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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(二 近代文学の成立(大正の文学))
二 近代
文学
の成立(大正の
文学
) 大正期の本県の文壇は、いわゆる大正デモクラシーの影響を受けつつ、地方性回復,の気運を高め、近代
文学
の基礎を固めた時期であった。,短詩型
文学
はもとより、小説、評論などの分野での隆盛ぶりも目立つ。,中央文壇で活躍する本県出身の作家はもちろん、地元を舞台に
文学
の活性化を図った
文学
者も注目に値する。,大正八年創刊の総合雑誌「黎明(れいめい)」は文字どおり青森県の
文学
の夜明けを目指した。 / 二 近代
文学
の成立(大正の
文学
)
通史編5(近・現代2)
(郷土文学館)
郷土
文学
館 弘前市立郷土
文学
館は、市立図書館の一画にあり、郷土出身の作家の著作物や愛用品等を展示している,石坂洋次郎記念室は、昭和六十一年に洋次郎が亡くなり、その後、作家の遺品が数多く遺族から寄贈され、それが元で県内初の
文学
館建設,のみならず、日本全国の国民から愛されたかを物語っている(なお、郷土の作家の詳細については、本書第八章第一節「
文学
活動,写真216 郷土
文学
館石坂洋次郎記念室 / 郷土
文学
館
通史編5(近・現代2)
(三 津軽の文学の新たな展開(昭和の文学))
三 津軽の
文学
の新たな展開(昭和の
文学
) 昭和二年(一九二六)の芥川龍之介の自殺は、昭和の時代の困難,文壇事情も葛西善蔵の死後、後退期に入った既成のリアリズムと台頭してきたプロレタリア
文学
、さらに、新感覚派,新心理派を含むモダニズムとが対立しながら並存するという、いわゆる〈三派鼎立(ていりつ)〉のまま、昭和の
文学
,また、国際的な紛争はやがて日本を軍国化していくが、
文学
もまたその荒波をまともに受けた。,今官一は福士幸次郎の薫陶を受けた一人だが、「わらはど」で
文学
に開眼、昭和五年には井上靖らと「
文学
ABC / 三 津軽の
文学
の新たな展開(昭和の
文学
)
通史編5(近・現代2)
((一)北の文学連峰)
(一)北の
文学
連峰 青森県の近・現代
文学
を鳥瞰するとき、津軽の風土がいかに多くの
文学
者を世に送り出しているかということに,(『座談会 大正
文学
史』昭和四十二年版 岩波書店刊) 津軽の
文学
者と風土を「日本の
文学
の一つの鉱脈,東北の血を持った
文学
者たちに、なにかロシア
文学
的な、つまり鈍重で深遠で思想的であり、土着的でユーモラス,わけても、津軽の
文学
を語るとき、見過ごしてはならないのは、
文学
者同士がきわめて強い関係性を持っているということである,そして、津軽の
文学
者同士の関係性が深いという意味は、後輩が
文学
の先達を高く評価している、ということにほかならない / (一)北の
文学
連峰
通史編5(近・現代2)
(今官一の文学の魅力)
詩情あふれる
文学
は、はるかな海や辺境へのロマンを感じさせる。,編集した小山内時雄がその「後記」で今官一の
文学
を、次のように分析している。,いま、今官一の
文学
を概観したいのだが、むろん、この作品集を避けて通ることはできない。,それでは、その魅力的な
文学
の源流はどこにあるのか。,すなわち、官一はいつごろから
文学
を志したのだろうか。 / 今官一の
文学
の魅力
通史編5(近・現代2)
((三)北の文学連峰の現在)
(三)北の
文学
連峰の現在 戦時中に、津軽で疎開生活を送っていた秋田雨雀、石坂洋次郎、太宰治らが優れた,作品を残したことはむろんだが、この先達たちが、津軽に住んで
文学
を志す多くの人たちに強い影響を与えたことは,そして、本県の
文学
活動もまた敗戦直後からその活動を開始した。,小山内時雄らと〈葛西善蔵忌〉を主催するなど、晩年に至るまで
文学
活動を続けた。,
文学
者のほかに、弘前市が全国に誇ることができる編集者がいる。 / (三)北の
文学
連峰の現在
通史編5(近・現代2)
(弘前学院大学の開学)
昭和四十五年九月三十日、短期大学英文科、国文科を母体として、四年制大学
文学
部英米
文学
科、日本
文学
科の設置,同年四月十五日に入学式を挙行、第一回入学者は英米
文学
科三九人、日本
文学
科二一人であった。,入学定員は英米
文学
科五〇人、日本
文学
科五〇人である。,で、教科はともに英語であり、日本
文学
科も同様で、教科は国語である。,平成十四年には、
文学
部英米
文学
科および日本
文学
科をそれぞれ英語・英米
文学
科および日本語・日本
文学
科に改称
通史編5(近・現代2)
(新進気鋭の評論家)
八年、『身体の零度』で第四七回読売
文学
賞、十四年には『青春の終焉(えん)』で芸術選奨文部科学大臣賞、第一三回伊藤整
文学
賞,ところで、この評論『青春の終焉』は、日本の近代
文学
、現代
文学
のみならず世界の
文学
にも、いや、
文学
だけではない,日本の近代
文学
を、否、世界の
文学
をも席捲(せっけん)した〈青春〉が、
文学
や政治から姿を消したのはなぜか,小林秀雄をはじめ三島由紀夫、中村光夫らに触れ、日本の近代
文学
の根幹には〈青春〉が確かにあった、と論を進
通史編5(近・現代2)
(人生の師・福士幸次郎と出会う)
人生の師・福士幸次郎と出会う 官一は、かなり早い時期から
文学
を志していたようである。,(特別展「今官一展」平成十五年七月 青森県近代
文学
館刊) 入学の面接のときに〈
文学
者になる〉決意を,表明したということは、それ以前からすでに
文学
に相当親しんでいたことを意味する。,世界
文学
全集もその中にあった。,
文学
だけではない。その生き方にまで幸次郎は強い影響を与えた。
通史編1(自然・原始)
(「新編 弘前市史」編纂事業関係者名簿(平成十三年一月一日現在辞令交付分))
〃 村越潔 青森大学社会学部教授・考古学研究所顧問 〃 長谷川成一 弘前大学人
文学
部教授, 〃 村越潔 青森大学社会学部教授・考古学研究所顧問 〃 長谷川成一 弘前大学人
文学
部教授,菊池正司 尾上町立尾上中学校教諭 Ⅱ 近世専門部会 部会長 長谷川成一 弘前大学人
文学
部教授,国際基督教大学教養学部教授 〃 高島成侑 八戸工業大学工学部教授 〃 須藤弘敏 弘前大学人
文学
部教授, 〃 池田憲隆 弘前大学人
文学
部助教授 〃 竹村俊哉 青森県立青森南高校教諭
通史編4(近・現代1)
(ジョン・イングの貢献)
にクラークが伝えた開識社が、日本で最も早い
文学
会組織とされている(明治九年十一月ごろの発足)。,東奥義塾の「
文学
社会」の場合、明治七年末のイング着任後それほど時間を置かずに伝えられたと考えられる。,この「
文学
社会」はやがて「
文学
会」と名前を変え、東奥義塾の生徒たちに大きな影響を及ぼした。,さらに明治二十年代になると、「
文学
会」は市中でも開催されるようになった。,明治十年代半ばからでき始めた町道場でも、やがて「
文学
会」や「
文学
部」が作られるようになり、青年たちは武術
資料編1(考古編)
(「新編 弘前市史」編纂事業関係者名簿(平成6年4月1日現在辞令交付分))
齊藤利男 弘前大学教育学部助教授 山口義伸 県立板柳高校教諭 小口雅史 弘前大学人
文学
部助教授, 菊池正司 岩木町立津軽中学校教諭 〔Ⅱ 近世専門部会〕 ○部会長 長谷川成一 弘前大学人
文学
部教授, 成田敏 県立郷土館主任学芸主査 高島成侑 八戸工業大学教授 須藤弘敏 弘前大学人
文学
部助教授,弘前市教育委員 ○執筆編集員 稲葉克夫 田舎館村誌編さん委員会事務局長 吉村和男 市立郷土
文学
館嘱託員, 中畑長四郎 弘前市文化財審議委員 斎藤三千政 県立弘前高校教諭 池田憲隆 弘前大学人
文学
部助教授
通史編5(近・現代2)
((四)その他の作家・編集者)
(四)その他の作家・編集者 昭和の津軽の
文学
を語るとき、どうしても触れておきたい
文学
者や編集者がいる,昭和九年に刊行した長編小説『囚はれた大地』(資料近・現代2No.六五三)で、プロレタリア
文学
の新星として,平成七年(一九九五)に発足した弘前ペンクラブの初代会長を務めるなど、
文学
活動においても後輩を育てた。,加藤は紅緑の旧制弘前中学の後輩ではあるが、津軽の先達を日本
文学
史に残したという功績は高く評価されよう。,まさに〈北の
文学
連峰〉のその絆の強さと、人と人との出会いの不思議な縁を痛感せざるを得ない。
通史編5(近・現代2)
((一)不滅の作家・太宰治)
そのなかで、もっとも早い時期に太宰治の
文学
を評価したのが小野正文である(資料近・現代2No.六六〇)。,津軽に産れ、育ったということが太宰
文学
のキーワードではないか。,パラドシカル(〔キ脱〕)であるが、もっとも土俗的な
文学
者からもっともインターナショナルな、普遍的な
文学
,
文学
者井上靖氏が、もし日本の
文学
者から
文学
オリンピックの代表を一人えらぶとすれば、漱石でも川端康成でもなく,(「太宰治展」所収 昭和六十三年五月 日本近代
文学
館刊) 写真256 太宰治
通史編5(近・現代2)
(同人誌時代-太宰治とともに)
そしてロシア
文学
に関心を示す。,昭和五年には井上靖らと同人誌「
文学
ABC」を発行。,今官一にとって、福士幸次郎を〈人生の師〉とすれば、新感覚派の旗頭・横光利一は〈
文学
の師〉、そして太宰治,を〈
文学
の友〉と呼ぶことができる。,幸次郎の推薦もあって、やがて横光利一に師事し、
文学
修行を積んでいたとき、同人誌「海豹」の創刊の話が持ち
通史編5(近・現代2)
(新民謡)
文学
における北原白秋、野口雨情、音楽における中山晋平(明治二〇-昭和二七 一八八七-一九五二)などによる,文化潮流であり、弘前においても、大正十二年に帰郷した福士幸次郎(ふくしこうじろう)(本章第一節第二項「近代
文学
,の成立(大正の
文学
)」参照)に感化を受けた芸術家の運動、活動、作品群が現れる。
資料編3(近世編2)
(「新編 弘前市史」編纂事業 関係者名簿(平成十一年四月一日現在辞令交付分))
元弘前市教育委員 〃 村越潔 青森大学考古学研究所長 〃 長谷川成一 弘前大学人
文学
部教授,元弘前市教育委員 〃 村越潔 青森大学考古学研究所長 〃 長谷川成一 弘前大学人
文学
部教授, 菊池正司 尾上町立尾上中学校教諭 Ⅱ 近世専門部会 部会長 長谷川成一 弘前大学人
文学
部教授,調査協力員 山本博文 東大史料編纂所助教授 〃 大友一雄 国
文学
研究資料館史料館助教授, 〃 齋藤三千政 青森県教育庁スポーツ健康課指導主事 〃 池田憲隆 弘前大学人
文学
部助教授
通史編5(近・現代2)
(川村杜山の自殺)
郷土作家研究家の藤田龍雄(ふじたたつお)(昭和三-昭和五五 一九二八-一九八〇 平賀町)は「杜山の死は地方にいて
文学
,くして生きている証を立てねばならぬと願望する青年群像は、故郷を捨て、東京へと流れこむのである」(『青森県
文学
史,藤田龍雄の指摘は、まさに〈地方と中央〉という、
文学
にとって普遍的な問題に触れているゆえに重要である。
通史編5(近・現代2)
(虚弱な少年時代)
善蔵に心酔していた洋次郎がその影響を脱却したときから、独自の石坂
文学
を確立していったことは、すでに述べた,昭和二年、「海をみに行く」と「炉辺夜話」を「三田
文学
」に発表する。,この一三年間の教員生活が石坂
文学
のバックボーンとなる。 ,昭和八年、「三田
文学
」に「若い人」を発表、好評を博し続編を掲載する。同年「麦死なず」を発表。,四十九年(一九七四)、りんご公園に建立された
文学
碑の碑文はこの作品の「あとがき」の一節をペースにしている
通史編5(近・現代2)
(突然の転任)
の女学校の教師となった最初の夏に、たまたま帰郷した善蔵の疾風怒濤(どとう)に遭遇していなければ、石坂
文学
,とおもわれる合理性と近代性からして、いずれはおなじ道に進んだのかもしれないが、ひとつの重要な契機としては、
文学
青年時代,に心酔していた葛西善蔵と訣別し、彼を反面教師とすることによって、わが国には珍しい市民的な
文学
、向日的な,明るい青春
文学
の作家石坂洋次郎が誕生したのである。,そういえば、作中で坂口は野村氏に「貴方は
文学
に何を求めていられるのですか」と問い、「貴方は真実に対する
通史編4(近・現代1)
(協力機関一覧(五十音順))
青森市) 青森銀行記念館(弘前市) 青森県 青森県議会図書室 青森県史編さん室 青森県近代
文学
館,弘前市教育委員会 弘前商工会議所(弘前市) 弘前昇天教会(弘前市) 弘前市内各県立高等学校 弘前市立郷土
文学
館
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
相馬錩一氏蔵 口絵7 弘前市 藤先寺蔵 口絵8 中津軽郡岩木町 高照神社蔵 口絵9 御国中道程之図 国
文学
研究資料館史料館蔵津軽家文書,53 領知目録 天保10年 国
文学
研究資料館史料館蔵津軽家文書 54 京都市 財団法人陽明文庫蔵 55,京都絵図 弘前市立博物館蔵 56 津軽為信夫妻画像 国
文学
研究資料館史料館蔵津軽家文書 57 長谷川成一,167 国
文学
研究資料館史料館蔵津軽家文書 168 撮影 169 弘前市立図書館蔵八木橋文庫 170,長谷川成一「慶安二年「弘前古御絵図」―若干の解説と復元」『文化における北』56頁 1989年 弘前大学人
文学
部人
文学
科特定研究事務局刊
通史編5(近・現代2)
(直木賞を受賞す)
今官一
文学
の核心を衝(つ)いた評言である。,昭和二十一年に〈人生の師〉福士幸次郎を、二十二年には〈
文学
の師〉横光利一を、そして二十三年には〈
文学
の,今官一の
文学
は、むしろ芥川賞にふさわしいと言えるかもしれない(同前No.六七四)。
通史編5(近・現代2)
(津軽の精神風土を追究)
さらに、『見知らぬ戦場』で第六回新田次郎
文学
賞を受賞。それだけではない。,だから、長部日出雄は津軽の
文学
の集大成者と言える。 ,これほど津軽の風土、棟方志功や太宰治をはじめとする津軽の
文学
者を、つまり、小説やエッセイ、そして映画で,その功績は、まことに偉大であり、まさに〈北の
文学
連峰〉を象徴する作家である、というほかない。
通史編5(近・現代2)
(不当な評価を是正したい)
したい 今官一の〈作品集〉に所収の「手前味噌で韲(あ)えた大塚甲山論」で述べている次の一節は、今官一
文学
,官一の
文学
へのこの姿勢と、その知的で詩情にあふれる文体は、例えば、昭和四十年の半年間、雑誌「自由」に連載,中略)第十九章の題になっている「永遠のフロンティア」は、ドイツ・ロマン派の「青い花」とおなじように今
文学
,この章で星座をめぐってかわされる会話は、日本という限定なしでロマン派と呼ぶにふさわしい今
文学
のピークのひとつである
通史編5(近・現代2)
((一)私小説の神様・葛西善蔵)
神様・葛西善蔵 葛西善蔵は〈私小説の神様〉とも、また、〈極北〉とも称され、わが国を代表するリアリズム
文学
者,したがって、善蔵は芥川龍之介とともに大正期の日本
文学
の両雄と高く評価されている。 ,昭和三十一年(一九五六)七月二十三日、碇ヶ関村の三笠山に
文学
碑が建立された。
通史編5(近・現代2)
(弘前学院短期大学の開学)
年当時の弘前学院短期大学(北瓦ヶ町) 昭和四十六年(一九七一)一月二十七日、四年制の弘前学院大学
文学
部英
文学
科,、日本
文学
科の設置が認可されたのに伴い、短期大学英文科、国文科は四十六年度をもって廃止され、家政科のみが
通史編5(近・現代2)
((三)佐藤紅緑の活躍)
以後紅緑は多彩な
文学
活動を展開していくことになるのだが、特筆すべきことは、紅緑に先立つ建部綾足(たけべあやたり,なぜなら、津軽という風土が先駆的なこの偉大な文人を産み出したことを報告し、その
文学
と風土の〈関係性〉を
通史編5(近・現代2)
(掲載写真の典拠・所蔵一覧)
青森大空襲の記録-次代への証言 特別号』青森空襲を記録する会 1995年 写真242 弘前市立郷土
文学
館協力,写真243 同 上 写真244 養生幼稚園蔵 写真245 弘前市立郷土
文学
館協力 写真246, 『北の夜明け-青森県の近代
文学
明治期-』青森県近代
文学
館 1997年 写真247~写真260 弘前市立郷土
文学
館協力,写真261 『北の文脈-青森県の近代
文学
』青森県近代
文学
館 1994年 写真262 弘前市立郷土
文学
館協力
通史編5(近・現代2)
((二)明治言論界の巨星・陸 羯南)
(二)明治言論界の巨星・陸 羯南 本県の散文界に新しい
文学
の運動の萌芽を看取できるのは、明治の後半になってからである,なぜなら、島崎藤村に深く傾倒していたこの二人が青森県の近代
文学
の草分けであったからである。
通史編1(自然・原始)
(亀ヶ岡文化の広がり)
ヶ岡遺跡 (個人蔵) 大洞BC式注口土器 弘前市・十腰内遺跡(旧カメコ山) (東北大学
文学
部考古学研究室蔵,) 大洞C1式壺形土器 弘前市・十腰内遺跡(旧カメコ山) (東北大学
文学
部考古学研究室蔵
通史編2(近世1)
(一九 津軽藩官制・職制・禄制・租税制)
弘前市立図書館・国
文学
研究資料館史料館蔵。
通史編5(近・現代2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
青森県立図書館 弘前カトリック教会 (弘前市) 青森県近代
文学
館, 弘前商工会議所 (弘前市) 学校法人城東学園 (弘前市) 弘前市立郷土
文学
館
通史編2(近世1)
(一三 津軽藩旧記伝類(きゅうきでんるい))
津軽藩旧記伝類(きゅうきでんるい) 「津軽旧記類」の続編として、津軽家一門や藩主の夫人、著名な藩士、
文学
通史編5(近・現代2)
(佐藤正三と二・二六事件)
今回は比較的易しいはずの
文学
部だった。二倍の競争だ。,そして『東北
文学
』に創作『艤装』四五枚を書く。『
文学
界』や『文芸首都』も読み出す。,
文学
への熱が上がり、「相沢中佐の片影」を書いたのが最大の仕事と自認した。,着いてすぐ東北帝大法
文学
部へ入学願書を出すが拒否される。
通史編2(近世1)
(一四 津軽家御定書(おさだめがき))
国
文学
研究資料館史料館蔵。『史料館叢書3 津軽家御定書』として一九八一年刊行。
通史編2(近世1)
(越後加増説)
これに対して、国
文学
研究資料館史料館所蔵の津軽家文書の中に、正徳元年(一七一一)に五代藩主信寿(のぶひさ,時一五万石に加増される可能性があったのである(浅井潤子「津軽の国替騒ぎ」『史料館報』六 一九七八年 国立国
文学
研究資料館史料館刊
通史編3(近世2)
(稽古館暦)
の改暦を行い、当時江戸で名を馳せていた天文方高橋至時(よしとき)のもとで天文暦学を修めて帰ってきた天
文学
学頭
通史編2(近世1)
(四 御用格(ごようかく))
弘前市立図書館・独立行政法人国
文学
研究資料館史料館に収蔵されているが、弘前市教育委員会から翻刻本が刊行
通史編1(自然・原始)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
青森県埋蔵文化財調査センター 田舎館村教育委員会 大館市立中央図書館 開成技術株式会社 国土地理院 東北大学
文学
部考古学研究室
通史編2(近世1)
(近世における史書の編纂)
(なお、この項の記述は主として、長谷川成一「津軽藩藩政文書の基礎的研究(一)」『文経論叢』一五―一・
文学
科篇
通史編5(近・現代2)
(独立不羈の陸羯南)
陸羯南をパイオニアとし、多くの言論人、
文学
者が輩出した郷土を誇りに思うと同時に、本稿が、後輩が先輩を高,く評価する、というスタイルで津軽の
文学
を概観しているゆえんは、まさに、この羯南の巨大な存在があったからである
通史編5(近・現代2)
(「草を刈る娘」について)
それが三年か四年つづいた」(『昭和
文学
全集21 石坂洋次郎集』昭和二十八年 角川書店刊)と自筆年譜に記,さて、この二十二年(一九四七)には日本
文学
史に特筆される作品が出現する。,したがって、この年は作品の量産もさることながら、石坂
文学
を代表する作品が出揃った観がある。,また、平成十三年(二〇〇一)五月二十七日、岩木山麓の岩木山総合公園内に「草を刈る娘」の
文学
碑と「青い山脈,写真255
文学
碑「草を刈る娘」
通史編5(近・現代2)
(故郷へ帰る)
(特別展「今官一展」平成十五年七月 青森県近代
文学
館刊) 言葉を得た官一は、早速作家活動を再開する,今官一の
文学
は知的で詩情にあふれていて、そして私生活においても一貫した美学を追い求めた。
通史編5(近・現代2)
(美術団体の発足と展開)
六花会は、今純三(こんじゅんぞう)、秋田雨雀(あきたうじゃく)(
文学
者)、前田照雲、工藤翠雲、中野洋雲,、江部鴨村(
文学
者)、木谷末太郎、小林喜代吉、西館栄子、石戸谷津南、鹿内芳洲、三国花影らを中心に、美術,、
文学
、音楽、演劇の各分野にわたる青森県出身・関係者で構成され、会員の親睦と芸術の向上発展、諸種の援助
通史編5(近・現代2)
(県詩壇の重鎮・一戸謙三)
平成十一年十一月、弘前市の藤田記念庭園前に、その「弘前(シロサギ)」の一節を碑文にした
文学
碑が建立された
通史編5(近・現代2)
(少年小説の金字塔)
児童
文学
史上、画期的な出来事であり、少年小説の金字塔と評価された。
通史編5(近・現代2)
(空前のベストセラー)
昭和十一年(一九三六)には『若い人』で第一回三田
文学
賞(同前№六五七)を、四十一年(一九六六)には「健全
通史編5(近・現代2)
(善蔵と洋次郎)
善蔵と洋次郎 多くの評者がつとに指摘しているように、「金魚」(昭和八年)は石坂
文学
の成立にかかわるきわめて,なぜなら、弘前市という舞台が、いかに日本
文学
に影響を与えたか、その典型的な例を看取できるからである。
通史編5(近・現代2)
(ルポライターの第一人者)
平成二年(一九九〇)に『反骨 鈴木東民の生涯』で第九回新田次郎
文学
賞受賞。,ここにも〈津軽の
文学
者の関係性〉を看て取ることが、確かにできる。
/ 3ページ