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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (新楮町の取り立て)

新楮町の取り立て 享保四年(一七一九)七月、熊谷喜兵衛は屋敷・畑を持たない弟子一五人のために、富田村,品川町の南裏一帯、元第二大成小学校敷地を含め、東は釡萢堰(かまやちせき)までの地域(現市内御幸町)に新楮町,天明の大飢饉を経て寛政のころには、新楮町には人家がなく潰れ町の状態になり、新たに小給の士の住む品川町新割町,図134.新楮町絵図 / 新楮町の取り立て
通史編4(近・現代1) (第二大成小学校の焼失)

大火は富田本村から品川町、新品川町、土手町、松森町、楮町、新楮町、豊田村外崎に延焼、全焼家屋は五三三戸
通史編5(近・現代2) (盆踊り)

明治七、八年ころには下土手町の橋のたもとで踊ったが、十年以後は大円寺、土場(どば)の町遊廓、新楮町、住吉神社
通史編4(近・現代1) (戸長の配置)

 桶屋町 銅屋町 南川端町                     斉藤定一  松森町 楮町 新楮町
通史編5(近・現代2) (第三大成小学校の創設)

結局、第一大成から松森町、楮町、新楮町が第三大成に移り、第二大成から富田町をはじめ富田地区一帯及び取上地区
通史編3(近世2) (松森町紙漉)

松森町月行事高島屋孫右衛門(たかしまやまごえもん)が郡所御用支配取扱に任命され、五年間で楮町・新楮町の
通史編4(近・現代1) (城西小学校創立)

、山道町、住吉町、新品川町、鍛冶町、○新鍛冶町、北川端町、桶屋町、銅屋町、南川端町、○松森町、楮町、新楮町
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

)は、かなり大まかな絵図であるが、これには田茂木町・田町・萱町・緑町・植田町・片山町・川端町・森町・新楮町
通史編3(近世2) (寛政期の城下)

また、新楮町が古御徒町に、横鍛冶町が覚仙町に町名変更されているほか、川端町と袋町は武家地となっている。
通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

覚仙丁 森丁 塩分町 土手町 住吉丁 山道丁 紙漉町 新品川町 品川町 富田町 松森町 富田新丁 楮町 新楮町
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