機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 20件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
資料編1(考古編)
(例言)
第1章 山口義伸、鎌田耕太郎、古川克彦 第2章
村越潔
第3章 三浦圭介 第4章 工藤清泰 第,5章
村越潔
、三浦圭介、工藤清泰
資料編1(考古編)
(〈2〉津軽地方で生産された須恵器)
この後、坂詰秀一(立正大学)・
村越潔
(弘前大学)・新谷武(五所川原市)・秋元省三(五所川原市)らによって,窯跡名 発掘調査者 発掘年 概要 文献 1 原子山道溜池窯 未 須恵器,窯体壁片散布
村越潔
・新谷武,ノ沢奥(C)窯 未 須恵器,窯体壁片散布地, 燃焼部破壊(幅約1.5m) 5 砂田D-1号窯
村越潔
,新谷武 S48.11 半地下式無階無段登窯 7.5m×1.65m 1基
村越潔
・新谷武,「青森県前田野目砂田遺跡発掘調査概報」 「北奥古代文化」第6号 S49.5 6 砂田D-2号窯
村越潔
資料編1(考古編)
(「新編 弘前市史」編纂事業関係者名簿(平成6年4月1日現在辞令交付分))
元東北女子大学教授 小野正文 元青森中央短期大学学長 千葉寿雄 弘前市教育委員
村越潔
,東北女子大学教授 ○編集委員 笹谷正一 弘前市市長公室長 千葉寿雄 弘前市教育委員
村越潔
,さん委員会事務局長 【専門部会】 〔Ⅰ 自然・原始・古代・中世専門部会〕 ○部会長
村越潔
資料編3(近世編2)
(「新編 弘前市史」編纂事業 関係者名簿(平成十一年四月一日現在辞令交付分))
荒井清明 弘前市立博物館協議会委員 〃 千葉寿雄 元弘前市教育委員 〃
村越潔
,荒井清明 弘前市立博物館協議会委員 〃 千葉寿雄 元弘前市教育委員 〃
村越潔
,さん委員会事務局長 【専門部会】 Ⅰ 自然・原始・古代・中世専門部会 部会長
村越潔
通史編1(自然・原始)
(凡例)
第四節…古川克彦 第五節……………鎌田耕太郎 第六節…二部濱男 第二章 第一節~第四節…
村越潔
,年表 津軽地方の気象特性と災害・津軽地方災害年表…二部濱男 考古学史年表…
村越潔
通史編1(自然・原始)
(「新編 弘前市史」編纂事業関係者名簿(平成十三年一月一日現在辞令交付分))
荒井清明 弘前市立博物館協議会委員長 〃 千葉寿雄 元弘前市教育委員 〃
村越潔
, 荒井清明 弘前市立博物館協議会委員長 〃 千葉寿雄 元弘前市教育委員 〃
村越潔
,さん委員会事務局長 【専門部会】 Ⅰ 自然・原始・古代・中世専門部会 部会長
村越潔
資料編1(考古編)
(5.大森勝山遺跡)
※参考文献 1)
村越潔
「岩木山麓の大森勝山遺跡で発見した大竪穴住居址」(弘前大学国史研究19・20合併号,磯崎「大森勝山遺跡」(岩木山-岩木山麓古代遺跡発掘調査報告書)弘前市教育委員会 1966年3月 3)
村越潔
資料編1(考古編)
(あとがき)
あとがき 自然・原始・古代・中世 専門部会長
村越潔
さきの『弘前市史』(藩政編
通史編1(自然・原始)
(第三節 注および引用・参考文献)
53)江坂輝彌 「三戸郡大館村十日市赤御堂貝塚調査略報」『奥南史苑』二 一九五七年 (54)小片保・
村越潔
,笠井新也 「陸奥国発見の石器時代の墳墓に就いて」『考古学雑誌』九-二 一九一八年 (76)市川金丸・
村越潔
,(77)A 江坂輝彌 「青森市久栗坂山野峠遺跡」『考古学ジャーナル』一三 一九六七年 B
村越潔
,一九五三年 (79)江坂輝彌 「縄文時代の配石遺構について」『北奥古代文化』三 一九七一年 (80)A
村越潔
通史編1(自然・原始)
(まえがき)
まえがき 自然・原始・古代・中世専門部会長
村越潔
昭和三十三年から
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
) 1959年 *37 音喜多富寿 「鹿島沢古墳群調査略報」(奥南史苑4) 1960年 *38
村越潔
,1963年 *44 江坂輝弥 「青森県下の洞穴遺跡」(洞穴遺跡調査会会報9) 1963年 *45
村越潔
,社会-) 1967年 *62 〃 「青森県の東部と西部」(うとう70) 1967年 *63
村越潔
,橘善光 「青森県脇野沢村桂沢の擦文土器について」(考古学ジャーナル22) 1968年 *74 斎藤忠・
村越潔
,金子浩昌・橘善光・奈良正義 「大間貝塚第2次調査概報」(北海道考古学11) 1975年 *125
村越潔
通史編1(自然・原始)
(第二節 注および引用・参考文献)
ミクロリス』一〇 一九五四年 B 杉原荘介 『日本先土器時代の研究』 講談社 一九七四年 (11)
村越潔
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第2章〉)
江坂輝彌 「海岸線の進退から見た日本の新石器時代」(科学朝日14-3) 1954年3月 *41
村越潔
,紅葉山砂丘内陸側低湿地における考古学的調査』(北海道石狩町教育委員会) 1992年3月 *49B
村越潔
,11月 *83 坪井正五郎 「雪中遮光器」(東京人類学会雑誌6-62) 1891年5月 *84A
村越潔
,青森県是川村一王寺史前時代遺跡発掘調査報告」(史前学雑誌2-6) 1930年11月 *94 小片保・
村越潔
,図版解説-陸奥国是川遺跡出土品-」(是川遺跡出土遺物報告書) 1972年3月 *139 工藤泰博・
村越潔
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
一七七八年(安永七) B 中谷治宇二郎 『日本先史学序史』 岩波書店 一九三五年十二月 C
村越潔
,「三戸郡名川町大字平小字前ノ沢出土の合口かめ棺について」『奥南史苑』四 一九六〇年三月 (101)
村越潔
, 「湯ノ沢遺跡」『岩木山』 一九六六年三月 (102)
村越潔
「薬師Ⅱ号遺跡」『岩木山』 一九六六年三月, 『大平山元Ⅲ遺跡発掘調査報告書』(青森県立郷土館調査報告一一・考古) 一九八一年三月 (110)
村越潔
, B 坂詰秀一 「津軽持子沢窯跡の調査」『考古学ジャーナル』七五 一九七二年十一月 (127)
村越潔
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
このように昭和30年代に入ると、弘前大学に赴任した
村越潔
や前述の桜井、並びに慶応大学の江坂輝弥を中心とした,昭和55年(1980)11月に浪岡町で行われた青森県考古学会総会で、
村越潔
が「考古学上よりみた青森県の
通史編1(自然・原始)
(新編 弘前市史 通史編1(自然・原始) 目次)
まえがき 自然・原始・古代・中世専門部会長
村越潔
資料編1(考古編)
((2)太平洋戦争後から現代まで)
前田野目地区の窯跡群についてはその後、坂詰秀一・
村越潔
・新谷武*325*329らによって昭和48年(1973
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
福島県立博物館写真提供 写真19 岩手県胆沢郡胆沢町教育委員会写真提供 写真20 国立歴史民俗博物館 写真21 弘前市
村越潔
氏写真提供
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
において、十世紀初めの窯跡を発掘(126)、昭和四十八年(一九七三)十月には新谷武(あらやたけし)と
村越潔
資料編1(考古編)
(-文献リスト-)
◇201
村越潔
(1964) 東北北部の新石器時代における海岸線の浸退に関する試論.弘前大学教育学部紀要
/ 1ページ