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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(東奥美術展)
昭和六年の秋には、青森県下全域を対象として、
東奥日報社
が主催する「東奥美術展」が東奥美術社を包括する形,
東奥日報社
は東奥美術展を開催するまでに、大正十五年(一九二六)十月に一万二〇〇〇号の発刊を記念して、同
通史編4(近・現代1)
(『東奥日報』従軍記者の書いた雪中行軍記)
この幻となっていた『東奥日報』には、第三一連隊に従軍していた
東奥日報社
の記者・東海勇三郎が行軍記を記しているのである,行軍記を連載していたのだが、後述する五連隊と三一連隊の遭遇事実を記してしまったがために、軍からの圧力と
東奥日報社
内,東海記者が連載していたであろう新聞が、前後一〇日間分欠損しており、
東奥日報社
の保存紙にも見当たらないからである,けれども当該記事は前述したとおり、
東奥日報社
にも保存紙がない。,この記事は現在、
東奥日報社
の保存紙にもあり、マイクロフィルムで閲覧が可能である。
資料編1(考古編)
(協力機関及び協力者一覧)
南郷村歴史民俗資料館 静内町教育委員会 南茅部町教育委員会 名久井農業高等学校 熊野奥照神社
東奥日報社
通史編5(近・現代2)
((三)佐藤紅緑の活躍)
(三)佐藤紅緑の活躍 佐藤紅緑(明治七-昭和二四 一八七四-一九四九 弘前市)が
東奥日報社
の記者時代
通史編5(近・現代2)
(掲載写真の典拠・所蔵一覧)
弘南鉄道三十年誌』弘南鉄道株式会社 1957年 写真46 「津軽名勝と産業」弘前市蔵 写真47
東奥日報社
提供,年至昭和23年 弘前市蔵 写真112 『青森県警察史』下 青森県警察本部 1977年 写真113
東奥日報社
提供,弘前市立弘前幼稚園 1998年 写真165 つがる弘前農業協同組合蔵 青森県史編さん室写真提供 写真172
東奥日報社
提供,1988年 写真202 『写真で見る東奧義塾120年』学校法人東奥義塾 1992年 写真204
東奥日報社
提供
通史編3(近世2)
(農家の遺構)
中二階を持つ「げなんべや」まで、主棟に整然と収容した住居である(草野和夫『青森県の民家』一九七七年
東奥日報社
刊
通史編5(近・現代2)
(個人作家の活躍)
のあゆみ展』展示図録 一九九五年 青森県立郷土館『青森県近代日本画のあゆみ展』展示図録 一九九八年
東奥日報社
,『青森県人名事典』二〇〇二年
東奥日報社
編「青森県の美術家たち」『東奥日報』一九九八年から一九九九年
通史編3(近世2)
(町家の遺構)
えられてはいるが、近世後期の数少ない商家の遺構として貴重である(草野和夫『青森県の民家』一九七七年
東奥日報社
刊
通史編4(近・現代1)
(理科・文科両学生の確執)
理科・文科両学生の確執 開校以来、理科・文科の両学生間には確執があり、『青森県総覧』(
東奥日報社
、一九二八年
通史編5(近・現代2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
つがる弘前農業協同組合 (弘前市) 青森県史編さん室
東奥日報社
通史編5(近・現代2)
(戦後美術界の復興)
それまで年一回の美術展を開催し続けてきた
東奥日報社
も、昭和二十年と二十一年の秋の東奥美術展の開催は見合,写真280 奈良岡正夫『山羊』
東奥日報社
は、前年休止した東奥美術展(東奥展)を昭和二十二年秋
通史編5(近・現代2)
((五)野球)
には青森師範で樋口亮教諭が校庭で生徒に野球を指導したと報告されている(小林俊一『あおもりスポーツ群像』
東奥日報社
通史編4(近・現代1)
(顕彰碑の建立)
出席者は遺族、親族のほかに菊池良一(従兄弟)、伊東重、鳴海文四郎代議士、石郷岡弘前市長、武田
東奥日報社
社長
通史編5(近・現代2)
(俳句会のリーダー木村横斜)
三十四年、
東奥日報社
へ入社し、句作に耽(ふけ)った。
通史編5(近・現代2)
(極東大会陸上競技で優勝・道川茂作)
(『青森20 世紀の群像』
東奥日報社
、二〇〇〇年) 事実、道川選手は国際大会において新記録で優勝している
通史編5(近・現代2)
(三 津軽の文学の新たな展開(昭和の文学))
後年代議士や県知事を長く務め、〈文人知事〉と呼ばれるほど青森県の文化の隆盛に力を尽くした政治家であったが、
東奥日報社
通史編4(近・現代1)
(運送業の活躍)
貨物運搬営業者数は三人で台数は三台であり、弘前市内における運転免許状所持者は四〇人であった(『青森県総覧』
東奥日報社
通史編5(近・現代2)
(弘前へ帰る)
写真85 中国山西の前線での
東奥日報社
従軍記者:山崎元衛 大陸班は、弘前中学校が戦時体制の国策
通史編4(近・現代1)
(明治時代の市史編纂)
彼は、明治四十三年教職を退いて、
東奥日報社
に入社していた。
通史編1(古代・中世)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
(神奈川県鎌倉市) 貞昌寺(弘前市) 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県豊浦郡豊北町)
東奥日報社
通史編5(近・現代2)
(酒造業)
するとまもなく品質の向上がみられ、優良酒が醸造されるようになり、査定石数は増加していった(
東奥日報社
『
通史編5(近・現代2)
(前川設計建築群)
たっては、国の了解を得なければならなかったが、その際のやり取りを藤森市長は後の回顧談『過ぎにしかた』(
東奥日報社
通史編5(近・現代2)
(不当な評価を是正したい)
今官一のこの真摯な態度が終始一貫していることは、官一を間近で見てきた、例えば元
東奥日報社
文化部長の工藤英寿
通史編4(近・現代1)
(米作奨励と栽培管理)
したが、明治十年代の平均反当収量は、平年作で約一石(二・五俵、一五〇キログラム)であった(『青森県総覧』
東奥日報社
通史編4(近・現代1)
(騒動の発端)
事件から四〇年後の昭和三年、昭和天皇即位の記念出版、
東奥日報社
『青森県総覧』の該記事はなお興奮覚めやらぬ
通史編4(近・現代1)
(遊説の影響)
彼の来青の影響を
東奥日報社
の『青森県総覧』は次のようにまとめている。
通史編4(近・現代1)
((四)津軽における社会主義勢力の伸長)
って雨森卓三郎(青年共産同盟委員長となり、懲役一〇年の刑となる)、内山勇、弟の斎藤勇、岡忠政、南良一(
東奥日報社
記者
通史編3(近世2)
(悪戸村における製陶)
悪戸焼の創始について『青森県総覧』(一九二八年
東奥日報社
刊)によると、「文化三年ころ、石岡林兵衛(いしおかりんべえ
通史編5(近・現代2)
(県内の社会運動の状況)
県内の社会運動の状況 昭和九年の『東奥年鑑』(
東奥日報社
)では、青森県の国家主義運動を次のように記事
通史編4(近・現代1)
(青森県における普通運動)
の即時断行を期す 一、普通選挙を阻止する者は国民の公敵として之を排斥す 記者団の代表は、のちに
東奥日報社
社長
通史編4(近・現代1)
(第五連隊との遭遇)
なお、この号外は
東奥日報社
に原紙がなく、コピー版を青森県立図書館が所有している)。
通史編4(近・現代1)
(米作振興と米騒動)
の提供や廉売を行うなど、米価高騰の対策を行い、人心の平静に努めた(『新聞記事に見る青森県日記百年史』
東奥日報社
通史編5(近・現代2)
(郷土部隊の出征)
凱旋歌は
東奥日報社
が講じたメディアイベントの一つで、同社が昭和九年三月に発刊した『満州事変第八師団戦功史
通史編5(近・現代2)
(翼賛選挙)
立候補者を推薦する青森県の地方協議会は
東奥日報社
社長山田金次郎を委員長とし、三市八郡から一四人の委員を
通史編4(近・現代1)
(「ねぷた喧嘩」と町道場)
『新聞記事に見る青森県日記百年史』(
東奥日報社
、一九七八年)は、明治三十四年(一九〇一)六月二十四日に
通史編5(近・現代2)
(佐藤正三と二・二六事件)
五月一日から
東奥日報社
で働く。ペンネームを宇田川曉、陸文雄として再出発の気持ちとした。
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
広島県立文書館寄託 口絵18 市立函館図書館 口絵19 八戸市博物館写真提供 口絵20 同上 口絵21
東奥日報社
写真提供,中尊寺蔵 写真77 津軽一統志首巻 弘前市立図書館蔵 写真78 同上 写真79 南津軽郡大鰐町 大円寺蔵
東奥日報社
写真提供
通史編1(自然・原始)
(第三節 注および引用・参考文献)
一九九五年 二〇版 (56)(55)に前掲 (57)成田伝蔵・山田耕一郎 『青森県のきのこと山菜』
東奥日報社
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