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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (旧藩主逝去と小学校)

旧藩主逝去と小学校 旧弘前藩主伯爵津軽承昭が死去したのは大正五年(一九一六)七月十九日、行年七十六歳,旧藩主と市内小学校の結びつきは極めて強固であった。,小学校教員に旧藩士族が多かったためか、各校とも旧藩主を敬愛する念が強かった。,各校校長も旧藩主に対して、皇室に対する以上の忠誠と尊敬をこめて言及している。,旧藩主と小学校の結びつきが、明治以来の本市小学校教育に、独自の気風をもたらしたことは否定できない。 / 旧藩主逝去と小学校
通史編3(近世2) (廃藩置県後の処理)

そして負うべき残金は、明治七年(一八七四)十二月には旧藩主禄税徴収令の実施に伴って、家禄の九割が官納となったため,そして、明治十年(一八七七)三月には旧藩主家禄が公債渡しとなったのを契機に全額免除されることとなった。
通史編4(近・現代1) (弘前士族の反発)

川越石太郎は、維新後に戸長も務めたが、維新政府の文明開化政策に反対し、旧藩主流派に怨念を抱く山田登や藩主,津軽平八郎は廃刀令に反対して帯刀を止めず、山崎清良は封建復帰の建白書を旧藩主の反対を押し切って政府に提出
通史編4(近・現代1) (東奥義塾開学)

国や県からの補助を受けなかった東奥義塾の開学を可能にしたのは、旧藩主津軽承昭の財政援助によるところが大,東奥義塾は旧藩校以来の教師陣、学校設備、教科書などもほぼ引き継いで開校し、さらに前述のように旧藩主の庇護
通史編4(近・現代1) (私学東奥義塾の終焉-公立への移管)

保守派勢力は公然と東奥義塾の教育方針を非難し、旧藩主に東奥義塾を廃して皇漢学塾復興を請願した。,政治活動が活発で、キリスト教の拠点ともなった東奥義塾に対して、旧藩主家である津軽家が多額の補助を続けたことも
通史編4(近・現代1) (県政初期の混乱)

この中に官に無届けのものもあり、それが廃藩のとき旧藩主の私債としてに二六万両残り、旧藩主津軽承昭の家禄,明治四年八月十二日旧藩主は禄高一五俵以下の士族、卒、その他医師、絵師、諸工人、小者ら一七〇四人に頒与残田二,旧藩主承昭は、明治五年熊本県人を家庭教師にして英語の習得に努めていた。
通史編5(近・現代2) (秩父宮殿下の御来弘)

また、津軽義孝伯爵は旧藩主子孫として弘前においでになり、駅頭において宮殿下をお迎え申し上げた。
通史編4(近・現代1) (町の様子)

弘前県であったときは別に変はりがなかったが、一旦青森県となって県の位置がなくなり、同時に旧藩知事たりし旧藩主,我が弘前の衰微したのは、第一に旧藩主の東京に移住したときに始まり、夫は士族の在宅に次ぎ、士族の安逸に耽,(後略) (同前)  明治十七年(一八八四)に旧藩主が墓参のために帰郷した折の士族たちの晴れやかな
通史編4(近・現代1) (最初の県会)

、ともに弘前貫族の給禄問題の紛争当事者で、さらに明治六年十月、鰺ヶ沢などで多額の旅費を借用して上京、旧藩主家
通史編4(近・現代1) (東奥共同会の設立)

東奥共同会の設立 明治十五年(一八八二)十一月、青森県会議員で東奥義塾塾長の本多庸一は旧藩主の津軽家,東奥共同会を作って自由民権運動を進めたことに対する弘前の保守士族の反撃-いわゆる弘前の紛紜事件に際し、旧藩主家
通史編4(近・現代1) (城跡の荒廃)

旧藩主にして知藩事の津軽承昭はすでに東京に移住していたので、主(あるじ)なき荒城となってしまった。
通史編4(近・現代1) (廃藩置県)

為ス 是務(つとめ)テ冗ヲ去リ簡ニ就キ 有名無実ノ弊ヲ除キ政令多岐ノ憂ヒ無(なから)シメントス」と、旧藩主
通史編4(近・現代1) (蝦夷の月)

蝦夷の月 本多庸一が旧藩主津軽家へ提出した紛紜に対する弁明の答申書の第二項に「国会開設請願ノ趣意」があり
通史編4(近・現代1) (公園の払い下げ)

三十六年四月、これまでも小規模な陳列を試みたが、天守閣を活用して古物館にし、三層全部に旧藩主や家臣の遺品
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の啓蒙活動)

そのため旧藩主家からの資金援助が妨げられたり、卒業した有為の若者でも官途に迎えられなかったりした。
通史編4(近・現代1) (不平の源流)

不平の源流 弘前不平士族の不満の第一は、維新時の藩政と廃藩後の旧藩主家の家政に参加できないことにあった
通史編5(近・現代2) (美術団体の発足と展開)

また、大正六年七月八日に上野の精養軒で第一回作品展覧会を、翌年の大正七年四月二十一日に、旧藩主家の津軽英麿
通史編5(近・現代2) (戦時生活の諸側面)

旧藩主の屋敷が設けられてあった関係から、地下に敷石が張りつめられ、付近一帯も砂礫を敷き詰めてあった。
通史編4(近・現代1) (キリスト教)

それはやがて旧藩主との関係も絡んで政治問題と化し、後述するように東奥義塾存廃問題へと進んでいくことになった
通史編3(近世2) (藩から県へ)

新たに成立した県には中央から県令(または権令(ごんれい))が派遣されることとなり、旧藩主は東京に集められて
通史編3(近世2) (弘前の民衆)

旧藩主津軽承昭(つぐあきら)は東京横川の邸宅に移住し、西館融(とおる)・杉山龍江・西舘孤清(こせい)・
通史編4(近・現代1) (草創期の外国人教師たち)

旧藩主津軽承昭が開学資金として提供した五〇〇〇円の大半が外国人教師雇用に充てられていたことになり、当時
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