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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (瓦の移入)

十三に陸揚げした瓦はひとまず囲っておき、必要に応じて岩木川をさかのぼり、板屋野木(いたやのき)(現北津軽郡板柳,十三から板屋野木へは、板屋野木より十三への米積み舟の帰路を利用していた。
通史編2(近世1) (岩木川舟運)

川湊としては浜ノ町(現弘前市浜の町東・同西・同北)、船場(ふなば)(現藤崎町船場)、板屋野木(いたやのき,小蔵の実態は不明であるが、寛文年間には、御蔵は弘前・三世寺・板屋野木・鰺ヶ沢・十三・青森(現青森市米町,一方、同年十一月六日付の板屋野木御蔵奉行宛ての布達によれば、三世寺・板屋野木へ駄賃は、米三斗入り一俵につき,ところが、寛文十年(一六七〇)三月十日付の十三沖横目宛ての布達によれば、三世寺と板屋野木からの十三への,さらに、寛文十三年(一六七三)二月三日付の十三御蔵奉行宛ての布達によれば、三世寺・板屋野木からの御蔵米
通史編4(近・現代1) (織物の商況)

当管内津軽地方ヘ僅少ノ輸出アリシカ、年増販路盛大トナリ、本年一月ヨリ六月マテ輸出シタルハ、管下北津軽郡板屋野木地方
通史編3(近世2) (子供を池に投げ殺害)

とさ)・青森・蟹田・今別(いまべつ)・碇ヶ関・大間越(おおまごし)・野内(のない)・飯詰(いいづめ)・板屋野木
通史編2(近世1) (窮民対策)

隠匿米摘発が企図された段階の八月二十五日、藤崎村・板屋野木村・五所川原村など八ヵ村の「銭持候者共」に、
通史編3(近世2) (桑の栽培と養蚕)

)村(現市内小友)や廻堰(まわりぜき)(現北津軽郡鶴田(つるた)町)など六ヵ村の農民たちに、後者では板屋野木
通史編2(近世1) (上層農民・在方商人の伸長と藩政の動向)

中心であり、藩の代官所(下の切遣、ついで飯詰組)が置かれ、さらに寛文三年(一六六三)には、藩から黒石・板屋野木
通史編2(近世1) (信義の襲封)

九)、同十八年(一六四一)に下柏木(現板柳町柏木)の派立(同前No.六四二)、正保元年(一六四四)に板屋野木
通史編2(近世1) (災害の続発とその影響)

;1月28日 火災 金井ヶ沢村・鴨村(赤石組) 68軒焼失  4月 7日 火災 板屋野木村
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

両名は、この後、同十三年に弘前・青森・鰺ヶ沢、同十五年に弘前・鰺ヶ沢・板屋野木・浪岡で相撲興行を行った
通史編2(近世1) (刑罰体系)

)・青森・蟹田・今別(いまべつ)・碇ヶ関・大間越(おおまごし)・野内(のない)と、飯詰(いいづめ)・板屋野木
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

革秀寺 同右 同右 慶長年中 (18) 梅林寺 同右 革秀寺 (19) 龍淵寺 同右 梅林寺 板屋野木村
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●正保元年(一六四四)三月、この月、板屋野木村の派立を命じ、縄張を実施する。
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