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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(弘前ねぷたの重要無形文化財指定)
弘前ねぷたの重要無形
文化財
指定 弘前市のねぷたは、今では春のさくらまつりとならび市の最大名物となっている,昭和五十四年(一九七九)十二月七日、
文化財
保護審議会は、弘前ねぷたと青森ねぶたを文化庁の重要無形民俗
文化財
,重要無形
文化財
の指定を受けたことは、ねぷたやねぶたが全国的に存在を知られ、その伝統を受け継いでいく必要性,弘前市にとっても、ねぷたが全国レベルでの
文化財
として認められたことは郷土の誇りであった。 / 弘前ねぷたの重要無形
文化財
指定
資料編3(近世編2)
(●東照宮 本殿 笹森町--重要文化財)
●東照宮 本殿 笹森町--重要
文化財
寛永五年(一六二八)の建立であり、桁行三間梁間三間で入母屋造柿葺,図23 東照宮本殿立面図・平面図 (『重要
文化財
東照宮本殿修理工事報告書』より転載) / ●東照宮 本殿 笹森町--重要
文化財
資料編3(近世編2)
(●最勝院 五重塔 銅屋町--重要文化財)
●最勝院 五重塔 銅屋町--重要
文化財
大円寺六世京海が、津軽統一の過程で戦死した敵味方の者を供養するために,図11 最勝院五重塔平面図 (『重要
文化財
最勝院五重塔保存修理工事報告書』より転載) 図,12 最勝院五重塔立面図・断面図 (『重要
文化財
最勝院五重塔保存修理工事報告書』より転載) / ●最勝院 五重塔 銅屋町--重要
文化財
資料編3(近世編2)
(●熊野奥照神社 本殿 田町四丁目--重要文化財)
●熊野奥照神社 本殿 田町四丁目--重要
文化財
慶長十八年(一六一三)に、津軽二代信枚らによって復興建立,図21 熊野奥照神社立面図・平面図 (『重要
文化財
熊野奥照神社本殿修理工事報告書』より転載) / ●熊野奥照神社 本殿 田町四丁目--重要
文化財
資料編3(近世編2)
(●誓願寺 山門 新町--重要文化財)
●誓願寺 山門 新町--重要
文化財
誓願寺は大光寺村に創立され、弘前城築城の際に現在地へ移されたものと / ●誓願寺 山門 新町--重要
文化財
資料編3(近世編2)
(●蘭庭院 栄螺堂 西茂森二丁目--市指定文化財)
●蘭庭院 栄螺堂 西茂森二丁目--市指定
文化財
東長町の豪商であった中田屋嘉兵衛(賀兵衛)が、天保の / ●蘭庭院 栄螺堂 西茂森二丁目--市指定
文化財
資料編3(近世編2)
(●乳井神社 拝殿 乳井字外ノ沢--市指定文化財)
●乳井神社 拝殿 乳井字外ノ沢--市指定
文化財
内外陣に分かれた五間堂であり、内陣に厨子が納められていたが / ●乳井神社 拝殿 乳井字外ノ沢--市指定
文化財
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
39集) 1978年 12) 青森県教育委員会 『黒石市高館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書第,』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書第70集) 1982年 28) 橘善光 『下北半島の中世遺跡と遺物』(,80集) 1985年 42) 小泊村教育委員会 『弁天島遺跡発掘調査報告書』(小泊村
文化財
調査報告書第,1集) 1985年 43) 浪岡町教育委員会 『浪岡城跡』(浪岡町埋蔵
文化財
緊急発掘調査報告書第3集,31集) 1989年 63) 青森県教育委員会 『鶴ケ鼻遺跡」(青森県埋蔵
文化財
調査報告書第122集
資料編1(古代・中世編)
(二 各城館の位置)
』「弘前市
文化財
位置図」の示す位置に城館遺構が存在することを確かめた。,⑥桜庭館跡 『青森県の中世城館』『弘前の
文化財
』や「弘前市
文化財
位置図」が紹介しているが、『青森県,の中世城館』は黒土館跡を「桜庭館跡」として紹介し(しかも位置が間違っていた)、また『弘前の
文化財
』「弘前市
文化財
位置図,⑧平山館跡・⑨中畑館跡 『弘前の
文化財
』「弘前市
文化財
位置図」が紹介しているが、遺構は確認できなかった,⑩番館跡 『青森県の中世城館』『弘前の
文化財
』「弘前市
文化財
位置図」が紹介している。
通史編5(近・現代2)
(弘前城の史跡指定)
そこで考案されたのが、市による
文化財
の指定だった。,
文化財
の維持・管理、そして活用には膨大な費用を伴う。,建築物や工芸品や文芸作品、民俗
文化財
など、いずれも極めて個人的な産物であることが多い。,を与えることで
文化財
の保護に当たった。 ,昭和三十五年九月十五日、藤森市長は市議会に弘前市
文化財
保護条例案を提出した。
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第2章〉)
27) 1976年3月 *26A 青森県教育委員会『表館遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書,25) 1975年3月 *48 葛西励・高橋潤 「井沢遺跡」(平賀町埋蔵
文化財
報告書5) 1976年,』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書75) 1983年3月 *74 *14に前掲 *75 青森県教育委員会,*86 青森県教育委員会 『源常平遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書39) 1978年3,84) 1984年3月 *90 岩手県埋蔵
文化財
センター 『馬立Ⅱ遺跡発掘調査報告書』(岩手県文化振興事業団埋蔵
文化財
調査報告書
通史編1(自然・原始)
(第三節 注および引用・参考文献)
』 ぎょうせい 一九九三年 (4)青森県教育委員会 『表館(1)遺跡発掘調査報告書Ⅲ』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書一二,〇) 一九八九年 (5)青森県教育委員会 『発茶沢(1)遺跡Ⅳ』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書一二〇), 一九八九年 (6)青森県教育委員会 『鴨平(2)遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書七三,) 一九八三年 (7)青森県教育委員会 『櫛引遺跡か』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書 二六三) 一九九七年三月,センターほか 『上里遺跡発掘調査報告書』(岩手県埋蔵
文化財
センター
文化財
調査報告書五五) 一九八三年
資料編3(近世編2)
(3 現存する天守・城門等の考察)
図6 弘前城跡
文化財
配置図 ○天守--重要
文化財
天守は、津軽二代信枚が当初に築城したときは,図7 弘前城天主 立面図・平面図 (『重要
文化財
弘前城修理工事報告書』より転載) ○隅櫓,--重要
文化財
隅櫓は、現存している以下の三棟とも重要
文化財
に指定されている。 , 城門も、現存する以下の五棟がすべて重要
文化財
に指定されている。 ,図11 二の丸南門 立面図・平面図 (『重要
文化財
弘前城修理工事報告書』より転載) 図12
資料編1(古代・中世編)
(三 刀剣)
三 刀剣 弘前市内にある刀剣類は、次の表(『弘前の
文化財
』による)のとおりである。,弘前市坂本町 三上登氏 刀長 70.2 反り 2.4 茎長 21.2 ・弘前市指定有形
文化財
,平泉秀一氏 長さ 70.7 元幅 3.4 反り 2.3 先幅 2.4 茎長 17.8 ・重要
文化財
,-銘、成高綾包太刀拵- 弘前市東城北三丁目 那須隆氏 刃長 79.0 反り 3.3 ・重要
文化財
資料編3(近世編2)
(●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)
●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢 (一)楼門--重要
文化財
下居宮の別当寺であった真言宗寺院の,図24 岩木山神社楼門立面図・平面図 (『重要
文化財
岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より転載),(二)拝殿--重要
文化財
天正十七年(一五八九)正月の岩木山噴火による火災によって、百澤寺全山,転載) (六)瑞垣--重要
文化財
奥門の両端から本殿を一周している。,(七)中門--重要
文化財
拝殿の前に建つ切妻造栩葺型銅板葺の四脚門である。
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書第1集) 1973年 *102 橘善光 「下北半島史-宇曽利にみられる,67集) 1982年 *211 青森県教育委員会 『山崎遺跡』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書第68集),-』(八戸市埋蔵
文化財
調査報告書第13集) 1984年 *233 橘善光 「中島全二蒐集遺物集成(2, 1990年 *281 青森県埋蔵
文化財
調査センター 『図説ふるさと青森の歴史-総括編』 1990年,148集) 1993年 *301 〃 『内真部(4)遺跡』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書第158集
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
地中に希器を掘る」『谷の響』(青森県立図書館郷土双書一)一九六九年三月 (10)椎名慎太郎 『精説
文化財
保護法, 『埋蔵
文化財
要覧』 吉川弘文館一 一九五七年十一月 (81)杉原荘介 「青森県金木砂礫層出土の偽石器,) 一九八三年三月 (113)青森県教育委員会 『表館(1)遺跡Ⅲ』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書一二,) 一九七七年三月 (137)青森県教育委員会 『碇ヶ関村古館遺跡』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書五四,〇二) 一九八七年三月 (141)青森県教育委員会 『荼毘館遺跡』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書一一〇
資料編1(古代・中世編)
(参考文献(第四章に関連する主要文献・論文-各節の文中で記述したものは除く))
さん委員会『央』(平成六年度年報) (21)青森県教育委員会「五輪堂遺跡発掘調査報告書」(青森県埋蔵
文化財
調査報告書,60集) (22)青森県教育委員会「独狐遺跡」(青森県埋蔵
文化財
調査報告書99集) (23)青森県教育委員会,「境関館遺跡」(青森県埋蔵
文化財
調査報告書102集) (24)青森県教育委員会「荼毘館遺跡」(青森県埋蔵
文化財
調査報告書,110集) (25)青森県教育委員会「鶴ヶ鼻遺跡」(青森県埋蔵
文化財
調査報告書122集) (26)
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
39 東北歴史博物館蔵 写真40 続日本紀 養老4年正月条 国立歴史民俗博物館蔵 写真41 石川県埋蔵
文化財
調査,センター 写真85 南津軽郡浪岡町教育委員会 写真86 青森県埋蔵
文化財
調査センター 写真87 弘前市,』1984年 浪岡町教育委員会刊・『青森県埋蔵
文化財
調査報告書第102集 境関館遺跡』1987年・『青森県埋蔵
文化財
調査報告書第,80集 浜通遺跡』1984年 青森県埋蔵
文化財
調査センター刊 図58 『青森県埋蔵
文化財
報告書第102,集 境関館遺跡発掘調査報告書』1987年 青森県埋蔵
文化財
調査センター刊 図59 小林清治「大名権力の
通史編1(古代・中世)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順) 青森県教育委員会 青森県史編さん室 青森県埋蔵
文化財
調査,青森県立郷土館 秋田市広報課 鰺ヶ沢町教育委員会 胆沢町教育委員会 財団法人 石川県埋蔵
文化財
,東北歴史博物館 常呂町教育委員会 浪岡町史編さん室 浪岡町大釈迦工業団地調査会 奈良国立
文化財
研究所飛鳥資料館,(千葉県松戸市) 財団法人 前田育徳会尊経閣文庫(東京都目黒区) 万蔵寺(弘前市) 水沢市埋蔵
文化財
調査
資料編3(近世編2)
(●革秀寺 藤代一丁目)
●革秀寺 藤代一丁目 (一)本堂--重要
文化財
建立年代についてはさまざまな伝承があるが、慶長年間,革秀寺本堂立面図 (『県重宝 革秀寺本堂保存修理工事報告書』より転載) (二)津軽為信霊屋--重要
文化財
,図8 津軽為信霊屋平面図・立面図 (『重要
文化財
津軽為信霊屋修理工事報告書』より転載)
通史編3(近世2)
(四 寺社建築)
四 寺社建築 弘前市周辺に存在する寺社建築は、そのほとんどが既に
文化財
に指定されており、これまでにもたくさんの,年代の区切りは『重要
文化財
目録』により、それぞれの『修理工事報告書』を参考にした。
資料編3(近世編2)
(●長勝寺 西茂森一丁目)
●長勝寺 西茂森一丁目 (一)本堂--重要
文化財
規模が大きく、側廻りには三本溝の窓を配しており,図1 長勝寺本堂平面図・断面図 (二)庫裡--重要
文化財
大浦城の台所として建てられたものをここに,図2 長勝寺庫裡平面図・断面図 (三)三門--重要
文化財
寛永六年(一六二九)に津軽二代信枚,--重要
文化財
津軽初代為信の木彫を安置するために造られた堂である。,(五)総門--市指定
文化財
全面に黒色が塗られており「黒門」と通称されている。
通史編5(近・現代2)
(図書館の新築)
ところが、公園は史跡指定地であり、文部省
文化財
保護委員会の許可を必要とし、また、市の公園管理審議会の意見,市は両者の意見を採り入れて、「①場所や
文化財
保護の建て前から、なるべく追手門より離して建てる。,という線を打ち出して、
文化財
保護委員会に現状史跡の変更許可申請書を提出、やっと許可を取るまでこぎつけた
通史編1(自然・原始)
([口絵])
(大鰐町三ッ目内) 砂沢遺跡から検出された最北の水田跡 台付浅鉢形土器(重要
文化財
,号遺跡,縄文時代晩期) 尾上山(3)遺跡6号土坑遺物出土状況 (縄文時代前期、青森県埋蔵
文化財
調査,センター提供) 十腰内Ⅰ遺跡3号住居跡 (縄文時代晩期、青森県埋蔵
文化財
調査センター提供),十腰内Ⅰ遺跡1号竪穴住居跡 (縄文時代晩期、青森県埋蔵
文化財
調査センター提供)
資料編3(近世編2)
(●弘前八幡宮 八幡町一丁目)
●弘前八幡宮 八幡町一丁目 (一)唐門--重要
文化財
前後に軒唐破風をつけた入母屋造柿葺屋根の四脚門,図19 弘前八幡宮唐門立面図・平面図 (弘前市教育委員会蔵原図より) (二)本殿--重要
文化財
資料編1(古代・中世編)
(二 懸仏)
青森県立郷土館の調査の成果『青森県中世金石造
文化財
』に記載されているものは次の表のとおりである。,鎌倉~ 室町時代 16.0 8.8 6.0 如来坐像 ・鏡板を欠く ・鋳銅 ・「青森県中世金石造
文化財
資料編1(考古編)
((2)縄文時代早期)
県立郷土館による東通村下田代納屋B遺跡*22、県教育委員会文化課並びに昭和55年(1980)設置の県埋蔵
文化財
調査,センター作成) 白浜式尖底深鉢形土器… 六ヶ所村・千歳(13)遺跡 (県埋蔵
文化財
調査センター,蔵) 白浜式尖底深鉢形土器… 六ヶ所村・千歳(13)遺跡 (県埋蔵
文化財
調査センター蔵),寺ノ沢式尖底深鉢形土器… 六ヶ所村・千歳(13)遺跡 (県埋蔵
文化財
調査センター蔵),物見台式尖底深鉢形土器… 六ヶ所村・千歳(13)遺跡 (県埋蔵
文化財
調査センター蔵)
通史編5(近・現代2)
(菊ともみじまつり)
菊ともみじまつり 弘前市の
文化財
保護政策は国や県と同様、有形・無形ともにあった。,有形
文化財
の代表格が国の史跡となった弘前城跡であるならば、無形
文化財
のそれは祭りであった。
資料編3(近世編2)
(一 農民の生活)
結局、市の指定
文化財
である「石戸谷家住宅」と国指定名勝の瑞楽園にある「旧対馬家住宅」とを挙げることとした,○石戸谷家住宅 浜の町東二丁目--市指定
文化財
「ニワ」から「ウマヤ」「イナベヤ」と広い土間部分
通史編3(近世2)
(町家の遺構)
近世後期の数少ない商家の遺構として貴重である(草野和夫『青森県の民家』一九七七年 東奥日報社刊、『重要
文化財
石場家住宅保存修理報告書,石場家は、黒石の豪商高橋家(たかはしけ)住宅(現黒石市中町、重要
文化財
)とともに現存する町屋の遺構の双璧
資料編1(考古編)
(〈引用・参考文献〉)
市川金丸「旧石器時代」『青森県の考古学』青森大学出版局 1983年8月 上記のほか、青森県埋蔵
文化財
調査報告書
資料編1(古代・中世編)
(七 板碑の発見と保護の状況)
現在行方不明になっている大鰐町蔵館の板碑(『陸奥古碑集』所載) 現在津軽地方の板碑の多くは
文化財
,各町村とも
文化財
として指定し、保護の手を加えているところが多い。,の板碑群,重要美術品に指定されている正応の板碑(写真左)を含む なお、弘前市は次の板碑を有形
文化財
通史編3(近世2)
(普門院)
昭和五十五年(一九八〇)、円空作の十一面観音(弘前市指定有形
文化財
)が発見された。
通史編5(近・現代2)
(岩木山の登拝行事)
岩木山の登拝行事 国の「重要無形民俗
文化財
」として昭和五十九年一月に指定されている。
通史編1(自然・原始)
(現在の態勢)
の社会教育課から文化課を独立させ、さらに増加を続ける緊急調査に対し、昭和五十五年(一九八〇)には埋蔵
文化財
調査,の強い絆で発行している『撚糸文』という研究会誌がみられ、ほかに昭和三十年(一九五五)に発足した青森県
文化財
保護協会,先述した県の諸機関でも、県埋蔵
文化財
調査センターが、調査遺跡の『発掘調査報告書』と『埋文あおもり』ならびに
資料編3(近世編2)
(はじめに)
それらのあるものは国の重要
文化財
として、またあるものは県の重宝として指定されており、その保存や管理についてはよく,ここでは、重要
文化財
とか県重宝とかという区別を載せながら、一緒に年代順に書き上げてゆく。
通史編4(近・現代1)
(日本聖公会弘前昇天教会(山道町))
平成五年四月十六日、教会堂は青森県指定
文化財
〈県重宝〉になった。 写真132 弘前昇天教会
資料編3(近世編2)
(二 町人の住居)
二 町人の住居 代表的なのは国重要
文化財
の「石場家住宅」であろう。,○石場家住宅 亀甲町--重要
文化財
この家は、代々清兵衛を名乗り、藩内の工芸品や荒物を扱う町屋であった,図35 石場家住宅平面図 (『重要
文化財
石場家住宅保存修理工事報告書』より転載) 図36, 石場家住宅立面図 図37 石場家住宅断面図 (『重要
文化財
石場家住宅保存修理工事報告書
資料編1(考古編)
(「新編 弘前市史」編纂事業関係者名簿(平成6年4月1日現在辞令交付分))
弘前大学教育学部助教授 山口義伸 県立板柳高校教諭 小口雅史 弘前大学人文学部助教授 三浦圭介 県埋蔵
文化財
調査, 弘前大学国史研究会会員 神田健策 弘前大学農学部教授 ○執筆協力員 中畑長四郎 弘前市
文化財
審議委員
通史編1(自然・原始)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
協力者一覧(機関・個人順、五十音順) 青森県環境生活部県史編さん室 青森県立郷土館 青森県埋蔵
文化財
調査
通史編5(近・現代2)
(三 民俗芸能(無形民俗文化・年中行事))
文化庁では無形民俗
文化財
とする。
通史編5(近・現代2)
(ねぷた)
ねぷた 国の「重要無形民俗
文化財
」として昭和五十五年一月に青森市の「ねぶた」とともに指定された。
資料編1(古代・中世編)
(一 銅鐘)
昭和十六年(一九四一)十一月六日、重要
文化財
に指定された。 ,藤崎は、得宗領を管理した安藤氏の拠点であり、北条氏の所領維持政策と結び付く
文化財
と考えられる。
資料編1(考古編)
((1)縄文時代草創期)
図2 縄文時代草創期の土器 隆起線文土器… 六ヶ所村・表館(1)遺跡 (県埋蔵
文化財
調査センター,爪形文土器…八戸市・鴨平(2)遺跡 (県埋蔵
文化財
調査センター蔵) 青森県において出現する初段階
資料編1(考古編)
(2.天王沢遺跡)
※参考文献 青森県教育委員会『小栗山地区遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵
文化財
調査報告書11集)1974
通史編1(自然・原始)
(大森勝山遺跡)
大森勝山遺跡 昭和三十八年(一九五八)より弘前市教育委員会が実施した、岩木山麓の開拓事業に伴う事前の埋蔵
文化財
緊急発掘調査
通史編3(近世2)
(ねぷたの起源と変遷)
「ねぷた」からさらに進めて「ねンぷた」と書くべきであろう(此島正年『青森県の方言』一九六六年 青森県
文化財
保護協会刊,そのほかに「封内事実秘苑」・「津軽徧覧日記」(ともに弘前市立図書館蔵)、『永禄日記』(一九五六年 青森県
文化財
保護協会刊,)・『平山日記(ひらやまにっき)』(一九六七年 青森県
文化財
保護協会刊)をみても、右の二とおりか、または
資料編1(考古編)
(協力機関及び協力者一覧)
順不同、敬称略〉 文化庁 東北大学文学部考古学研究室 弘前大学教育学部村越研究室 青森県埋蔵
文化財
調査
資料編1(考古編)
((3)石製品)
板柳町・土井1号遺跡(晩期) (工藤泰博氏提供) 岩偶…青森市・熊沢遺跡(前期) (県埋蔵
文化財
調査,田子町・石亀遺跡(晩期) (三戸町温故館蔵) 岩偶… 大鰐町・大平遺跡(前期) (県埋蔵
文化財
調査,) (木造町縄文館蔵) 硬玉製垂飾品… 六ヶ所村・上尾駮(2)遺跡(後期) (県埋蔵
文化財
調査
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