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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)

万延元年(一八六〇)二月、滝屋善五郎と藤林源右衛門は、領内三厩産昆布の箱館からの輸出を計画して、藩の許可,前年六月に貿易が開始された箱館港の主要な輪出品は海産物であり、昆布、煎海鼠(いりこ)・干鮑(ほしあわび,なかでも昆布は圧倒的輸出額を誇っていた。,三厩産の昆布の移出もこのような中国貿易の情勢を念頭に計画されたもので、以後弘前藩内産の昆布は品薄の時を,海外貿易の開始を契機に、藩が箱館港の主要な貿易品である俵物に着目して、その原材料の一つとなりうる領内昆布
通史編1(古代・中世) (稀有な北の富)

施行細則集である『延喜式』によると、陸奥国よりの交易雑物として葦鹿(あしか)皮・独犴(どっかん)皮・砂金・昆布,・索(より)昆布・細(ほそき)昆布が、出羽国よりの交易雑物として熊皮・葦鹿皮・独犴皮が指定されている(,昆布も、函館近郊の宇賀(うが)の産品が著名であり、のちのちまで北の世界を代表する産品であった。  
通史編2(近世1) (対外交易の実態)

(たきや)善五郎や藤林源右衛門などがその筆頭であり、彼らは万延元年(一八六〇)二月に、箱館の異国船が昆布,を高値で買い取っているので、津軽でも三厩(みんまや)産の昆布を移出する計画があってしかるべきだと藩に上申,当時、箱館の主要貿易品目は昆布・煎海鼠(いりこ)・干鰒(ほしふぐ)などの俵物(たわらもの)やスルメ等の,滝屋善五郎の日記によると、この時には一〇〇石分の昆布の輸出が計画された。  
通史編1(古代・中世) (第三節 南北交易と「境界地域」津軽)

」から「京」へ行ったと想定される具体的製品を示す資料は少ないが、『庭訓往来』には、「奥州の金、宇賀の昆布,安藤氏が室町将軍足利義量(あしかがよしかず)に献上したなかには、「馬、鳥羽、銭貨、海虎(らっこ)皮、昆布
通史編3(近世2) (商社の活動内容)

中心は津軽半島の三厩(みんまや)(現東津軽郡三厩村)・今別(いまべつ)(同今別町)産の昆布であり、同地,の昆布は従来八〇〇両の前貸しを受けて領外船に売却されていた(浅倉有子『地方史と近世社会』一九九九年 清文堂刊,当初、明治二年の収穫量は三〇〇〇石~四〇〇〇石と見積られていたが、暴風雨により昆布が流され、最終的には,昆布は俵物に仕込む産物として主要な輸出品であり、滝屋も積極的に商品開発を進めていたが、商社設立により、
通史編1(古代・中世) (頼時の死)

けて、為時の拠点でもある閉伊から海岸沿いに北上させ(このルートは八世紀初めには、閇(へい)村の蝦夷が昆布
通史編3(近世2) ((一)年中行事と生活)

年男が枡へ米・餅・松葉・譲葉(ゆずりは)・昆布・鯡を入れ伏せた臼に入れる。,年男はさらに餅・昆布・松葉・譲葉・田作魚(ごまめ)に鍋二つをかぶせる。 晦日、年越し。
通史編3(近世2) (幕末の交易活動)

また、翌年には昆布を領内の三厩(みんまや)から買い付け、箱館を経由して売り出そうという計画が両名によって
通史編1(古代・中世) (応永十八年の衝突)

安藤陸奥守(盛季ヵ)が五代将軍足利義量(よしかず)に馬・鳥・鵞眼(ががん)(銭)・海虎河(ラッコ)・昆布
通史編4(近・現代1) (中国革命の義士)

東奥義塾から青森師範学校へ進んだが中退、羯南を頼って上京、その勧めで水産講習所へ入り、明治二十三年北海道昆布会社
通史編3(近世2) (社家・修験隊の組織)

調練の稽古なき日ハ朝まから、あげ屋二階へ則面に行く、 銃隊の組立多くある中に、面(つ)ら青くする昆布隊
通史編3(近世2) (神事能)

初日は、能が翁・高砂・田村・羽衣・羅生門・金札、狂言が末広狩・昆布売・千鳥・伯母ヶ酒で、見物人が二八〇〇
通史編1(古代・中世) (「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏)

の官位獲得のため言継が口入れをしており、その甲斐もあってか、具永やその孫具運がそれぞれ官途を得ると、昆布,このことや、先に山科言継に進上した昆布や煎海鼠などといった夷島の産物は、この時期北畠氏が北方世界にもつながりを
通史編3(近世2) ((二)年中行事と生活)

津軽弘前藩の斎藤家の具足飾りは、床間に具足を飾り、その前に机を据(す)え、その上に熨斗(のし)・栗・昆布
通史編2(近世1) (領内アイヌ支配の変化)

熊皮  2枚 米1俵宛      8月23日 今別狄 かぶたいん 各々膃肭獣1   昆布
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●永正十六年(一五一九)四月七日、本満寺僧某、蝦夷島へ渡り、土産として昆布・夷筵を前関白近衛尚通に進上,●天正七年(一五七九)正月十七日、蠣崎慶広、主君下国安東愛季に昆布・玉鯨を献上するとともに、父季広の波岡口出陣
資料編1(古代・中世編) ([十五世紀])

●応永三十年(一四二三)四月七日、将軍足利義量、安藤陸奥守(盛季か)の馬・鳥・鵞眼(銭)・海虎皮・昆布献上
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●南北朝末期ころ、『庭訓往来』に奥州金・奥漆・宇賀昆布・夷鮭など奥州・夷島の産物の名が見える。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………… 後鑑・結城小峯文書 225 ●南北朝末期ころ、『庭訓往来』に奥州金・奥漆・宇賀昆布・夷鮭,●応永三十年(一四二三)四月七日、将軍足利義量、安藤陸奥守(盛季か)の馬・鳥・鵞眼(銭)・海虎皮・昆布献上,…… 深浦円覚寺棟礼 282 ●永正十六年(一五一九)四月七日、本満寺僧某、蝦夷島へ渡り、土産として昆布,秋田藩採集文書「奥村立甫家蔵文書」 325 ●天正七年(一五七九)正月十七日、蠣崎慶広、主君下国安東愛季に昆布
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長八年(一六〇三)十二月二十一日、津軽為信、参議西洞院時慶へ、昆布等を贈り、時慶からも為信へ贈物あり
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