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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(正蓮寺)
『
新撰陸奥国誌
』は、栄存は伊勢国(現三重県)桑名の出身で、寛永年間(一六二四~四三)に元寺町に創建し、
通史編3(近世2)
(浄龍寺)
『
新撰陸奥国誌
』によると、善覚は越前国(現福井県)敦賀の出身で、正保元年にこの地に至り、慶安元年(一六四八
通史編3(近世2)
(浄徳寺)
『
新撰陸奥国誌
』は、越後国(現新潟県)出身の仙休が寛永年間(一六二四~四三)にこの地に至り、慶安元年(
通史編3(近世2)
(教応寺)
きょうおうじ)は、正保元年(一六四四)、了春が開基・開山となって創建した(資料近世2No.四〇九)、『
新撰陸奥国誌
通史編3(近世2)
(明教寺)
『
新撰陸奥国誌
』によると、玄龍は常陸国(現茨城県)鹿島郡高松の出身で、寛永二年(一六二五)、賀田村(現中津軽郡岩木町
通史編3(近世2)
(白道院)
『
新撰陸奥国誌
』によると、土手町大橋の下に庵を構えていた欣求が、寛文三年(一六六三)に本堂を建立し、貞昌寺世誉
通史編3(近世2)
(法源寺)
『
新撰陸奥国誌
』は、浪岡から元寺町へは慶長十一年(一六〇六)、新寺町へは慶安三年に移ったという。
通史編3(近世2)
(満行院)
『
新撰陸奥国誌
』によれば、明治三年(一八七〇)、受源院に合併されたが、同七年、本行寺二八世日熈が復興した
通史編3(近世2)
(感応寺)
『
新撰陸奥国誌
』は、元文五年、日貞の再興とし、七面堂・日蓮堂・清正公堂があったという。
通史編3(近世2)
(宝泉院)
『
新撰陸奥国誌
』は、この用水を宝泉、村名を鬼沢としたことから、この寺の山号赤倉山、寺号宝泉院もこれによって
通史編3(近世2)
(専徳寺)
『
新撰陸奥国誌
』によると、誓円は九州菊池氏の一族で、本願寺蓮如の弟子となり、為信の帰依によって一町田村
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
大仏院蔵 186 弘前市 長勝寺蔵 187 弘前市 貞昌寺蔵 188 弘前市 弘前神明宮蔵 189
新撰陸奥国誌
,207 東京都台東区 津梁院 208 同上 209 弘前市 薬王院 210 弘前市 袋宮寺 211
新撰陸奥国誌
,221 弘前市 本行寺 222 弘前市 法立寺 223 弘前市 天満宮 224 弘前市 最勝院 225
新撰陸奥国誌
,東京大学史料編纂所蔵 226 同上 227 弘前市 和徳稲荷神社 228 弘前市 護穀神社 229
新撰陸奥国誌
, 巻30 東京大学史料編纂所蔵 230
新撰陸奥国誌
巻24 東京大学史料編纂所蔵 231
新撰陸奥国誌
通史編3(近世2)
(真教寺)
『
新撰陸奥国誌
』は新旧の鐘銘を載せている。
通史編3(近世2)
(本町の繁栄)
によると家数は一〇〇数えられ(長谷川成一編『弘前城下史料』下 一九八六年 北方新社刊)、明治初年の『
新撰陸奥国誌
通史編4(近・現代1)
(村の実情)
しかし、ここ宮地村は戸数僅に五十余戸-「
新撰陸奥国誌
」によれば田畑を専(もっぱら)の産とすれども土地下
通史編1(古代・中世)
(藤崎城と中世都市)
明治初年に編纂された『
新撰陸奥国誌
』によれば、伝馬丁・新町・木挽町・横町・下町・本町・館町・表町・舟場町,藤崎城に関する史料は文明二年(一四七〇)(史料八四七)のものや『
新撰陸奥国誌
』などによると、天文二年(
資料編1(古代・中世編)
(一 大浦城の立地と現状)
大浦城はまた、地名を取って「大浦賀田城」(『
新撰陸奥国誌
』)「八幡城」(慶安二年「津軽領分大道小道磯辺路并船路之帳
通史編3(近世2)
(幕末期の市域)
富田新町・新品川町・新寺町新割町なども慶応から明治初期にかけてできた侍町である(『
新撰陸奥国誌
』)。
通史編1(古代・中世)
(乳井福王寺の伝承)
とくに明治五年から九年にかけて編纂された『
新撰陸奥国誌
』に記されている、弘前市の乳井福王寺(明治初めの
通史編1(古代・中世)
(青森県内の田村麻呂伝説)
また観音に限らず『津軽一統志』首巻や『
新撰陸奥国誌
』などによれば、田村麻呂建立縁起をもつものは枚挙にいとまがない
資料編1(古代・中世編)
(二 大浦城の歴史)
応安四年(一三七一)の板碑は、大浦城跡の本丸石垣より出土したものと伝えられ(中村良之進『陸奥古碑集』)、『
新撰陸奥国誌
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
弘前市立図書館蔵岩見文庫 96 弘前惣御絵図 元禄11年 弘前市立博物館蔵 97 南津軽郡岩木町 高照神社蔵 98
新撰陸奥国誌
,弘前市立図書館蔵岩見文庫 124 弘前市 専修寺蔵 125 青森県立郷土館蔵 126 撮影 127
新撰陸奥国誌
,二戸市立中央公民館蔵 二戸市史編さん室写真提供 163 輿車図考附図 乙 弘前市立図書館蔵 164
新撰陸奥国誌
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
本項では、それを受けて、『
新撰陸奥国誌
』によりながら、弘前地域に限定した寺社世界の中世的な展開相を眺めてみることにしよう,前項一でみた『津軽一統志』のなかの、主要寺社から、弘前と深いかかわりを有するものを摘記(てっき)して、『
新撰陸奥国誌
資料編1(古代・中世編)
(五 大浦城と「城下」の構造)
これについては、昔から大浦城の東側=賀田地区が旧城下町とされ、明治初年編纂の『
新撰陸奥国誌
』にも「当時城市全盛
資料編1(古代・中世編)
(六 板碑の調査・研究史)
平尾魯仙『合浦山水観』〈弘前市立図書館蔵〉所載)中別所の公卿塚の板碑を写生 明治維新後、青森県は『
新撰陸奥国誌
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
写真223 『津軽一統志』法立寺 その造立事情を『
新撰陸奥国誌
』はこう伝える。
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
について、『津軽一統志』は前者に関し「此山往昔円智上人唐僧開基阿遮羅山」(写真138)と伝え、後者に関し『
新撰陸奥国誌
,また久渡寺も、『
新撰陸奥国誌
』の伝にしたがえば、僧円智が小沢山救度寺(くどじ)と称して創立したという。
通史編1(古代・中世)
(四 執権時頼の東国廻国をめぐって)
その変貌の一端を知る資料として、『
新撰陸奥国誌
』の伝える「中別所村の東、フネン沢の畑中に、石碑四十余枚
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
… 八戸系図・八戸家系・内史略・八戸家伝記・
新撰陸奥国誌
255 ●南部側の所伝に、蠣崎氏を南部守行の,………… 前代歴譜・
新撰陸奥国誌
285 ●天文二年(一五三三)、この年、京都本国寺僧日尋、鼻和郡賀田村
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
…………………………………………………………………………………………………………… 日本思想大系
新撰陸奥国誌
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