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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (弘前八幡宮小野家)

、宝永四年(一七〇七)までは小野氏一人であったが、この時から熊野宮神主長利弁太夫が相役として加わり、月番制,しかし、月番制はその後行われなくなり、延享四年(一七四七)に復活した。
通史編2(近世1) (弘前藩庁日記の開始)

藩庁日記(国日記)  「国日記」一日分の記事内容は、初期のころを除いて、まずその月初めには、その月の月番,形式的には、月初めに月番家老と用人名を掲出し、日々の記事は、月日天候、その日の当番用人名を記して、それから
通史編3(近世2) ((一)農作業と農事暦)

一、桑田忠左衛門(月番の郡奉行)申立候者、    一、種浸初 二月廿五日    一、田打初 三月十日    ,   一、稲苅初 九月四日    一、稲村納初 九月廿日   右者当酉年耕作初前書之通御座候旨主水(月番家老津軽主水
通史編2(近世1) (裁判と判決)

牢屋の前での申し渡しは月番(つきばん)(その月の当番)の徒(かち)目付が当たったようで、斬罪・死罪(死刑
通史編3(近世2) (藩政中期四代信政)

寺社奉行は定員二人が月番で、官署が設けられていなかったので、寺社奉行宅で事務を取り扱った。
資料編3(近世編2) (【解説】)

切支丹奉行であったものが任命されており、切支丹改めの作業が進む中で設置され、天和二年(一六八二)七月に月番制
通史編2(近世1) (異国船の領内来航)

これにつき、次のような届書が、四月十九日、当時江戸にいた津軽黒石藩主津軽承保(つぐやす)から月番老中牧野忠雅
通史編3(近世2) (二 藩主の日常生活)

以上のことから、信明の毎日の生活は遅く寝て遅く起き、藩政については月番の家老からその様子を聞き、それに,月番の家老・用人・大目付が座敷の掃除・飾りつけを点検し、「よし」との報告あり。
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