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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(日の本将軍の多面性)
日の本
将軍の多面性 以上に述べてきたように、
日の本
将軍の呼称は鎮守府将軍と重複視され、室町幕府の北方政策,また、史料として
日の本
将軍が頻出するのは一五世紀以降のことであり、これはアイヌのサハリン進出が達成された,これに注目したとき、
日の本
将軍の「
日の本
」は、『諏方大明神画詞』(史料六一七・写真162)に見えるアイヌ,写真162 『諏方大明神画詞』 安藤氏の
日の本
将軍呼称については、なお検討を要する課題であるように /
日の本
将軍の多面性
通史編1(古代・中世)
(日の本将軍と鎮守府将軍)
日の本
将軍と鎮守府将軍
日の本
将軍の呼称は、安藤氏だけの呼称ではなかった。,中で、とくに足利直義(ただよし)が「日本将軍」と称され、それが鎮守府将軍を意味していたことなどから、
日の
,
本
将軍と鎮守府将軍とは重複視されるものであるという。,つまり、
日の本
将軍は室町幕府の北方政策にかかわるものであるということになる。 /
日の本
将軍と鎮守府将軍
通史編1(古代・中世)
(一 「日の本将軍」安藤氏)
一 「
日の本
将軍」安藤氏 安藤氏に関する系図をひもといてみると、安藤氏が早くから「日下将軍」を称していたと,この康季が安藤氏では最初の「
日の本
将軍」である。 写真160 『本浄山羽賀寺縁起』 / 一 「
日の本
将軍」安藤氏
通史編1(古代・中世)
(日の本の将軍と地域の自立性)
日の本
の将軍と地域の自立性 一方、「
日の本
」を蝦夷の中の中央と理解し、「中世国家」とは別個の存在であり,つまり、
日の本
将軍は、自称であって、もうひとつの日本の自立性を示すものであるのだという。 ,さらに、こうした語り物では、関東ではそれ以前に
日の本
将軍の伝承が展開しており、鎌倉末期には、
日の本
将軍,また、
日の本
将軍が津軽の安藤氏と結びつけられるようになった初期の形を示すものは、安藤五郎を「
日ノ本
将軍,伝えられ、受容と変容の経過を経て安藤氏の
日の本
将軍の呼称となった。 /
日の本
の将軍と地域の自立性
資料編1(古代・中世編)
(第2章 北方関係非編年史料)
第2章 北方関係非編年史料 (一) 東方の境界観念(含む、流刑地) (二)
日の本
、
日の本
将軍
通史編2(近世1)
(人質徴収)
豊臣政権の意図は、単に人質徴収のみを目的としたものではなく、夷島(えぞがしま)・
日の本
(ひのもと)に至,境界領域という地理認識によるものであり、特に、宇曽利は、十六世紀中ころには津軽・外浜とともに日本の果て(
日の
,
本
)として認識されていたという。,小田原参陣中の四月十一日に表明した「出羽・奥州・
日ノ本
之果迄」の仕置、すなわち、日本の支配を完了させようとする,したがって、当仕置は奥羽仕置ではなく奥羽
日の本
仕置と呼ぶのが妥当であろう。
通史編1(古代・中世)
(夷千島王の朝鮮遣使)
については、日本と対等の国として発言していること、朝鮮北部国境地方のようすを知っていることなどから、
日の
,
本
将軍としてある程度の独立した勢力を持ち、日本海交易と密接にかかわる安藤氏ではないかといわれる。,
日の本
将軍の呼称と同じように、この夷千島王についても、地域の自立性が指摘されるのである。
通史編2(近世1)
(秀吉による朝鮮出兵の背景)
さらに、右の朱印状では、前年の天正十八年七月の仕置以後の新たな身分変更を厳禁しており、秀吉は奥羽・
日の
,
本
仕置によって奥州・「
日の本
」に至る全国土を支配下に置いた時点で、すべての身分の固定化を図り、明征服のための
通史編2(近世1)
(一 九戸一揆と動員大名)
一 九戸一揆と動員大名 天正十八年(一五九〇)七月からの奥羽
日の本
仕置(おううひのもとしおき)が終了
通史編2(近世1)
(九戸一揆の鎮圧)
特に蠣崎慶広は、毒矢を携行させた「深目・長髪」の「蝦夷」どもを率いて参陣し、自らが蝦夷=「
日の本
」の支配権,また、このことは秀吉が奥羽・「
日の本
」に至るまでの諸大名を軍事動員できたことを示すことにもなった。
通史編2(近世1)
(一 検地・人質徴収・城破(わ)り・刀狩り)
小田原出陣中の天正十八年四月十一日に真田氏に宛てた朱印状の中で、小田原城を兵糧攻めした後に「出羽・奥州・
日ノ
,
本
之果迄モ被相攻、御仕置等堅可被仰付候」(「武家事紀」巻第三〇)と奥州への仕置を行う意志があることを明
通史編1(古代・中世)
(浪岡城攻略)
浪岡御所北畠氏は夷島の蠣崎氏もその影響下に置き、
日の本
将軍安藤氏と密接な関係にある存在であった。
通史編2(近世1)
(秋田安東実季の名護屋参陣)
秋田安東実季の名護屋参陣 天正十九年から朝鮮出兵へ向けて準備が本格化していたが、翌文禄元年、奥羽・「
日の
,
本
」に至る諸大名は名護屋参陣を下命され、続々名護屋へ参集した。
通史編2(近世1)
(津軽氏の鷹保護)
九州と同様、奥羽
日の本
仕置によって、豊臣政権による奥羽地方の支配統制の確立と、津軽地方における名鷹の独占
通史編5(近・現代2)
(混乱・混迷の合併交渉)
された合併編入案は、事前に開かれた自民党の議員総会で、南郡議員団の要望を取り入れることとしたため、二十五
日の
,
本
会議で賛成少数で否決された。
通史編2(近世1)
(奥羽大名の名護屋参陣)
部隊編成が一部改編されながらほぼ踏襲されており、東北の大名にとってまさにこの名護屋参陣は、秀吉が奥羽・「
日の
,
本
」まで天下統一を実現した時点から一貫性をもった軍事動員であった。,秀吉は、文禄元年三月十三日の朱印状によって浅野長吉らの奉行や大名に「関東・出羽・奥州・
日の本
迄」の大名衆,すでに秀吉は、九戸一揆鎮圧によって、津軽為信、南部信直、そして「
日の本
」領主蠣崎(松前)慶広らの大名衆
通史編2(近世1)
(九戸一揆の意義)
また、この一揆鎮圧のために津軽氏を含む東国の大名衆を軍事動員できたことにより、秀吉は奥羽・「
日の本
」までに
通史編1(古代・中世)
(穢・祓と境界の地)
また中世の蝦夷史料として貴重な『諏方大明神画詞』にも、「
日ノ本
・唐子ノ二類ハ其地外国ニ連テ、形躰夜叉ノ
通史編2(近世1)
(伏見滞在と派閥抗争)
為信は、もとは南部氏の被官であり、戦国末期に独立化を進め、天正十八年七月の奥羽・
日の本
仕置により南部氏,奥州・外浜迄」(『諸将感状・下知状并諸士状写 三』東京大学史料編纂所蔵)あるいは「関東・出羽・奥州・
日の
,
本
迄」(『大日本古文書・浅野家文書』)に至る全国の諸大名に大号令をかけての軍事動員であった。,北奥羽の大名らは、秀吉の朱印状によって「奥羽・
日の本
」と一括して把握されながら、取次を媒介としながらそれぞれまったく
通史編1(古代・中世)
(二 津軽の修験道と神社)
羽黒修験をベースに始まった津軽の当山派に連なる熊野修験の世界は、「蝦夷管領」から「
日ノ本
将軍」に名を替, 応仁弐年つちのへね二月廿八日 安東下野守師季(花押) これまで政教一如の態を示し続けてきた「
日ノ
,
本
将軍」安東氏も、康正二年(一四五六)、湊安東惟季に秋田小鹿島に迎えられてからは、宗教的側面は消失しはじめ
資料編2(近世編1)
(【解説】)
そもそも津軽領の検地は、天正十八年(一五九〇)の奥羽
日の本
仕置(ひのもとしおき)において太閤検地が実施
資料編1(古代・中世編)
(新編 弘前市史 資料編1-2 古代・中世編 目次)
…… 三六一 (一) 東方の境界観念………………………………………………… 三六二 (二)
日の
,
本
、
日の本
将軍…………………………………………… 三七四 (三) 熊野那智大社先達旦那史料…………
通史編2(近世1)
(名護屋における「日本之つき合」)
そして、具体的には検地衆が「奥州・津軽・
日の本
まで、さしつかわされ、そのうへ、国々御検地」(「太閤さま,さきに述べたように、秀吉の大陸侵略は、惣無事令により奥羽・
日の本
までをその掌中に収め、すべての大名を公儀
通史編2(近世1)
(北奥羽の領知確定)
されていることから、政権は太閤蔵入地以外の高外地をも支配下に置き、統一政権による支配統制の楔(くさび)を奥羽・「
日の
,
本
」に至る諸大名の領内へさらに強固に打ち込もうとしたのである(長谷川前掲書)。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
豊臣政権による十六世紀後半から末にかけての奥羽
日の本
(ひのもと)仕置から始めて、同政権下における津軽氏
通史編2(近世1)
(豊臣再仕置軍の奥州下向)
これは、すなわち奥羽・「
日の本
(ひのもと)」仕置を遂げた地の軍勢を公儀の秀吉の軍隊に編成し、軍事動員によって
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
この一五世紀の末葉の油川は、「
日ノ本
将軍」安藤氏の従前の拠点十三湊に代わって、奥大道の終着点であると同時
通史編1(古代・中世)
(新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)
…… 377 第二節 室町・戦国期の津軽 ………………………………………… 384 一 「
日の
,
本
将軍」安藤氏 …………………………………… 384 二 室町幕府体制と北奥羽 …………………
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
2 二 異民族との接触 ……………………………………………… 10 第二節 天正十八年の奥羽
日の
,
本
仕置と北奥 ……………………… 15 一 検地・人質徴収・城破り・刀狩り …………………………
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