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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(大光寺新城跡)
大光寺
新城
跡 大光寺
新城
跡(写真217)は南津軽郡平賀町字三村井に所在する。,写真217 大光寺城跡空撮 大光寺
新城
跡の発掘調査は昭和六十三年(一九八八)から土地開発に伴い,写真218 大光寺
新城
跡検出の土橋 出土遺物は武器・武具関係が多く、武器としては鉄鏃(蕪(かぶら,とくにこの大光寺
新城
は出土品が多い(図80)。,図80 大光寺
新城
跡出土の遺物 / 大光寺
新城
跡
通史編1(古代・中世)
((五)発掘調査から見た遺跡)
さらに津軽領内での合戦の舞台として登場してくる平賀町大光寺
新城
跡、藤崎町藤崎城跡なども開発に伴う緊急発掘調査
資料編1(考古編)
(39.鶴ヶ坂層Ⅲ)(つるがさかそう))
新城
川流域及び大釈迦・前田野目付近に広く分布する。
通史編2(近世1)
(一里塚)
羽州街道の場合は「大手町境御門より碇関峠御境迄(まで)道程絵図」と「東御門町境より
新城
村通油川村御札所,たとえば「東御門町境より
新城
村通油川村御札所迄道路絵図」では、弘前城下を出てから二つ目の一里(一里塚)
通史編1(古代・中世)
(夷語を解する小野春風)
井川・飯田川)・姉刀(あねたち)(五城目)・方上(かたがみ)(昭和・天王)・焼岡(たけおか)(金足・
新城
資料編3(近世編2)
(1 弘前城の歴史)
そこで新たに「高岡」の地へ
新城
築城を計画し、幕府にその許可を求めるとともに、町割りに着手したのが慶長八年
資料編1(古代・中世編)
(五 乳井地区の城館群と宗教的領域)
その居城は、はじめ乳井古館にあり、のち乳井城(乳井
新城
)に移ったと伝えられる。,福王寺玄蕃が
新城
としたという「乳井城」もまた、乳井の台地の北端に設けられ、南の茶臼館と同様、館の西側直下
通史編4(近・現代1)
(鉄道の開通と運輸事業)
新城
大釈迦 浪岡 弘前 大鰐 碇ヶ関運賃 八・五銭 二三銭 三〇・五銭 五五・五銭 七三銭 八八銭
資料編1(考古編)
(第3節 中世・近世の住居と集落)
高館遺跡 黒石市 12 竪穴 集落 28 板留(2)遺跡 黒石市 13,14 竪穴 集落 31 大光寺
新城
跡
通史編2(近世1)
(外浜の掌握と開発)
一方、荒川村(現青森市)は、浪岡から青森に抜ける大豆坂(まめさか)街道に位置し、横内(よこうち)・
新城
通史編1(古代・中世)
(嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)
その四人に続く「安倍季盛(すえもり)」は、時代からみて『十三湊
新城
記』(史料一一四三・写真114)に、,写真114 十三湊
新城
記 とするとその間に入る「沙弥行心(ぎょうしん)」も、配列からみて津軽曽我氏
資料編1(考古編)
((3)葬制(終末期古墳))
このほか、津軽地方では7~8世紀の古墳群に埋葬されるものと同類の勾玉が、田舎館村境森や平賀町大光寺
新城
遺跡
通史編1(自然・原始)
(位置と地勢)
陸奥湾に入る川に、青森市内を北流する堤川、津軽半島東部の
新城
(しんじょう)川、蟹田(かにた)川などがある
資料編1(考古編)
(第6節 金属製品)
銭貨名 鋳造国 初鋳年 館山 乳井 奥内 原別 猿賀 岡本 石川 十三 浪岡城 埋納 南沢 小沢
新城
,銭貨名 鋳造国 初鋳年 館山 乳井 奥内 原別 猿賀 岡本 石川 十三 浪岡城 埋納 南沢 小沢
新城
,銭貨名 鋳造国 初鋳年 館山 乳井 奥内 原別 猿賀 岡本 石川 十三 浪岡城 埋納 南沢 小沢
新城
,銭貨名 鋳造国 初鋳年 館山 乳井 奥内 原別 猿賀 岡本 石川 十三 浪岡城 埋納 南沢 小沢
新城
通史編1(自然・原始)
(第一節~第三節 引用・参考文献)
〇〇〇a) 第一章自然環境、浪岡町史 第一巻、浪岡町、四~三九頁 山口義伸(二〇〇〇b) 第三章大光寺
新城
跡周辺,の地形及び地質について、大光寺
新城
跡遺跡-第十次発掘調査-、平賀町埋蔵文化財報告書 第二六集、平賀町教育委員会
通史編4(近・現代1)
(道路改修問題と佐和知事)
表20 弘前市関係各道路線表 名称 起線 経過市町村 終尾 第41号国道 青森市長島 滝内村、
新城
村、
通史編5(近・現代2)
(公労協ストの本県の情況)
弘前発午前六時四十七分の青森行き列車に乗るつもりで来た通勤・通学客約三〇〇人は足止め、さらに北常盤、浪岡、津軽
新城
資料編1(考古編)
(〈1〉津軽地方の土師器と擦文土器)
岩木町百沢字東岩木山 集落 〃 10C後 7 古館遺跡 大鰐町蔵館字古館 防御性集落 〃 11C 8 大光寺
新城
遺跡
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
秋田領境之明神堂(さかいのみょうじんどう)~大間越~深浦~鰺ヶ沢~十腰内(とこしない)~弘前~藤崎~浪岡~
新城
通史編2(近世1)
(参勤交代路と街道の状況)
弘前~油川間では大釈迦(だいしゃか)から
新城
(しんじょう)間の津軽坂山中が二間で、三間のところもあるという
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
杉館跡 平賀町 16 陶磁器 30 五輪堂遺跡 平賀町 13,14 陶磁器 22ほか 31 大光寺
新城
跡
通史編1(古代・中世)
(東北地方北部の群集墳)
津軽地方では、群集墳に埋葬されているものと同類の勾玉が田舎館村境森や平賀町大光寺
新城
遺跡で、銅釧(どうくしろ
通史編1(自然・原始)
(平賀面)
大光寺
新城
跡は小丘状の平賀面に位置し、発掘調査地点では下位の常盤面と比高三~四メートルの急斜面が認められる
資料編1(古代・中世編)
(一 はじめに)
さらに、為信の意志を継いだ二代信枚は、慶長十五年(一六一〇)、高岡の地に
新城
築城の事業を起こし、翌年、
通史編1(古代・中世)
(堀越城・石川城を中心とした城館群)
石川城周辺の東側に位置する城館では乳井茶臼館跡・乳井城跡・乳井古館跡、北側に位置するものでは平賀町の大光寺
新城
跡
通史編3(近世2)
(帰国の旅)
十四日、午前六時前、尾花沢を出発し
新城
(庄)(しんじょう)で昼の休憩。
通史編1(古代・中世)
(堀越城と城下町)
街道は「羽州街道」と呼ばれるもので、県内では碇ヶ関-堀越-弘前-藤崎-浪岡-
新城
(しんじょう)から奥州街道
通史編2(近世1)
(中世の北国海運)
図106.酒田市山居倉庫の荷物積み出し場 さて、津軽十三湊は、「十三往来」や「十三湊
新城
記」などの
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
年度浪岡城跡発掘調査報告書 浪岡城跡Ⅹ-内館調査のまとめ-』 1989年 65) 平賀町教育委員会 『大光寺
新城
跡遺跡発掘調査報告書第,中里町教育委員会 『中里城跡Ⅰ』(中里町文化財調査報告書第2集) 1990年 69) 平賀町教育委員会 『大光寺
新城
跡遺跡発掘調査報告書第
資料編1(考古編)
((1)祭祀と仏教文化の波及)
石製勾玉1 7 堀合Ⅲ号遺跡 南津軽郡平賀町大字唐竹字堀合 遺構外 土製勾玉1 8 大光寺
新城
跡遺跡
通史編1(自然・原始)
(古懸浮石流凝灰岩)
40°49'13” E140°40'07” 青森市
新城
字平岡
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
2』1997年 弘前市教育委員会刊 図80 平賀町教育委員会『平賀町埋蔵文化財報告書第19集 大光寺
新城
跡遺跡発掘調査報告書
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
十二世紀後半~十三世紀初頭=平安末期~鎌倉時代)(142)、南津軽郡平賀町大光寺(だいこうじ)の大光寺
新城
遺跡
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
中崎館遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一二九) 一九九〇年三月 (143)平賀町教育委員会 『大光寺
新城
跡遺跡発掘調査報告書
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
神職 (27) 藤崎熊野大権現 未詳 坂上田村麻呂 修験 常福院 「往古真言宗寺院退転シテ今号二
新城
館一
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
大沼遺跡発掘調査報告書』(浪岡町埋蔵文化財緊急発掘調査報告書第4集) 1990年 *277 平賀町教育委員会 『大光寺
新城
跡遺跡
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
……………………………………………………………………………………………………… 歴代残闕日記 十三湊
新城
記
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