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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起の経過)

松前家から蝦夷蜂起の報を受けた幕府は、松前家の分家である旗本松前泰広(まつまえやすひろ)を下向させた。
通史編2(近世1) (金木屋日記にみる対外危機)

又三郎の日記にはロシアが松前奥地カラフトに侵入し、地元民に漁業をさせているため、松前家の人数が宗谷(そうや,続いて日記では、松前家はこの派兵のため足軽を新規に三〇〇人ほど雇い、軍備に支障が出ないようにしているが
通史編2(近世1) (開国と箱館警備)

した伺書(『大日本古文書 幕末外国関係文書』七 補遺之部)では、本格的な警衛体制が確立するまで、当分は松前家,すなわち、幕府は津軽弘前・盛岡両藩に対し、箱館表警衛はこれまでどおり松前家が担当するが、非常時には箱館奉行,安政二年二月二十二日、松前地を除く蝦夷地全土の上知が松前家に命じられた(同前)。
通史編1(古代・中世) (浪岡城攻略)

ばれており、その所領は現在の浪岡周辺を中心に、岩木川下流域から外浜の北半分に及んでいたといい、しかも松前家
通史編2(近世1) (警備引き揚げとその背景)

文政四年(一八二一)十二月七日、幕府は、陸奥国梁川(やながわ)(現福島県伊達郡梁川町)に移封されていた松前家当主松前章広,(『日本歴史大系』3・近世 一九八八年 山川出版社刊、なお松前家復領に至る政治的な背景については、多く
通史編2(近世1) (「松前復領期」における蝦夷地派兵準備体制)

はこれまでのように心得ること、また警衛人数の蝦夷地への現地派遣はやめるものの、領内の蝦夷地への渡海口に人数を配備し、松前家
通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)

津軽家では、同時にその旨、松前家へも通知した(同前)。,津軽家側は蝦夷地クンヌイ(国縫、現北海道山越郡長万部町)まで出兵することを要望したが、松前家によって拒否
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

… 新羅之記録・松前家記・八戸湊文書 250 ●康正二年(一四五六)ころ? ,… 新羅之記録・福山秘府・松前家記 253 ●康正三年(一四五七)ころ? ,… 新羅之記録・福山秘府・松前家記 258 ●長禄三年(一四五九)十月九日、幕府、南禅寺仏殿建築用材を,… 新羅之記録・松前家記・八戸湊文書 289 ●天文十五年(一五四六)、浪岡御所北畠氏、「津軽郡中名字,…………… 新羅之記録・松前家記 328 ●天正四~十年(一五七六~八二)の間? 
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●正保元年(一六四四)九月、松前福山城主松前家の一門松前景広の嫡男宣広、松前を出航し津軽に漂着するという
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

松野武雄氏所蔵文書 ………………………………………………………………………………… 『岩手県史』3所収写真 松前家記
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