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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
((4)漆器・木器生産)
(4)
漆器
・
木器
生産 古代における、一般的な食膳具は、土師器・須恵器の坏(椀)・皿類であるが、このほか,それは、木胎
漆器
だけではなく、植物のつるで編んだ籃胎(らんたい)
漆器
、あるいは織布を用いた布胎(ふたい,碇ヶ関村古館遺跡・木造町石上神社遺跡など、津軽地方を中心に12遺跡で発見されている(なお、この時期の
木器
,律令制に組み込まれた官工房での生産は、黒色
漆器
・朱
漆器
を問わず、木胎の上に布を着せ、高価な漆を何度も塗,これは、同時に
漆器
そのものの普及にも拍車がかけられ、11世紀中葉には供膳具のほとんどが土師器から
漆器
へと / (4)
漆器
・
木器
生産
通史編1(古代・中世)
(擦文文化の終末年代)
擦文文化の終末年代 本州の擦文土器は、土師器と共伴する例が多いことから、鉄鍋・内耳鉄鍋の出現、そして
木器
,(
漆器
)の量産体制確立による土師器の衰退と呼応して一一世紀後半には消滅したとする説が現在有力である。,擦文文化にあっても、基本的には土器から煮炊具である鉄鍋、供膳具である
木器
(
漆器
)への転換が考えられる。
資料編1(考古編)
(第7節 出土遺物と生活)
また形代(かたしろ)といった特殊な遺物も、
木器
で作成した刀形・斎串などがあり、呪術的な生活に対しても示唆,出土文字資料(陶磁器・
漆器
・
木器
ほか)は比較的少ない。,陶磁器の底に文字・記号を書いた例と、
漆器
の底や側面に文字の書かれた例は、浪岡城跡に多いものの「大」「二,堀越城では
木器
の表面に達筆な文字で書かれた事例が存在するが判読までには至っていない。
資料編1(考古編)
((2)県内遺跡の出土工芸品)
亀ヶ岡遺跡では、昭和25(1950年)の慶応大学による調査で、箆状
木器
・棒状品や加工の施された木製品のほかに,、漆を塗料に使用している籃胎(らんたい)
漆器
・櫛(くし)などが発見されている*136。,・樹皮製容器の破損品1個分・箆状木製品(二弦琴との説あり)18本などが見られ、編物として赤漆塗の籃胎
漆器
,なお、この籃胎
漆器
について文化庁の保坂三郎は、〝竹籠に下地を厚く塗って目止めをし、その上に黒漆・赤漆を
資料編1(考古編)
((3)10世紀後半~11世紀)
それは、
木器
(
漆器
)生産の発達による土師器坏の極端な減少、把手付土器や内面黒色処理壺、あるいは蒸籠形甑,③農業・製鉄・製塩・
漆器
生産・窯業・馬産等の産業が全体的に極めて活発化した時期である。 ,
漆器
生産は、この時期に大きな転換期を迎え、10世紀中葉と11世紀初めの二つの技術革新により量産体制が整,い、食膳具としての土器を凌駕し、ほとんど
漆器
椀・皿に置換される。
通史編1(古代・中世)
(四耳壺の出土)
このように、中世初期の遺跡では古代まで一般的であった土器と
木器
(
漆器
)という食膳具の使用形態に陶磁器が
通史編1(古代・中世)
(かわらけと陶磁器)
この場合、陶磁器とともに搬入された土器(かわらけ)までなくなるわけではないが、日常の食器は
木器
と陶磁器,の二器種だけで対応し、儀礼的な器は
漆器
・陶磁器と銅器が対応するようになる。
資料編1(考古編)
(第6節 金属製品)
しかし、11~12世紀の段階で土師器製作が下火になることによって、饗膳においては
木器
(
漆器
がほとんどであるが
資料編1(考古編)
(新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)
<2>津軽地方で生産された須恵器 ………… 277 (4)
漆器
,・
木器
生産 …………………………… 301 (5)塩業 …………………………………
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