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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (秋田安東実季の名護屋参陣)

この紛争は、かつて奥羽仕置の際に秋田の検地奉行を勤めた豊臣秀次の家臣木村重茲が調停に入り、結局実季が浅利氏,浅利氏の突然の上洛計画といい、豊臣秀次の重臣木村重茲の調停といい、浅利氏はすでにこのころより中央政権内
通史編2(近世1) (豊臣政権の奉行衆)

いだ人物は、文禄元年は加賀の前田利家、文禄三年(一五九四)は秀吉の家臣木下吉隆(きのしたよしたか)・木村重茲,若狭小浜(おばま)の豪商によって担われ、すべて敦賀湊に一旦陸揚げされ琵琶湖を経て伏見へと廻漕されたが、木村重茲
通史編2(近世1) (浅利頼平の比内帰還)

天正十八年七月以後の奥羽仕置において、秋田の検地奉行として木村重茲、津軽の検地奉行として前田利家、仙北,秋田の検地奉行である木村重茲は、同年の八月ころから検地を実施し、十一月中旬に上洛している。,また、浅利領には太閤蔵入地が二五〇四石設定されていたため、天正十八年分は木村重茲が直接受け取り、翌十九年分
通史編2(近世1) (浅利騒動の停戦命令)

また、諸事について文禄二年に木村重茲が下した裁定のごとくせよとの秀吉の意志であるので、秋田方に寝返った
通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと津軽氏)

そのなかの「もくそ(牧使)城とりまき候衆」、すなわち牧使城を攻囲する軍勢として、蒲生氏郷、最上義光、木村重茲
通史編2(近世1) (奥羽大名の名護屋参陣)

最上義光・大崎義隆(おおさきよしたか)、大谷吉継(おおたによしつぐ)の配下には上杉景勝・由利五人衆、木村重茲
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