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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編1(古代・中世)
(田道伝説)
田道伝説 尾上町の猿賀神社(写真23)の縁起には、さらに古く『
日本書紀
』仁徳五十五年条に見える、蝦夷,田道伝説は、先にも触れたように上毛野氏が大和政権による東北経営にかかわったという史実に由来するもので、『
日本書紀
,写真23 猿賀神社(尾上町) 写真24『
日本書紀
通證』巻之十六
通史編1(古代・中世)
(蝦蛦)
写真9『
日本書紀
通證』巻之二十九 「蝦蛦」の表記 『
日本書紀
』では、皇極天皇元年(六四二)九月,これは『
日本書紀
』編纂(へんさん)に際して、その元となった史料の用字がそのまま踏襲された箇所にみえているのである,伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)が、その様子を詳細に記録して『伊吉連博徳書』という本にまとめていて(『
日本書紀
,にとどまり住んでいます」 高宗「朕はエミシの身面の異様さを見て、大変喜び、また珍しく思う」 『
日本書紀
,また『
日本書紀
』景行(けいこう)天皇四十年条(写真10)の、天皇が日本武尊に東夷征討を命じた詔(みことのり
通史編1(自然・原始)
(第四節 注および引用・参考文献)
』図版編 一九八八年 弘前市教育委員会 『砂沢遺跡発掘調査報告書』本文編 一九九一年 (6)「
日本書紀
,『新訂増補 國史大系
日本書紀
』後篇 吉川弘文館 一九九〇年(普及版一二刷) (7)A 須藤隆 「東日本
通史編1(古代・中世)
(鬼王・安日)
この安日については、古代の日本創世神話である『古事記』『
日本書紀
』中にはまだその名がみえない。,中世に生きた人々の意識のなかでの日本創世神話(すでに『古事記』や『
日本書紀
』とはかけはなれた神話が流布
通史編1(古代・中世)
(比羅夫は何回遠征したか)
比羅夫は何回遠征したか 『
日本書紀
』の斉明天皇紀には、長短あわせて一一ヵ条の遠征記事が載せられている,そもそも『
日本書紀
』では、大和政権による東北経営として、日本海側を中心とした阿倍比羅夫の、「三度」にわたる,これは『
日本書紀
』編纂に際して、阿倍氏に伝えられた家記が採用されたためであるが、その家記が、当然のこととはいえ,多分に含んでいること、あるいは官府の記録と齟齬(そご)していると思われる箇所があることなどにより、『
日本書紀
,写真29『
日本書紀
』巻之十二 斉明天皇4年4月条の比羅夫北征記事 目録を見る 精細画像で見る
通史編1(古代・中世)
(津軽、「日本史」の舞台へ)
津軽、「日本史」の舞台へ 七世紀になると、中央政府によって編まれた正史である『
日本書紀
』に、現在の津軽地方,それはひとえに、著名な阿倍比羅夫の「北征」と呼ばれる一大事業の経過とその関連史料が、『
日本書紀
』に記載,津軽が史上初めて『
日本書紀
』に登場するのは、斉明天皇元年(六五五)七月己卯条で、そこには、大化改新によって,写真22『
日本書紀
』巻之十二 斉明天皇元年七月条にみえる津軽の初見記事。
通史編1(古代・中世)
(有間浜の所在)
現在の北海道の「渡嶋」は「おしま」と訓(よ)まれているが、『
日本書紀
』の「渡嶋」は、『釈日本紀』(鎌倉時代末期,に成立した、現存最古の『
日本書紀
』の注釈書)の伝える「秘訓」によれば、「わたりのしま」と訓む。
通史編1(古代・中世)
(エミシとは)
この「エミシ」という音は、早く『
日本書紀
』神武天皇即位前紀に載せられた久米歌(くめうた)(神武天皇の戦勝
通史編1(古代・中世)
(柵の設置)
『
日本書紀
』には日本海側の越(こし)国内に関する動きが記録されている。 ,いずれにしろ『
日本書紀
』などの文献には、この時代についてはこの三つの柵の存在しか記されていないが、近年
通史編1(古代・中世)
(斉明天皇四年の「北征」)
『
日本書紀
』では一八〇艘(翌五年次も同様。,ただまもなく勃発(ぼっぱつ)する白村江(はくすきのえ)の戦いに関して『
日本書紀
』に記録された船師の数は,写真31『
日本書紀
標註』巻之二十一 斉明天皇四年四月条 この斉明四年次の北征の論功行賞として
通史編1(古代・中世)
(「蝦夷・蝦狄」表記の創造)
「蝦夷・蝦狄」表記の創造 『
日本書紀
』のエミシ表記の研究によると、持統天皇四年(六九〇)ころから、『,
日本書紀
』の素材となった原史料類から「蝦蛦」表記が消え、やがて「蝦夷」の表記が好んで使用されるようになっていったといわれている,現在知られる『
日本書紀
』の素材となった原史料のなかで、「実録的」といわれる政府の公式記録的なものに「蝦夷,また八世紀になると、『
日本書紀
』に続く、国家の正史である『続日本紀』冒頭の文武紀には、「蝦狄」という用字法
通史編1(古代・中世)
(粛慎とは何者か)
『
日本書紀
』では、渡嶋蝦夷と粛慎とが併記されている箇所があり(史料二七・三八)、両者は民族的に明確に区別,道北を拠点にした粛慎は、日本海を環流するリマン海流・対馬海流に乗って航海をしたらしく、早くも『
日本書紀
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
国立歴史民俗博物館 写真3 八戸市博物館写真提供 写真4 南津軽郡尾上町教育委員会写真提供 写真5
日本書紀
標註巻,山海経 大阪府立中之島図書館蔵 写真8 造東大寺司沙金奉請文 宮内庁正倉院事務所蔵正倉院宝物 写真9
日本書紀
通證巻,岩手県胆沢郡胆沢町教育委員会写真提供 写真20 国立歴史民俗博物館 写真21 弘前市 村越潔氏写真提供 写真22
日本書紀
, 斉明天皇元年7月条 弘前市立図書館蔵 写真23 南津軽郡尾上町 猿賀神社 写真24
日本書紀
通證巻16, 斉明天皇4年4月条 弘前市立図書館蔵 写真30 秋田県秋田市広報課写真提供 写真31
日本書紀
標註巻
通史編1(古代・中世)
(斉明天皇五年の「北征」)
有間浜に、飽田(あきた)・渟代・津軽の蝦夷と、前年帰順した渡嶋蝦夷の一派と思われる胆振鉏(当時の訓が『
日本書紀
通史編5(近・現代2)
(山鹿学の影響)
『中朝事実』は『
日本書紀
』などから日本こそが中国(なかつくに)であり、儒教は従であり、仏教は異教であり
通史編1(古代・中世)
(七・八世紀代の津軽地方)
『
日本書紀
』斉明天皇五年(六五九)七月三日条の唐皇帝と遣唐使との間に交された蝦夷に関する問答のなかに「
通史編1(古代・中世)
(阿倍比羅夫の登場)
阿倍氏は、系譜的に古くから東北経営に深い関わりを持つ一族で、『
日本書紀
』崇神十年条にみえる、地方平定のため,阿倍氏は、早く欽明朝にも、船師の責任者として『
日本書紀
』にその名がみえている、水軍運営に長けた一族である
通史編1(古代・中世)
(国造の分布)
残念ながら『古事記』や『
日本書紀
』の所伝中には、東北地方の国造について何ら述べられていないので、その実態
通史編1(古代・中世)
(「津軽」の地の独自性)
「土蜘蛛」ならば、『
日本書紀
』や『常陸国風土記』などにもみえる、全国各地の「まつろわぬ民」をあらわす普遍的
資料編1(考古編)
((1)7世紀~8世紀)
『
日本書紀
』斉明天皇5年(659)に「五穀」無と記され、文献的には中世以後とされる本県での稲作や雑穀栽培
通史編1(自然・原始)
(砂沢遺跡)
従来、東北地方の稲作開始時期については、
日本書紀
にある斉明天皇五年(六五九)七月の条を引用し、第四回遣唐使
通史編1(古代・中世)
(渡嶋津軽津司)
ただ「津軽」と「渡嶋」とは『
日本書紀
』『続日本紀』では併記される存在であり、語感としても、その二つが津
通史編1(古代・中世)
(毛人)
蘇我蝦夷(『
日本書紀
』ではこう表記されるが、あるいは元来の表記は蘇我毛人か)・佐伯今毛人(さえきのいまえみし
資料編1(考古編)
(〈2〉津軽地方で生産された須恵器)
古墳時代中期(5世紀中葉~後葉)に、朝鮮から渡来した工人によって製作されたことが『
日本書紀
』にも記載されている
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………………
日本書紀
2 ●景行天皇二十五年、武内宿禰を北陸・東国に派遣。,………………………………
日本書紀
5 ●清寧天皇四年、蝦夷等内付。,………………………………
日本書紀
6 ●敏達天皇十年、蝦夷数千反乱。,………………………………
日本書紀
7 ●大化二年(六四六)正月、蝦夷帰順。,………………………………
日本書紀
8 ●斉明天皇四年(六五八)七月、蝦夷朝貢。
通史編1(古代・中世)
(一 中世寺院の建立)
なぜなら、奈良朝期の「渡嶋蝦夷」と古代律令国家とのかかわり(『
日本書紀
』)はもとより、平安後期の頃には
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
日本三代実録 ………………………………………………………………………………………………… 新訂増補国史大系
日本書紀
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