• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 8件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編2(近世1) (知行安堵と検地)

この時、伊達・最上氏のように、すでに大名権が確立している大名は、惣無事令以前に領国がそのまま安堵され(,伊達・最上氏以外では、たとえば天正十八年八月一日に、佐竹義重が常陸(ひたち)国と下野(しもつけ)国に、
通史編2(近世1) (中世の北国海運)

また、酒田の舟持商人は、特に最上氏家臣などの蔵元的機能を持っており、上方商人に中継して蔵米の売却を行っていて,元和八年(一六二二)の最上氏の改易後は、最上川流域の米沢・山形などの諸藩、および天領の米が一層酒田に集積
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)

また米沢から会津に侵入する先陣を最上義光が務め、これらの軍勢の兵糧は最上氏から借りることを命じた(資料近世,りだし、北出羽の秋田・戸沢・由利郡内の各氏の協力も得て、翌慶長六年四月に酒田城を陥落させ、庄内は再び最上氏
通史編2(近世1) (人質徴収)

最上氏も、八月に最上義光が妻子を伴って上洛を果たしているが(「伊達家文書」五六六号)、これは、大名自身
通史編2(近世1) (北奥羽の大名の動向)

また、最上氏の侵攻にさらされていた仙北(せんぼく)の本堂道親(ほんどうみちちか)も、豊臣勢の出羽出動に
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと津軽氏)

さきに述べた慶長五年七月段階の最上氏支援の動員体制にも、慶長六年の上杉景勝国替に際しての動員にも津軽氏
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

しかし、政宗のほか上杉氏・佐竹氏・宇都宮氏など北国・北関東の大名衆、そして秋田氏・小野寺氏・最上氏・由利衆
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長十九年(一六一四)四月十九日、津軽信枚、最上氏の臣出羽本城々主本城満茂へ、越後高田城普請赦免につき,●寛永八年(一六三一)二月四日、家臣舟橋長真、前橋酒井家への預人、最上氏旧臣本城満茂へ信枚の死去を伝える
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました