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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(本行寺)
本行寺
本行寺
(ほんぎょうじ)は、慶長十七年(一六一二)、元寺町にあった法立寺を改称したことに始まる,日健は本圀寺(ほんこくじ)(現京都市)一六世日禎より山・寺号の「妙法山
本行寺
」を与えられ、法立寺へ第五世,慶長年間(一五九六~一六一四)、法立寺が堀越より弘前元寺町へ移ると、信枚は
本行寺
と改称させようとした。,この時、法立寺四世日玉の弟子日正が、法立寺は本満寺の末寺で法華宗(日蓮宗)を領内に始めた寺であり、
本行寺
,図221.
本行寺
/
本行寺
資料編3(近世編2)
(●本行寺 護国堂 新寺町--県重宝)
●
本行寺
護国堂 新寺町--県重宝 この堂の創立沿革についての詳細は不明であるが、寺蔵の記録では、七代信寧,図9
本行寺
護国堂平面図 / ●
本行寺
護国堂 新寺町--県重宝
通史編3(近世2)
(日蓮宗)
日蓮宗 日蓮宗は三派があり、
本行寺
が僧録所、本末は図199のとおりであった。,図199.日蓮宗本末関係図 僧録所
本行寺
から法嶺院(ほうりょういん)に対し、弘化二年(一八四五),
本行寺
からは庵号を用いるように連絡があったため、法嶺院は妙経寺に院号使用を願い出ている。,この年から法嶺庵日遷と高館村との間に抱え山の伐木に関して争いが起こり、同四年(一八四七)、
本行寺
から妙経寺
通史編3(近世2)
(満行院)
まんぎょういん)は、「旧記録」(同前No.四一〇)によると、延宝五年(一六七七)に越後出身の日充が、
本行寺
七世日義,『新撰陸奥国誌』によれば、明治三年(一八七〇)、受源院に合併されたが、同七年、
本行寺
二八世日熈が復興した
通史編3(近世2)
(感応寺)
(かんのうじ)は、「旧記録」によれば、三森村(みつもりむら)(現市内)の鎮守観音堂が衰退していたのを
本行寺
七世日義,「重宝錦嚢」は、元和八年(一六二二)、
本行寺
三世日意が再興し、元文五年(一七四〇)、独狐村(とっこむら
通史編3(近世2)
(信明)
天明四年八月二十五日には長袴を着し、長勝寺・報恩寺・
本行寺
の廟所に詣でているが、
本行寺
には六代信著の側室円授院
通史編3(近世2)
(法立寺)
文禄三年(一五九四)に堀越、慶長十六年(一六一一)元寺町へ移転、同十七年、信枚は法立寺を
本行寺
と改称させ
通史編3(近世2)
(学校縮小)
学校の旧建物は文化八年(一八一一)取り壊し、その資材は
本行寺
、法立寺、大円寺、貞昌寺に払い下げられた。
資料編3(近世編2)
(協力機関及び協力者一覧(各機関・個人ごとに五十音順、敬称略))
青森県弘前市) 弘前大学附属図書館(青森県弘前市) 普門院(青森県弘前市) 報恩寺(青森県弘前市)
本行寺
通史編2(近世1)
(野本道玄の招聘)
しかし、道玄は茶道を伝授するのみならず、養蚕技術の導入、岩木山麓での茶の栽培、弘前城下の貞昌寺・
本行寺
,1714 正徳4 60 10月5日没,
本行寺
に葬る。
通史編3(近世2)
(野本道玄)
茶庭にも才を発揮し、青森油川の浄満寺、弘前の梅林寺、
本行寺
、貞昌寺、報恩寺の庭を造っており、三の丸庭園
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
青森県弘前市) 遍照尊院(和歌山県伊都郡高野町) 報恩寺(青森県弘前市) 法立寺(青森県弘前市)
本行寺
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
弘前市立図書館蔵津軽家文書 138 国日記 宝永3年10月7日条 弘前市立図書館蔵津軽家文書 139 弘前市
本行寺
,弘前市立図書館蔵一般郷土資料 147 佐藤吉長氏蔵 148 高谷信夫氏蔵 149 同上 150 弘前市
本行寺
,218 弘前市 藤先寺蔵 219 弘前市 普門院 220 弘前都図 弘前市立博物館蔵 221 弘前市
本行寺
通史編3(近世2)
(繭)
墓は新寺町
本行寺
境内にある。 図139.野本道玄の墓
通史編3(近世2)
(二代信枚)
真教寺(しんきょうじ)、専徳寺(せんとくじ)、法源寺(ほうげんじ)、円明寺(えんみょうじ)、法華寺は
本行寺
通史編3(近世2)
(弘前市内寺院所蔵の彫刻・絵画)
数多くの寺の中で、藩とかかわり深い長勝寺・報恩寺・貞昌寺・
本行寺
・誓願寺などに作風の優れた像が多かったのも
通史編3(近世2)
((二)富籤興行)
興行主は黒石上ノ坂(かみのさか)宮・大円寺・大行院・茶臼館(大行院配下の修験)・
本行寺
・東照宮神主山辺丹後
通史編3(近世2)
(城下での生活)
皆が帰った後、弥兵衛とともに
本行寺
(ほんぎょうじ)(現市内新寺町)へ参る。,食当たり気味で腹の調子が悪く、
本行寺
より帰宅。夜~翌朝まで腹痛で薬を飲む。
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
本行寺
(ほんぎょうじ)の護国堂(ごこくどう)は、寺蔵の記録では、七代信寧(のぶやす)(「勝之助」)誕生
通史編1(古代・中世)
(四 中世津軽の宗教世界の特色)
また日蓮宗の京都本満寺と本圀寺による法立寺・
本行寺
の建立もその例外ではない。
通史編1(古代・中世)
(二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)
本行寺
日蓮宗 京都本 圀寺 天正八 (一五八〇) 日健 堀越 (弘前市) 新寺町 慶長十一年に
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
専求院 同右 誓願寺 (52) 法立寺 日蓮宗 洛陽本国寺 天文二年 開基は日尋に始まる (53)
本行寺
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