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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (白石会議)

弘前藩への白石会議招請状は、仙台藩に滞在中の杉山八兵衛の許へ、翌五日に届けられた。,閏四月七日付の杉山八兵衛が国元へ宛てた書状に、この間の事情が説明されている(『弘前藩記事』一)。  ,そこで、杉山八兵衛には会議参加に向け、逗留を申し込まれたので、杉山の判断で承知する旨を伝えた。,、秋田藩には八日に届いているから、弘前藩にもそのあたりに国元へ届いているはずであり、実際、仙台出張の杉山八兵衛,諸藩の参加は強く求められたものではなく、弘前藩でも杉山八兵衛も帰藩したため、閏四月十一日に開催された白石会議
通史編3(近世2) (討庄応援兵の派遣)

これに対して国元では、早速家老杉山八兵衛の仙台派遣を決め、応援兵派遣へと準備しはじめることになる。,杉山八兵衛の仙台派遣は、西館宇膳より諸藩が次々と総督府に使者を送っている様子が伝えられたことに基づく判断,四月十六日、杉山八兵衛は、弘前を出発して仙台へ向かった。,弘前を出発した杉山八兵衛は、新庄へ到着して滞陣中の沢副総督に会い、その様子を四月二十五日付の書状の中で,沢為量に会った後、新庄を出発した杉山八兵衛は、四月二十八日に岩沼へ到着して、翌二十九日、予定どおりに九条総督
通史編2(近世1) (正保の信義排斥事件)

一味連判をしたものは、津軽信隆(のぶたか)・津軽権之丞・杉山八兵衛・大道寺宇左衛門・富岡武兵衛・大野甚右衛門
通史編3(近世2) (一二代承昭の襲封)

その主張の急先鋒は用人山田登であり、彼は同志を募りながら家老西館宇膳・山中兵部・杉山八兵衛らと対決姿勢
通史編3(近世2) (大政奉還時の状況)

慶応三年十二月八日、西舘と京都出役中の家老杉山八兵衛は禁裏御仮立所に招集され、赤石はそれに随行した。
通史編3(近世2) (軍事情勢の膠着)

結局沢為量通行問題は現地に戻った山崎と秋田出役中の家老杉山八兵衛(すぎやまはちべえ)の独断で処理された
通史編3(近世2) (庄内征討命令をめぐって)

しかし、四月二十八日、新庄に赴いた杉山八兵衛からの知らせで、庄内には薩長の兵が押し寄せ、戦争が始まったという
通史編2(近世1) (家臣団の成立)

川越九郎左衛門・三上荘左衛門・神左馬助(じんさまのすけ)、瀬戸子(せとし)村(現青森市瀬戸子)他の取立者として杉山八兵衛
通史編2(近世1) (家中払米の展開)

同年八月二十日付の杉山八兵衛(後に寛文蝦夷蜂起では弘前藩の出兵隊長として蝦夷地に渡ることになる)の青森沖口出米願書
通史編2(近世1) (知行宛行状の発給)

同年二月には重臣杉山八兵衛に横沢村(現板柳町横沢)・俵升(たわらます)村(現藤崎町俵升)・たも木派村(
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