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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (城下の銭湯)

城下の銭湯 銭湯での男女混浴は風紀が乱れるということで、幕府の寛政改革では禁止されたが、松平定信(まつだいらさだのぶ
通史編1(古代・中世) (「嘉元鐘」)

写真111 円覚寺鐘(神奈川県鎌倉市) 写真112 『集古十種』円覚寺鐘銘  ただ松平定信
通史編2(近世1) (ロシアによるエトロフ襲撃事件)

レザノフは松平定信が先に根室(ねむろ)に来航したラクスマンに与えた信牌(しんぱい)を携えており、通商許可
資料編1(古代・中世編) (一 銅鐘)

一方、松平定信が編んだ『集古十種』にも掲載されており、江戸時代後期には日本の名鐘の一つとして全国に知られるようになった
通史編2(近世1) (警備引き揚げとその背景)

この時期、松平定信の改革路線を引き継いだ「寛政の遺老(かんせいのいろう)」と呼ばれた老中の松平信明(まつだいらのぶあきら
通史編3(近世2) (信明の学校構想)

すなわち松平定信は老中に就任して間もない、天明七年(一七八七)七月に「芸術見分」の令を出しているが、これは
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

ここに、財政再建を目指した蝦夷地開拓事業は頓挫し、政権は非開拓論者の松平定信(まつだいらさだのぶ)に移行
資料編3(近世編2) (【解説】)

なお、老中松平定信を中心とする幕閣は、このような蝦夷地をめぐる一連の動向の中で、弘前・盛岡両藩領の三~
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