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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (山王宮)

また「神社微細社司由緒調書上帳」には、古くから大杵根神社とも東山あるいは東嶽大明神とも称したという。
通史編1(古代・中世) (田村麻呂と観音信仰)

写真53 田村麻呂の創建と伝えられている清水寺(京都市東山区)  この謡曲のもとになったものは、
資料編1(考古編) (2.N2(中期中新世中期-後期中新世前期、15~7Ma))

伊豆-小笠原弧との衝突により関東山地及び周辺地域は隆起を続け、北部フォッサマグナでは堆積盆が浅海化し日本海
通史編3(近世2) (熊野宮)

阿倍比羅夫が小山田・東山・小田泊の峰に社殿を建て、その後、奥尾崎、斧杭、扇野庄に移ったという。
通史編1(古代・中世) (大河兼任の乱)

正月八日、鎌倉では東海道大将軍に千葉介常胤、東山道大将軍に比企能員を任命し、結城朝光以下の奥州に所領をもつ
通史編3(近世2) (幕府・朝廷の攻防)

それは、徳川慶喜反逆につき、その追討のため、東海・東山・北陸三道を「官軍」が進発することを告げ、応援協力
資料編1(古代・中世編) ([七世紀以前])

●崇峻天皇二年、東山道使、蝦夷の国との境を視察。 ●舒明天皇九年(六三七)、蝦夷反乱。
通史編1(古代・中世) (蝦夷首長阿弖流為)

官軍がその前方を、突如現れた八〇〇人の蝦夷軍にはばまれて混乱に陥った最中に、今度はその後方を、東山から
資料編1(古代・中世編) ([八世紀])

●延暦五年(七八六)八月八日、東海・東山道に遣使。軍士・武器を点検。,●延暦七年(七八八)三月三日、東海・東山・坂東諸国の歩兵・騎兵を多賀城に集結。,●延暦十年(七九一)正月十八日、征夷のため、東海・東山道にて軍士・武器を検査。
通史編1(古代・中世) (阿津賀志山の合戦)

ここは古代に篤借(あつかし)駅が置かれた東山道の要衝で、その北西には標高百メートルあまりの、阿津賀志山
資料編1(古代・中世編) ([九世紀])

●元慶二年(八七八)六月二十一日、東海・東山道諸国より精鋭を募る。また出羽国に襖を送る。
通史編1(古代・中世) (四 中世津軽の宗教世界の特色)

「古ノ蝦夷国界」が、このように確定したことは、古代律令国家によって、従前の「東山道」の版図が桃生郡まで
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 日本書紀 6 ●崇峻天皇二年、東山道使、蝦夷の国との境を視察。,……………………………… 続日本紀 42 ●延暦五年(七八六)八月八日、東海・東山道に遣使。,……………………………… 続日本紀 44 ●延暦七年(七八八)三月三日、東海・東山・坂東諸国の歩兵・騎兵,……………………………… 続日本紀 49 ●延暦十年(七九一)正月十八日、征夷のため、東海・東山道にて,………………………… 日本三代実録 78 ●元慶二年(八七八)六月二十一日、東海・東山道諸国より精鋭を
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