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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

東蝦夷地直轄下の勤番体制 寛政十年(一七九八)三月、幕府は目付渡辺久蔵以下、一八〇余人に及ぶ大規模な,調査隊を編成し、東蝦夷地・西蝦夷地、そして国後(くなしり)島・択捉(えとろふ)島まで調査を行った。,八月には松前藩の内願により、箱館地方およびウラカワまでがこれに加えられ、幕府は東蝦夷地全域を直轄地とした,幕府は津軽弘前藩と盛岡藩の二藩の兵を要地に駐屯させるという方針を立て、同年十一月、両藩に東蝦夷地警衛を,この間の、享和二年二月、幕府は蝦夷地奉行を設置し(同五月箱館奉行と改称)、七月には東蝦夷地を永久上知とした / 東蝦夷地直轄下の勤番体制
通史編2(近世1) (負担の増大による民衆の困窮)

寛政十一年、東蝦夷地が当面七ヵ年間の仮上知とされると、松前・蝦夷地への通行量が増加し、街道沿いの村々は,そこで、油川村から増川村(現東津軽郡三厩村)までの年貢を、東蝦夷地が上知されている期間中だけでも一割減免,しかし、幕府の蝦夷地政策はその後、東蝦夷地のみならず、松前・蝦夷地一円を直轄地としていくのであり、助郷負担,寛政十一年の東蝦夷地仮上知の際に当藩が用意した足軽五〇〇人の大半は町人・職人・郷夫であり、無苗字であることが
通史編2(近世1) (開国と箱館警備)

表65 蝦夷地警衛持ち場割り当て(安政2年) 警衛担当区域 元陣屋 出張陣屋 仙台藩 東蝦夷地シラヲイ,箱館 江差在乙部村から西蝦夷地ヲカムイ岬まで 箱館千代ヶ台 スッツ 盛岡藩 箱館 エサン岬から東蝦夷地,ホロヘツまで 箱館水元 東蝦夷地エトモ 松前藩 有川村から木古内まで 有川村 注) 『大日本古文書 
通史編2(近世1) (土着策と弘前城下)

前節で述べたように、寛政九年から弘前藩は箱館警備を命じられており、また同十一年十一月からは、同年一月の東蝦夷地,ここにみえる「公儀御用」とは東蝦夷地仮上知の動向とかかわるものであり、幕府から蝦夷地警備にかかわる長屋切組,この年の二月、幕府は蝦夷地奉行(のち箱館奉行)を新設し、東蝦夷地を永久上知としている。
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

このうち、最上徳内(もがみとくない)らの東蝦夷地探検隊はクナシリ・エトロフ・ウルップまで調査し、択捉島,こうして寛政十一年一月、幕府は東蝦夷地を七年間の「当分御用地」として松前藩からの「仮上知(かりあげち),、享和二年(一八〇二)二月には蝦夷地奉行(えぞちぶぎょう)(同年五月箱館奉行と改称)を置いて、七月、東蝦夷地
通史編2(近世1) ((二)蝦夷地出兵の諸段階)

ただし、蝦夷地直轄化は、すでにみてきたように、寛政十一年の東蝦夷地の仮上知、享和二年(一八〇二)の東蝦夷地
資料編3(近世編2) (【解説】)

その寛政十一年(一七九九)、幕府は東蝦夷地を七年間の御用地として直轄統治に踏み切り、以後、享和二年(一八,〇二)には東蝦夷地を永久上知、さらに文化四年(一八〇七)には松前藩を陸奥梁川九千石に転封し、松前・蝦夷地一円
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