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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(三 大浦から堀越への移転~西根から東根へ)
三 大浦から堀越への移転~西根から
東根
へ 津軽為信は、戦国期以来、津軽(大浦)氏の居城であった大浦( / 三 大浦から堀越への移転~西根から
東根
へ
通史編3(近世2)
(耕春院)
は晩年を為信に命じられて田舎館村に住み、信枚は二世連室に帰依していたため、惣五郎の葬式の導師を頼み、
東根
通史編2(近世1)
(堀越城への移転)
津軽平野南部を南北に縦断して流れる平川のすぐ西岸に位置し、平賀・石川・大鰐(おおわに)を中心とする「
東根
,津軽平野の西に偏り、津軽全域を支配する本拠地としては不十分であり、これに対して堀越の地は、津軽の西根と
東根
資料編1(古代・中世編)
(一 大浦城の立地と現状)
ちなみに「大浦」の名は、「
東根
」(津軽平野東部)の平賀郡を「上浦」というのに対して付けられたという。
資料編1(古代・中世編)
((3) 津軽氏の政庁としての堀越城)
これに対し堀越は、津軽の西根と
東根
の接点にあり、かつての南部高信の本拠石川城にも近く、津軽の政治的中心
通史編2(近世1)
(天明六年以降の飢饉)
新田地方では餓死者はなかったが、
東根
(ひがしね)(津軽平野南東郡山麓沿いの地域)の辺りでは死者が多く出
資料編1(古代・中世編)
(一 堀越城の立地と現状)
流れる平川(中世には平賀川・堀越川などと呼ばれた)のすぐ西岸に位置し、平賀・石川・大鰐を中心とする「
東根
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
として両帳に共通して記載されているのは、大道小道帳では西根小道とある弘前~百沢を結ぶ百沢街道、同じく
東根
小道
通史編3(近世2)
(二代信枚)
上寺(うわでら)には岩木山麓の西根から、耕春院(現宗徳寺)を中心にした下寺(したでら)には八甲田山麓の
東根
資料編1(古代・中世編)
(二 青森県の板碑分布)
第一は岩木川と平川の合流点、藤崎町藤崎と弘前市三世寺を北限とする平川・浅瀬石川の流域、黒石~大鰐を結ぶ
東根
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
肥前名護屋での「日本之つき合」 ………………………… 54 三 大浦から堀越への移転~西根から
東根
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