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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(江戸時代初期の大名課役)
普請役
は、城郭普請がその典型であるように、本来戦陣における課役で軍役の一変型とされる。,したがって、津軽家が担った
普請役
もこのような基礎工事が主体といってよい。,しかし、実際のところは、この時期にあっても
普請役
が課せられていた。 ,図48.銚子築港
普請役
を命じた江戸幕府年寄衆・普請奉行連署奉書 また、慶長十九年(一六一四)に,これ以外に津軽家が江戸時代初期に
普請役
を務めたという記録として、「津軽徧覧日記」に、寛永十二年(一六三五
通史編2(近世1)
(伏見築城と奥羽大名)
しかし、実際は、『当代記』所収の「伏見
普請役
之帳」によれば文禄三年に普請を課されたのは、大部分が東国の,実季は、伏見城の
普請役
を免除される代わりに、その用材である杉板を豊臣政権から賦課されていたのであり、これは,伏見城の
普請役
に代替する役儀として材木調達を命じられたものであった。
通史編2(近世1)
(正徳から天明にかけての大名課役)
正徳から天明にかけての大名課役 この時期の津軽家の大名課役は、皇族や公家衆の饗応役、
普請役
、江戸における,このうち明和三年の際には、国元の大地震で甚大な被害を被ったことにより、幕府から
普請役
御免を命じられている,以上みてきたように、この時期の
普請役
には、以前の家臣が直接普請の現場に赴いたり、国元から領民を人夫として,遣わしたりする普請から、町人請負の普請、さらに時代が下がると「御金御手伝」へと変化し、
普請役
の内容自体
通史編2(近世1)
(近世大名と大名課役)
日光社参時の将軍への供奉(ぐぶ)、改易大名の領地受け取り・在番、江戸城の門番、江戸市中の火消役、他領検地、
普請役
通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
綱吉政権下における大名課役 綱吉政権期になると、
普請役
や江戸での勤めといった課役がみられるようになってくる,この時期行われた
普請役
には、天和三年(一六八三)に他の東北・中部の四大名とともに命じられた日光東照宮・
通史編2(近世1)
(町役)
町役のほか、城下の主な商人たちは、藩が幕府から
普請役
を課せられるごとに、不時の運上や冥加金をたびたび賦課
通史編2(近世1)
(信政晩年の藩政)
それによれば、瀧川の免職は青森への新宅取り立てに諫言(かんげん)をしたことが原因であり、大湯は御城御
普請役
銭徴収,盛岡元隆(もとたか)・大道寺直聴・津軽広庸(ひろやす)が、領内から先年の不作の際与えられた御助米と城
普請役
銭
通史編2(近世1)
(知行安堵)
年大名帳 11 3 5 3 3 F 伏見
普請役
之帳
通史編2(近世1)
(津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)
近世大名の領知高は、各大名に賦課された大名課役、特に
普請役
高を根幹として、統一政権との間で政治的に決定,図52.寛文4年の領知目録 そして、慶長十六年の禁裏造営の際、津軽氏の
普請役
賦課の役高は約四万石
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
このように幕府から津軽弘前藩に
普請役
が賦課されると、御用金や冥加金が城下の町方や領内の商人に強制的に割
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長十八年(一六一三)十一月十八日、津軽信枚、幕府より越後高田城
普請役
を命ぜられる。,●慶安元年(一六四八)、この年、幕府普請方より
普請役
ならびに在番の有無を尋ねられ、開幕以来、
普請役
賦課
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