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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (茂森座から柾木座へ)

茂森座から柾木座へ 常設の芝居小屋は、旧藩時代からの茂森座と、明治十三年の火災の後復興した元寺町の柾木座,明治中期から弘前劇界の中心は茂森座から柾木座に移っていったが、それは十六年二月二十四日に茂森座で芝居興行中,写真128 柾木座  壮士芝居とは、二十一年に自由党の壮士が政治運動の一端として始めた政治的素人演劇,その後、志村松之助の率いる一座が柾木座に年に幾度となく来演して、明治の末まで市民に親しまれ、影響を与えた,二十九年ごろは志村の人気も正に絶頂で、十一月の柾木座興行の千秋楽には、「見物人は大人にて千六百人以上に / 茂森座から柾木座へ
通史編4(近・現代1) (柾木座焼失と弘前座)

柾木座焼失と弘前座 大正六年五月二十七日、弘前一の芝居小屋・柾木座が突如出火し、全焼した。,柾木座焼失後、元寺町の有力者たちにより町内繁栄策として劇場再興が計画され、酒造界の風雲児・福島藤助が社長,旧柾木座に比べて間口一間・奥行二間広く、総坪数二六〇坪で、天井まで二七尺、客席も東京風で斬新な趣向であった,弘前座は、活動写真も上映したが、柾木座の伝統を継ぎ、しかも東北有数の舞台構造を誇る劇場として多彩な興行 / 柾木座焼失と弘前座
通史編4(近・現代1) (歌舞伎・新派劇)

歌舞伎・新派劇 三十九年六月に柾木座の広告天井が落成した。,そのころ柾木座に上演された歌舞伎では、四十年一月に市川三寿之丞一座の『菅原伝授手習鑑』、『安達原三段目,新派劇では、峰吉殺しで世を騒がせた花井お梅が森一座に加入して巡業し、三十九年十一月から柾木座で開演、狂言,また、四十年ごろから竹内革新派と称する新派劇が柾木座に来た。
通史編4(近・現代1) (芝居小屋と寄席)

芝居小屋と寄席 明治以来、市民に親しまれた芝居小屋として元寺町の柾木座と茂森町の茂森座があり、ともに,明治三十三年五月の柾木座での上映が皮切りで、その後、単発的に巡回興行されていた。
通史編4(近・現代1) (動く写真)

弘前での最初は三十三年五月、柾木座に来た米西戦争(一八九八年)の活動写真であった。,三十九年十月には、戦後の廃兵慰問活動写真という名目のものが柾木座で催された。
通史編4(近・現代1) (護憲を巡る動き)

弘前には、大正二年二月二十六日、憲政擁護会の竹越與三郎、望月圭介、菊池武徳が特派され、柾木座で演説会を,写真139 柾木座内部  また、政友会中郡分所は一月三十日総会を開き、石郷岡文吉、佐藤要一、石岡粕太郎
通史編5(近・現代2) (紅緑の少年時代)

また、当時弘前柾木座で演劇会を観るなど芝居にも興味を示していた。
通史編4(近・現代1) (後藤象二郎の青森県遊説)

写真63 料亭酔月楼 (本町 明治40年)  四日は柾木座(のちの東宝映画館)で政談演説会を開
通史編5(近・現代2) ((二)福士幸次郎の影響)

父は弘前市元寺町の「柾木座」の座付き俳優であったが、二十三年巡業失敗で全くの失業状態となり、現在の青森市
通史編4(近・現代1) ([付図])

36 りんご害虫防除にボルドー液散布奨励〈明治44年〉 37 憲政擁護運動~菊池武徳の柾木座
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