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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (正徳から天明にかけての大名課役)

 5000~万石 ② 筋違橋 旗本 5000~万石 ③ 小石川 旗本 3000~万石,④ 牛込 旗本 3000~万石 ⑤ 市谷 旗本 3000~万石 ⑥ 四谷,旗本 3000~万石 ⑦ 喰違 二丸留守居 ⑧ 赤坂 旗本 3000~万石,⑨ 虎 旗本 5000~万石 ⑩ 幸橋 外様 1万石余 4 2 25 20 51 ⑪ 山下,旗本 3000~万石 ⑫ 浜大手 旗本 5000~万石 ⑬ 数寄屋橋 旗本 5000
通史編2(近世1) (津軽信英による後見政治と法令の整備)

「諸法度」・「家訓条々」の双方とも幕府旗本である信英の意志が働いて出されたものと考えられる。,これらの内容には、幕府が旗本に出した「旗本諸士法度」(以下諸士法度と略記)と、相似・引用が多く見受けられ,諸士法度は一万石以下の旗本・御家人を対象に基本法として発布されたものである。  
通史編2(近世1) (蝦夷地警衛が藩財政に残したもの)

江戸において繰り広げられる幕府要人・他大名・旗本・寺社などとの交際は、必要欠くべからざるものであったが
通史編2(近世1) (黒石藩の位置)

黒石藩の位置 藩として独立したとはいっても、領内の体制が転換したわけではなく、基本的には旗本時代とほぼ
通史編2(近世1) (一 明暦検地の意義)

明暦検地は、明暦二年二月に幕府が四代藩主津軽信政の跡目相続を認め、その後見として叔父で旗本の西丸書院番津軽信英
通史編2(近世1) (黒石津軽家の大名昇格)

まさたけ))の元禄二年(一六八九)に、分家が嗣子(しし)なくて断絶したために、知行は四〇〇〇石に減り、旗本
通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起の経過)

松前家から蝦夷蜂起の報を受けた幕府は、松前家の分家である旗本松前泰広(まつまえやすひろ)を下向させた。
通史編2(近世1) (大名の改易と幕領検地)

幕府の財政再建にも熱心であり、財政機構改革や新田開発や改易大名領を加えた幕領の増加、不正代官の糾弾や旗本知行
通史編2(近世1) (藩士対象の司法制度)

これは略式なのではなく、むしろ容疑者の廉恥・名誉を重んじた方法であって、大名・旗本など侍以上の上級武士
通史編3(近世2) ((二)年中行事と生活)

将軍家の例に倣って諸侯・旗本の各家々で行われた。
通史編2(近世1) (下級藩士への開発奨励(I期))

、その家臣たちが自ら鋤(すき)・鍬(くわ)を取って妻子を養っていたことが古記にみえ、その子孫の多くは旗本
通史編2(近世1) ((二)蝦夷地出兵の諸段階)

幕府の番頭に相当する士大将に山田剛太郎を任命し、そのもとに旗本隊・鉄炮隊・長柄隊などが組織され、藩の職制
通史編2(近世1) (異国船の領内来航)

津軽黒石藩の軍事指揮権は、幕府の旗本であったとき以来本藩である津軽弘前藩に握られていたが(第三章第二節一参照
通史編2(近世1) (「出頭人」の台頭)

一方、後見役であった信英の素行に対する傾倒は、寛文元年、旗本山口直治を通して、津軽家召し抱えを申し出たり
通史編2(近世1) (支配機構の整備)

ともに、幕府旗本として、信敏は小普請組に配され、信純は書院番に列した。
資料編2(近世編1) (【解説】)

編年体史料の最終条は、明暦二年二月二日、江戸幕府が四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)の跡目相続を認め、叔父で旗本
通史編3(近世2) (二等銃隊の創出)

には月に二斗の玄米が支給され、組織された銃隊は御手廻(おてまわり)・御馬廻(おうままわり)組を藩主の旗本隊
通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)

さらに三隊を遣わしても蝦夷蜂起が鎮圧されなければ、藩主信政自身の出馬、それに従う旗本人数が三〇〇〇人ということまで
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

御旗の者とは、もとの旗本衆で、手廻衆ともいった御旗参士であり、延宝八年(一六八〇)、足軽二八組に改編した
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

元禄二年(一六八九)九月に黒石津軽家の分家で旗本の津軽信俗(のぶよ)が嗣子なく没すると、所領であった津軽郡
資料編3(近世編2) (【解説】)

交代寄合の旗本である黒石の津軽親足を一万石の大名に昇格させることで、弘前藩主とともに、蝦夷地警備の軍役
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●寛永八年(一六三一)七月晦日、家臣青木兵左衛門子供の、由利の旗本打越左近へ遣わすための出判を秋田藩へ
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