機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 6件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
資料編1(古代・中世編)
(一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)
記録に伝えられた「十二人屋形城衆」の名は、①
桜庭太郎左衛門
、②中畑惣助、③村市与七郎、④大秋彦次郎、⑤,また『津軽一統志』巻七も、「古城垣上」として「
桜庭太郎左衛門
初名兵助信正、(中略)国吉関惣右衛門、弟黒土近江
通史編1(古代・中世)
(東目屋地域に見られる城館跡)
記録に伝えられる「十二人屋形城衆」の名は、
桜庭太郎左衛門
(さくらばたろうざえもん)・中畑惣助(なかはたそうすけ
通史編2(近世1)
(中期農政と農村構造の変化)
宝永六年(一七〇九)年に差し出された藩士
桜庭太郎左衛門
の建白書(本章第一節四参照)によれば、百姓が藩から
通史編2(近世1)
(信政晩年の藩政)
このような時期、藩士
桜庭太郎左衛門
は宝永二年から同七年にかけて三通の「建白書」を藩に差し出している(国史津,このような中、宝永六年(一七〇九)正月、
桜庭太郎左衛門
は二通目の建白書を差し出した。,このような中、
桜庭太郎左衛門
は宝永七年(一七一〇)二月十八日付の三通目の建白書を提出する。
通史編2(近世1)
(藩政の転換と家臣団統制の動き)
図110.武田源左衛門定清の墓碑 この政治過程をみると、宝永期に
桜庭太郎左衛門
が三通の建白書で
通史編2(近世1)
(農政の転換)
えることもできず、かえって「秋之実成不可然」となってしまう状況に陥っていた(宝永六年「御家中之面々困窮之義ニ付
桜庭太郎左衛門
内情建白書
/ 1ページ