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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (草創期三代)

信義の代には対馬藩の家老柳川調興(しげおき)がいる。,図158.柳川調興の墓
通史編3(近世2) (能楽)

菊之間に藩主信政、黒石津軽家二代信敏、流罪で預人となっていた対馬藩元家老柳川調興(しげおき)、藩主の弟信章,この日も藩主が出座し、津軽信敏・柳川調興・津軽信章が同席した。  ,このように、信政は新装なった能舞台の披露に、柳川調興を含め、藩主家の人々から町人までの見物を許した。
通史編3(近世2) (西坂下御紙漉所)

七右衛門親子の仕事場は、西坂下(現市内馬屋町・藤田記念庭園)の岩木川から和徳堰が分流する辺りで、流人柳川調興
通史編2(近世1) (舟橋騒動)

十二年三月十二日には幕府から朝鮮への国書改竄(かいざん)事件により処罰された、対馬の宗家(そうけ)重臣柳川調興,このうち国書改竄事件は、藩主宗義成(そうよしなり)と重臣柳川調興の対立によるお家騒動であるが、一歩間違
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

うまのこく)(正午)まで料理の入った重箱を前にして見物したが、生母久祥院には艮櫓(うしとらのやぐら)、柳川調興
通史編2(近世1) (江戸時代初期の大名課役)

紫衣事件(しえじけん)の東源(とうげん)和尚(資料近世1No.四七四~四七七、五三一~五三二)、柳川一件の柳川調興
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●寛永十二年(一六三五)三月十二日、幕府、国書改竄により、対馬宗家重臣柳川調興らを処罰し、この日、調興
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