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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (領内アイヌと寛文蝦夷蜂起)

また、加勢人数として派遣された杉山吉成の隊には九人のアイヌが飛脚として従っている(同前No.八三三)。
通史編2(近世1) (正保の信義排斥事件)

この年の十二月二十八日に出されたと思われる盛岡采女(うねめ)と北村久左衛門に宛てた山田勝重と杉山吉成(
通史編2(近世1) (情報収集活動)

杉山吉成が、松前に渡海した後は、刻々と戦況が国元に送られ、それらは九月で一三回、十月で一八回、閏十月一四回
通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)

この松前派兵の当初計画では、一番隊が杉山吉成、二番隊が津軽為節(ためとき)、そして三番隊が津軽信章(のぶあき,七月二十三日、江戸からの飛脚が弘前に着き、在府中の藩主信政の御意として、松前に津軽為節・杉山吉成が大頭,522 総計 912 164 上下   295 人夫・水主227  結局、実際に渡海したのは第一陣の杉山吉成以下七
通史編2(近世1) (家中屋敷の郭外移転)

されている「弘前古御絵図」(弘図津、資料近世1付図)によれば、二の丸には侍屋敷が五区画屋敷割りされていたが、杉山吉成
通史編2(近世1) (支配機構の整備)

騎馬侍の組が四組作られ、頭に選ばれた津軽政朝(まさとも)・大道寺為久(ためひさ)・津軽為節(ためとき)・杉山吉成
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●正保元年(一六四四)二月、この月、津軽信義、重臣杉山吉成へ黒印状を下し、知行五百石を充行う。,●正保四年(一六四七)十二月二十八日、重臣杉山吉成等盛岡・北村両名へ書状を遣わし、富岡武兵衛の仕置を依頼
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