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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) ((1)明治時代から太平洋戦争まで)

この年、廣澤安任が東京人類学会に上北発見の竪穴住居について報告した*1。,その後、佐藤重紀*2*3・佐藤伝蔵*4らの調査報告が、相次いで東京人類学会誌『東京人類学会報告』に発表
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

』二-一一 一八八七年一月 (16)下澤保躬 「石ノ鞋草ト称フル古石器」『東京人類学会報告』二-一〇, 一八八六年十二月 (17)佐藤蔀 「陸奥国津軽郡花巻村ヨリ出デタル大甕」『東京人類学会雑誌』五-四五,』五-四七 一八九〇年二月 (19)外崎覺蔵 「陸奥津軽郡湯口村古物発見」『東京人類学会雑誌』三-二七, 「陸奥瓶ヶ岡にて獲たる土偶の図-瓦偶人之図」『東京人類学会雑誌』三-二一 一八八七年十一月 (24, 一八九六年一月   B 佐藤傳蔵 「陸奥国亀ヶ岡第二回発掘報告」『東京人類学会雑誌』一一-一二四 
通史編1(自然・原始) (人類学会創設~昭和三十三年(一九五八))

東京大学理学部の人類学教室を本拠とし、明治十九年(一八八六)二月から『人類学会報告』(同年六月の一巻五号から東京人類学会報告,前述のように、土岐蓑虫や神田孝平によって学界に紹介され、なかでも明治二十年(一八八七)の佐藤蔀により東京人類学会雑誌,明治の三十年代から四十年代にかけては、東京人類学会の会員が本県の石器時代に強い関心を抱き、大野延太郎(
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

〈注及び参考文献一覧…第3章〉 *1 廣澤安任 「アイノノ遺跡ノ事」(東京人類学会報告2-11) 1887,年 *2 佐藤重紀 「陸奥国上北郡の竪穴」(東京人類学会報告5-51) 1890年 *3 佐藤重紀, 「竪穴及チャシコツ」(東京人類学会報告6-57) 1890年 *4 佐藤傅蔵 「日本本州に於ける竪穴発見報告,」(東京人類学会雑誌13-145) 1898年 *5 佐々木新七 『青森県史蹟名勝天然記念物調査報告
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書33) 1977年3月 *82 佐藤蔀 「瓦偶人之図」(東京人類学会雑誌,3-21) 1887年11月 *83 坪井正五郎 「雪中遮光器」(東京人類学会雑誌6-62) 1891,*114に前掲 *132 *115に前掲 *133 坪井正五郎 「日本石器時代の網代形編み物」(東京人類学会雑誌
資料編1(考古編) ((4)土製品)

明治20年(1887)、佐藤蔀により東京人類学会雑誌を飾った「瓦偶人之図」*82を基に、遮光器という名
通史編1(自然・原始) (第三節 注および引用・参考文献)

小牧野遺跡発掘調査報告書』(青森市埋蔵文化財調査報告書三〇) 一九九六年 (81)坪井正五郎 「雪中遮光器」『東京人類学会雑誌
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