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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (二 津軽の修験道と神社)

室町時代に入ると、その教習にも宗派的な傾向が見えはじめ、園城寺聖護院系の「本山派」と、醍醐寺三宝院系の,因(ちな)みにいえば、南部領に本山派が多く、津軽領に当山派が多いのは、地域的な特性を考える上で興味深い,、「禅密主義」(臨済禅と真言密教の総体)の洗礼を蒙ることで、徐々に脱天台を図り、ついには室町時代の「本山派,本山派と当山派はともに、自らの檀家居住区域を「霞」と呼ぶのに対し、この羽黒派の場合は、「檀那(場)」と,そのベースの上に、天台宗とか真言宗という宗派的な仏教や羽黒派とか当山派や本山派という派閥的な修験が展開
通史編3(近世2) (浄土宗)

同十四年(一七〇一)に「浄土宗諸寺院縁起」(同前No.四〇八)が成立していて、白狐寺を古跡の復興として本山専称寺
通史編3(近世2) (修験)

また、天台宗聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)(本山派)に連なる羽黒派に属する山伏が二人いる。
通史編3(近世2) ((二)本末制と僧録制)

しかし、幕府の政策は京都に多い本山を通して伝えられる不便さがあった。
通史編5(近・現代2) (建設反対運動の機運)

根深は人脈を利用し、日本自然保護協会に訴え、さらに日本山岳会の自然保護委員会に働きかけた。  
通史編2(近世1) (林政の展開と漆木の栽培)

藩では山林の種類を、本山(もとやま)・田山(たやま)・見継山(みつぎやま)・仕立見継山(したてみつぎやま,本山は樹木の伐採が可能な山で、上山通り(碇ヶ関の山林から目屋の沢山林までの九山)、中山通り(前田の目山林,見継山は、本山のうちで樹木を切り尽くしてしまった後に山下の村民に若木を育成させ、ある一定の大きさとなった,仕立見継山は、本山の内、またはその他の空き地において栽培の許可を得て樹木を育成し、成木の際に伐採を認めるもので
通史編3(近世2) (居開帳)

本山へ赴く経費を得るための開帳として、大円寺の例がある。,享保十八年(一七三三)、法脈の本山高野山遍照尊院(現和歌山県伊都郡高野町)で弘法大師九〇〇年忌があること
資料編3(近世編2) (【解説】)

ただ、浄土宗にあって本山専称寺へ提出された「山崎専称寺並末寺由緒書」と、地元に残された「浄土宗諸寺院縁起
通史編3(近世2) (宗教と交通統制の低下)

)・神宮寺(じんぐうじ)・袋宮寺(たいぐうじ)・最勝院(さいしょういん)といった大寺院が中心となり、本山
通史編2(近世1) (「出頭人」の台頭)

一方、後見役であった信英の素行に対する傾倒は、寛文元年、旗本山口直治を通して、津軽家召し抱えを申し出たり
通史編1(古代・中世) (一 中世寺院の建立)

「当寺開基日尋は本山開祖日秀か八代の法孫なり本満寺の衆徒なり、故有て擯せられ、其罪を補として、松前に蟄
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

出典・典拠一覧(第一章・第二章) あ 赤神山本山縁起 ……………………………………………………………
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

…………………… 赤神山本山縁起 239 ●永享四年(一四三二)六月二十七日、前伊勢守親経・源家行、津軽田舎郡平内郷内
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