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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (戦局の展開と兵員の不足化)

また、八月三十日には御手廻を御書院番(ごしょいんばん)銃隊、御馬廻組を表御書院番(おもてごしょいんばん,このように軍制は弘前守備を専一とする御書院番銃隊(一等銃隊)・表御書院番銃隊(二等銃隊)・第一等予備銃隊,一等銃隊員は早急に武具蔵まで小銃を上納するようにとの惣触が出されており(同前明治元年九月十二日条)、両書院番銃隊
通史編3(近世2) (醍醐忠敬の弘前転陣)

、それまで一等銃隊として藩主の親衛隊に位置づけられていた旧御手廻・御馬廻組は、八月三十日にそれぞれ御書院番銃隊,・表御書院番銃隊とされ、全員が銃隊員に組織されるとともに、最終局面まで藩主を守衛するため、設置される部隊,そして、これまでの戦局で最激戦地に身を置いた二等銃隊は、御書院番銃隊・表御書院番銃隊に続く三等銃隊とされ
通史編3(近世2) (森内繁富)

森内は寛政十年に勘定奉行を仰せつけられたが、「無調法」があったとして退役させられ、書院番に戻り、享和二年,(一八〇二)に表書院番組頭を命じられた。
通史編2(近世1) (一 明暦検地の意義)

明暦検地は、明暦二年二月に幕府が四代藩主津軽信政の跡目相続を認め、その後見として叔父で旗本の西丸書院番津軽信英
通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

同年十一月、江戸に帰った調査隊の報告を受けた幕府は、ロシアの蝦夷地進出に一層の危機感を持ち、翌十一年、書院番頭
資料編3(近世編2) (二 思想)

森内は、寛政十年(一七九八)に勘定奉行を仰せ付けられたが、「無調法」があったとして書院番へ戻り、翌年には
通史編2(近世1) (支配機構の整備)

ともに、幕府旗本として、信敏は小普請組に配され、信純は書院番に列した。
通史編3(近世2) (戦場に駆り出された民衆)

小島左近 45歳 足軽頭 200石 南部野辺地 永世50俵 永世禄は息子貞雄へ 65 谷口永吉 48歳 表書院番
資料編2(近世編1) (【解説】)

は、明暦二年二月二日、江戸幕府が四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)の跡目相続を認め、叔父で旗本の西丸書院番津軽信英
通史編2(近世1) (江戸時代初期の大名課役)

て遠江国新居(あらい)(現静岡県浜名郡新居町)まで、乗馬一二疋と鞍皆具を差し出すとともに、目付以下、書院番
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●明暦二年(一六五六)二月二日、幕府、津軽信義嫡子平蔵へ、老中酒井忠清宅にて跡目相続を許し、書院番津軽信英
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