 本州の擦文土器は、土師器と共伴する例が多いことから、鉄鍋・内耳鉄鍋の出現、そして,擦文文化にあっても、基本的には土器から煮炊具である鉄鍋、供膳具である木器(漆器)への転換が考えられる。,八世紀初頭以来の日本海沿岸ルートを通しての交易関係等も考慮すると、交易に比重を置いた混交文化を継承する擦文文化,擦文文化終焉以降の北海道地方では新たな対外関係が展開し、いわゆるアイヌ文化の発展をみることになったと思 / 擦文文化の終末年代
通史編1(古代・中世) (擦文文化圏との交易)

擦文文化圏との交易 岩木山麓に展開した大規模な鉄生産も年代的にはこの須恵器生産とほぼ軌(き)を一にしており,、擦文文化圏へのこれらの物資の供給を重視していたことが考えられる。,出土や、北海道余市(よいち)町大川遺跡などにおける米の出土は、津軽地方を中心とする東北地方北部からの擦文文化圏 / 擦文文化圏との交易
通史編1(古代・中世) (本州の擦文文化の実態)

本州の擦文文化の実態 カマドをもつ竪穴住居跡から出土する本州の擦文土器が土師器を伴うことは、東通村稲崎遺跡,本来の擦文文化とは、似て非なる第三の文化といえるのかもしれない。,図28 後半期~終末期の擦文土器  北海道地方における擦文文化は、前半期には道央部に分布の中心がみられたが,えられる製品が北海道の中央部(六遺跡)を中心に西北部(三遺跡)、南部(三遺跡)および東部(一遺跡)の擦文文化 / 本州の擦文文化の実態
資料編1(考古編) ((2)北方文化との交易・交流)

律令体制の影響を強く受けることとなり、それと同時に津軽海峡を境として、これまでの文化圏が分断され、北海道は擦文文化,したがって、9世紀から10世紀前半期の擦文文化の文物、特に擦文土器の搬入は数える程度にすぎない。  ,10世紀後半以後11世紀においては、律令体制の崩壊に機を合わせるように擦文文化圏との交易や交流も活発さを
通史編1(古代・中世) (弥生文化と続縄文文化)

カマドをもつ方形の竪穴住居は擦文文化を特徴づける重要な文化要素であり、先の特徴をもつ土器群は擦文文化初頭型式,北大式土器と称されてきた土器は、本来、続縄文文化から擦文文化へ推移する過渡的な時期に位置づけられる特徴
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

洞穴遺跡調査会 「洞穴遺跡地名表(1)」(洞穴遺跡調査会会報1) 1962年 *42 桜井清彦 「擦文文化,の初現的形態に関する研究」(札幌大学一般教養部紀要1) 1968年 *72 桜井清彦 「東北地方の擦文文化, 桜井清彦 「小館及び油川城址出土の擦文土器」(考古風土記2) 1977年 *152 宇田川洋 「擦文文化,「青森県鳥間遺跡第1次調査報告書」(北海道考古学15) 1979年 *174 鈴木克彦 「青森県の擦文文化,の社会」(擦文文化)教育社 1982年 *217 向谷地芳久 「八戸市楢館Ⅱ遺跡から採集した弥生式土器
通史編1(古代・中世) (エゾ=アイヌ)

それまでの北海道は、本州の土師器の影響を強く受けた擦文土器(蝦夷土師とも呼ばれる)を一つの指標とする擦文文化
通史編1(古代・中世) (原エミシ文化の形成)

併行する時期に、東北地方北部や石狩低地帯を中心とする地域における続縄文・土師器混交文化の担い手たちは、擦文文化
資料編1(考古編) (〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)

また北海道とも隣接しているため、時代により濃淡はあるものの、擦文文化とのかかわりも深い。
資料編1(考古編) (1.古墳時代の概観)

さらに、北海道においては7世紀まで存続し、次の擦文文化への橋渡しをなしたとされている。
通史編1(古代・中世) (渡嶋の所在)

擦文文化とは、擦文土器という、縄文に代わって刷毛で擦(す)ったような模様を持つ、本州の土師器の影響を強
通史編1(古代・中世) (蝦夷管領)

こうした東夷成敗権なるものが設定された背景には、院政期(ちょうど道南地方で擦文文化が終焉を迎える時期)
資料編1(考古編) ((5)塩業)

特に、10世紀後半から11世紀にかけては擦文土器の共伴例も多く、擦文文化人自らの生産や、北方交易のための
資料編1(考古編) ((2)太平洋戦争後から現代まで)

なお、本県での擦文土器についての発掘例としても、またロクロ製土師器との共伴例としても初現であり、本州擦文文化,これには本県よりもむしろ、東北地方南部の城柵・官衙(かんが)遺跡研究や生産遺跡、あるいは北海道擦文文化研究
通史編1(古代・中世) (一 中世寺院の建立)

古代律令国家とのかかわり(『日本書紀』)はもとより、平安後期の頃には、道南と北奥地域に共通分布する「擦文文化圏
通史編1(古代・中世) (新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)

………  117    三 津軽の古代信仰 ……………………………………………  123    四 擦文文化
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました