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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (夷島流刑と東夷成敗権)

夷島流刑と東夷成敗権 当時の幕府・六波羅探題の法律書『沙汰未練書』には「武家ノ沙汰」の一つとして「東夷成敗,東夷トハ蝦子(えぞ)事也」とあるが(史料六一五)、夷島への流刑行為はこの幕府独自の権限である「東夷成敗権 / 夷島流刑と東夷成敗権
通史編1(古代・中世) (蝦夷管領)

この蝦夷管領職は、先の『沙汰未練書』にみえる「武家ノ沙汰」の一つとしての東夷成敗権(史料六一五)を体現,鎌倉殿の夷島流刑といった行為は、まさに鎌倉殿が京都の朝廷より付与された「東夷成敗権」に基づくものなのであり,こうした東夷成敗権なるものが設定された背景には、院政期(ちょうど道南地方で擦文文化が終焉を迎える時期)
通史編1(古代・中世) (足利尊氏の離反)

鎮守府将軍に任ぜられており(征夷大将軍には、すぐ後に護良(もりよし)親王が任じられた)、鎌倉幕府の有していた東夷成敗権,、またそれを現地で体現する蝦夷沙汰権を自ら掌握しようとしていた。
通史編1(古代・中世) (蝦夷の乱と安藤氏の乱)

つまり、この乱は、第一義的には、実は中世国家の東夷成敗権と密接な関係を持つ「蝦夷」の反乱なのであり、安藤氏一族内部
通史編1(古代・中世) (新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)

……  20    二 蝦夷はアイヌか ……………………………………………  33    三 大和政権の, 192    四 中世前期の交易 ……………………………………………  206 第二節 鎌倉幕府の東夷成敗権,   五 御内人の世界 ………………………………………………  254    六 境界の地津軽と「東夷成敗,」権、そして安藤氏 ………  273    七 蝦夷の争乱と津軽大乱 ……………………………………  ,……  339    三 北奥宗教界の中世的転回 …………………………………  347    四 執権時頼
通史編1(古代・中世) (四 執権時頼の東国廻国をめぐって)

四 執権時頼の東国廻国をめぐって 鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』は、正元元年(一二五九)と弘長二年(一二六二,一つは正元元年の前年の正嘉二年(一二五八)に、時頼のみならず幕府が長いこと、「東夷成敗」の地としてその,奥付けによれば、平政連とは「出雲介の父」で、正式には「筑前権守政連」という人物である。,政連はついに貞時の執権在職時のことを引き合いに出す。,ことの本質は、鎌倉幕府の公権力としての宗教的祭祀権の現実的行使が北奥地域になされたか否か、に存するのであり / 四 執権時頼の東国廻国をめぐって
通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

その宗教政策とは、ごく簡単にいえば公家政権が標榜する天台宗中心の「顕密主義」仏教に対して、幕府が公権力,言葉を変えていえば、幕府の志向・創作した「禅密主義」仏教政策が、幕府の宗教的祭祀権として、東国の地に現実,執権時頼の廻国伝承と唐糸御前の悲恋史話は、当該地域の中世史を考える上で、古くから多くの関心を集めている,幕府のいわゆる「東夷成敗権」なるものは、前述したように遠く源頼朝に遡源し、それがいくつかの段階を経て時頼,執権時頼にとって、この北奥の地は頼朝の奥州平定の際に血をもって血を染めた地でもあり、それゆえ『吾妻鏡』
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●このころ、沙汰未練書成り、東夷成敗権を規定。,●建武二年(一三三五)二月十二日、権大僧都頼基、平賀郡乳井郷福王寺別当職。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 続日本紀 32 ●宝亀七年(七七六)五月十二日、佐伯久良麻呂、鎮守権副将軍。,鎮守権副将軍任命。,鎮守将軍文室道世、下野権介兼任。陸奥国奥地の俘囚、内紛、警備に兵士差発。,………………………… 日本三代実録 75 ●元慶二年(八七八)五月四日、良吏藤原保則、出羽権守兼任。,………………………… 南部家文書 173 ●このころ、沙汰未練書成り、東夷成敗権を規定。
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