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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記)

『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記 五連隊はわずかに一泊の行軍予定の計画で二〇〇人近い死傷者を出,この幻となっていた『東奥日報』には、第三一連隊に従軍していた東奥日報社の記者・東海勇三郎が行軍記を記しているのである,(二月四日付『東奥日報』記事は、青森県史編さん室で所蔵)。  ,けれども当該記事は前述したとおり、東奥日報社にも保存紙がない。,この記事は現在、東奥日報社の保存紙にもあり、マイクロフィルムで閲覧が可能である。 / 『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記
通史編4(近・現代1) (第五連隊との遭遇)

記事が発表された数日後には当該記事は姿を消し、三一連隊の壮挙とともにまったく記されなくなっている(『東奥日報,なお、この号外は東奥日報社に原紙がなく、コピー版を青森県立図書館が所有している)。  ,間山伍長の子息である間山重勝氏も、父が「雪だるまのように雪をかぶった兵士を見た」ことを証言している(『東奥日報,川村宮蔵の娘である三上キミ子さんは「雪をかぶって倒れている兵隊を見つけた」という父の証言を伝えている(『東奥日報,前述したように、『東奥日報』の保存紙は従軍記が書かれた前後約一〇日分が存在していない。
通史編5(近・現代2) (連続する災害と東北振興政策)

工藤は私財をなげうって無料宿泊所を設置したわけだが、『東奥日報』は「要らざる享楽には金を惜しまぬ人はあつても,青森県の場合、メディアの働きとして『東奥日報』の活動が鍵となった。,『東奥日報』は社長山田金次郎の指導のもとに、県内各地の凶作情報を伝え、救済・振興運動をまとめ上げるなど,この結果、青森県内の東北振興運動は、県民の幅広い支持を引き出したのである(詳細については中園裕「『東奥日報,弘前市の場合、東北振興政策はなんと言っても市内を流れる岩木川改修問題に尽きるが、このときも『東奥日報』
通史編5(近・現代2) (東奥美術展)

昭和六年の秋には、青森県下全域を対象として、東奥日報社が主催する「東奥美術展」が東奥美術社を包括する形,東奥日報社は東奥美術展を開催するまでに、大正十五年(一九二六)十月に一万二〇〇〇号の発刊を記念して、同,じく県下全域を対象とする「東奥日報紙一万二千号発刊記念総合趣味展覧会」を開催していた。
通史編5(近・現代2) (俳句会のリーダー木村横斜)

三十四年、東奥日報社へ入社し、句作に耽(ふけ)った。,三十五年、「東奥日報」に「県下の俳壇概況」を発表、さらに「太平会」の回覧雑誌「酒ぶくろ」を発行した。
通史編4(近・現代1) (第三一連隊の壮挙とその後)

しかし、ここでは前述した二月四日付の『東奥日報』記事が、三一連隊の行軍成功に関する一連の記事を掲載しているので,『東奥日報』もその例に漏れないが、二月四日付『東奥日報』でも、三一連隊の快挙に関する記事が掲載されている,二月四日の『東奥日報』記事には、その様子がよく示されている。,、本来ならば盛会を開くところを、五連隊の悲劇に鑑み遠慮したと告げている(この記事を含め、二月四日付『東奥日報
通史編5(近・現代2) (極東大会陸上競技で優勝・道川茂作)

(『青森20 世紀の群像』東奥日報社、二〇〇〇年)  事実、道川選手は国際大会において新記録で優勝している,第八回極東選手権大会の一万メートル決勝で三四分五六秒のタイム(資料近・現代2No.六八九)で一着でゴールインした・東奥日報
通史編5(近・現代2) (家庭に戻る女性たち)

『東奥日報』でも男性職員と遜色なく活動を続けてきた彼女たちに対し、「長年よく闘つた女子職員の功績は永久,写真106 家庭に戻る女性を報じた『東奥日報』
通史編5(近・現代2) (郷土部隊の出征)

出征家族を慰問する活動が盛んに行われ、『東奥日報』や『弘前新聞』は郷土部隊の活躍を逐一報じた。,『東奥日報』や『弘前新聞』は中央紙ほどの活動こそできなかったが、青森県ないし弘前市の郷土部隊の活躍に関,師団主力が出征するということで、『東奥日報』をはじめ新聞は大々的にその偉功をたたえ、郷土師団の派遣を盛大,凱旋歌は東奥日報社が講じたメディアイベントの一つで、同社が昭和九年三月に発刊した『満州事変第八師団戦功史
通史編5(近・現代2) (個人作家の活躍)

のあゆみ展』展示図録 一九九五年 青森県立郷土館『青森県近代日本画のあゆみ展』展示図録 一九九八年 東奥日報社,『青森県人名事典』二〇〇二年 東奥日報社編「青森県の美術家たち」『東奥日報』一九九八年から一九九九年
通史編5(近・現代2) (酒造業)

するとまもなく品質の向上がみられ、優良酒が醸造されるようになり、査定石数は増加していった(東奥日報社『,弘南地域の清酒が本品評会で全国一の入賞率を示したことで、全国的な銘酒として認められるようになった(『東奥日報
通史編4(近・現代1) (三 幼稚園教育)

ただ、同年九月、弘前市内小学校教員が参集して、幼児教育について研究会が開催され、その様子を『東奥日報』
通史編1(自然・原始) (三 津軽地方災害年表凡例)

記事は、第一部では古書・旧記類などが収録されている別掲文献から、第二部では、東奥日報新聞記事を基にまとめてある
通史編5(近・現代2) (みちのく銀行の誕生)

から大坂嘉市頭取(青和銀行)と唐牛敏世社長(弘前相互銀行) 写真173 新銀行名募集広告(『東奥日報,』昭和51年1月25日付紙面) 写真174 みちのく銀行広告(『東奥日報』昭和51年10月1,3,037億円 2,715億円 店舗数 88店舗 75店舗 行員数 2,276人 1,908人 『東奥日報
通史編4(近・現代1) (女学生の岩木山登山)

その内容と反響を報道した『東奥日報』は次のように伝えている。  ,(『東奥日報』明治四十二年八月九日付より)  これによると、二泊三日の予定で岩木山登山をすることになっている
通史編4(近・現代1) (学校看護婦の配置)

表59は『東奥日報』掲載の大正六年七月の市内小学生・幼稚園児のトラホーム罹患状況である。,七 五 四 一九 若葉幼稚 一〇 一 一 八 〇 一〇  計 六六 一三 一三 三七 四 六二 『東奥日報
通史編5(近・現代2) (弘前相互銀行と青南信用組合の合併)

なお、相互銀行と信用組合の異種合併は県内では初めてのことであった(『東奥日報』昭和四十八年八月一日付)
通史編5(近・現代2) (翼賛選挙)

立候補者を推薦する青森県の地方協議会は東奥日報社社長山田金次郎を委員長とし、三市八郡から一四人の委員を,第二区の選挙について昭和十七年五月二日付『東奥日報』は次のように報じている。    ,      二、一四六 仁尾勝男(新)       一、九六一 菊池仁康(新)  この結果について『東奥日報
通史編5(近・現代2) ((三)佐藤紅緑の活躍)

(三)佐藤紅緑の活躍 佐藤紅緑(明治七-昭和二四 一八七四-一九四九 弘前市)が東奥日報社の記者時代
資料編1(考古編) (協力機関及び協力者一覧)

南郷村歴史民俗資料館 静内町教育委員会 南茅部町教育委員会 名久井農業高等学校 熊野奥照神社 東奥日報社
通史編5(近・現代2) (新制弘前高校の誕生)

新制弘前高校の誕生 『二世紀への旅立ち-弘高百年の歩み』と題された記念誌に『東奥日報』の記事として男女共学
通史編5(近・現代2) (掲載写真の典拠・所蔵一覧)

弘南鉄道三十年誌』弘南鉄道株式会社 1957年 写真46 「津軽名勝と産業」弘前市蔵 写真47 東奥日報社提供,年至昭和23年 弘前市蔵 写真112 『青森県警察史』下 青森県警察本部 1977年 写真113 東奥日報社提供,弘前市立弘前幼稚園 1998年 写真165 つがる弘前農業協同組合蔵 青森県史編さん室写真提供 写真172 東奥日報社提供,1988年 写真202 『写真で見る東奧義塾120年』学校法人東奥義塾 1992年 写真204 東奥日報社提供
通史編4(近・現代1) (市制・町村制の公布)

だが、明治二十二年四月二日付の『東奥日報』の社説は次のようにこの市町村制自治の発足を喜んでいる。,郡によっても取り扱いが違い、揣摩臆測(しまおくそく)が行われ民心が落ち着かず、『東奥日報』は、情報を公開
通史編5(近・現代2) (青森県における小作人組合)

支配関係が小作人の反抗を抑え、大正十三年には、全国で小作争議の起こらないところは、本県と鹿児島県であると『東奥日報
通史編5(近・現代2) ((二)明治言論界の巨星・陸 羯南)

資料近・現代1No.七三一)が創刊され、同年十二月六日には後に県内の文壇に大きな影響を与えることになる「東奥日報
通史編3(近世2) (農家の遺構)

中二階を持つ「げなんべや」まで、主棟に整然と収容した住居である(草野和夫『青森県の民家』一九七七年 東奥日報社刊
通史編5(近・現代2) (昭和初期の恐慌と冷害凶作)

写真42 『東奥日報』の見出し (左:昭和9年12月3日 右:昭和9年12月7日)  昭和六年の,しかし、昭和六年(一九三一)冷害凶作の影響はその後も続き、『東奥日報』(昭和八年五月十三日付)は、「凶作
通史編4(近・現代1) (理科・文科両学生の確執)

理科・文科両学生の確執 開校以来、理科・文科の両学生間には確執があり、『青森県総覧』(東奥日報社、一九二八年
通史編3(近世2) (町家の遺構)

えられてはいるが、近世後期の数少ない商家の遺構として貴重である(草野和夫『青森県の民家』一九七七年 東奥日報社刊
通史編5(近・現代2) (日魯漁業の進出)

工員は全員地元採用であり、本市にとって大きな雇用効果をもたらした(『東奥日報』昭和三十五年、三十六年日魯漁業関連記事
通史編5(近・現代2) (タクシー事業の進展)

当時の弘前市における旅客運輸の状況を昭和六年七月十九日付の『東奥日報』では次のように報じている。
通史編5(近・現代2) (市役所のケチケチ運動)

市役所のケチケチ運動 昭和四十八年(一九七三)十一月二十四日付の『東奥日報』に〝暖房は四時で消す あすから
通史編5(近・現代2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

                    つがる弘前農業協同組合 (弘前市) 青森県史編さん室                   東奥日報社
通史編4(近・現代1) (普選運動の結実)

写真145 最初の普通選挙実施を伝える『東奥日報』
通史編4(近・現代1) (初めてストーブを使用)

ストーブ使用に関して『東奥日報』は「十二年度現在、高小六、朝陽九、時敏九、第二大成九、和徳六、第一大成六
通史編4(近・現代1) (新聞の発行)

百軒にふやしたいと大いに努力した」と述懐していることにも、その少なさは現れているだろう(伊藤徳一編『東奥日報,明治二十一年十一月には青森に『東奥日報』が創刊され、十二月六日付の第一号が、弘前では本町の支局から発売
通史編5(近・現代2) (戦後美術界の復興)

それまで年一回の美術展を開催し続けてきた東奥日報社も、昭和二十年と二十一年の秋の東奥美術展の開催は見合,写真280 奈良岡正夫『山羊』  東奥日報社は、前年休止した東奥美術展(東奥展)を昭和二十二年秋
通史編4(近・現代1) (顕彰碑の建立)

出席者は遺族、親族のほかに菊池良一(従兄弟)、伊東重、鳴海文四郎代議士、石郷岡弘前市長、武田東奥日報社社長
通史編5(近・現代2) ((五)野球)

には青森師範で樋口亮教諭が校庭で生徒に野球を指導したと報告されている(小林俊一『あおもりスポーツ群像』東奥日報社
通史編5(近・現代2) (国鉄ストライキと市民)

昭和五十年十一月二十六日付の『東奥日報』は次のように記している。   
通史編5(近・現代2) (終戦の詔勅降る)

写真61 昭和20年8月15日付『東奥日報』
通史編5(近・現代2) (県内の社会運動の状況)

県内の社会運動の状況 昭和九年の『東奥年鑑』(東奥日報社)では、青森県の国家主義運動を次のように記事,『東奥日報』の昭和八年十二月二十三日号に県警察部特高課の取締り状況が報道されている。
通史編5(近・現代2) (弘前へ帰る)

写真85 中国山西の前線での東奥日報社従軍記者:山崎元衛  大陸班は、弘前中学校が戦時体制の国策
通史編5(近・現代2) (三 津軽の文学の新たな展開(昭和の文学))

後年代議士や県知事を長く務め、〈文人知事〉と呼ばれるほど青森県の文化の隆盛に力を尽くした政治家であったが、東奥日報社
通史編4(近・現代1) (運送業の活躍)

貨物運搬営業者数は三人で台数は三台であり、弘前市内における運転免許状所持者は四〇人であった(『青森県総覧』東奥日報社
通史編4(近・現代1) (りんご生産の展開と農業振興)

本県初のりんごの広告は、弘前の黒滝七郎によって明治二十四年(一八九一)一月の『東奥日報』に掲載された。,写真95 明治24年1月『東奥日報』の広告  初期の販路拡大の担い手は、主として指導的な生産者であったが,同三十五年、販路拡張を目的に有力生産者の結集を目指して、「苹果(へいか)組合設立協議会」の設立(『東奥日報
通史編5(近・現代2) (鉄道営業の整備)

昭和八年七月十一日付の『東奥日報』には次のような記事が見られる。 軍都弘前そして学都の弘前。,写真40 『東奥日報』(昭和8年7月11日付)
通史編5(近・現代2) (戦時生活の諸側面)

りんごの英語名廃止運動を主唱したのは、『東奥日報』だった。,写真31 りんごの英語名廃止を掲げる『東奥日報』  けれども弘前市民が戦時体制のなかで、生活の楽
通史編4(近・現代1) (就学生千人を超える)

『東奥日報』は同校の祝賀式を報道して「当日の来賓者は千余名、参観者は無慮一万人以上に達し未曾有の盛況」
通史編5(近・現代2) ((二)相撲王国)

昭和三十三年一月三十日付の『東奥日報』は「第四十五代目の横綱若乃花『土俵の鬼』嬉し涙」の見出しをつけ、
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