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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(古代・中世編) (一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)

記録に伝えられた「十二人屋形城衆」の名は、①桜庭太郎左衛門、②中畑惣助、③村市与七郎、④大秋彦次郎、⑤,また『津軽一統志』巻七も、「古城垣上」として「桜庭太郎左衛門初名兵助信正、(中略)国吉関惣右衛門、弟黒土近江
通史編2(近世1) (中期農政と農村構造の変化)

宝永六年(一七〇九)年に差し出された藩士桜庭太郎左衛門の建白書(本章第一節四参照)によれば、百姓が藩から
通史編1(古代・中世) (東目屋地域に見られる城館跡)

記録に伝えられる「十二人屋形城衆」の名は、桜庭太郎左衛門(さくらばたろうざえもん)・中畑惣助(なかはたそうすけ
通史編2(近世1) (信政晩年の藩政)

このような時期、藩士桜庭太郎左衛門は宝永二年から同七年にかけて三通の「建白書」を藩に差し出している(国史津,このような中、宝永六年(一七〇九)正月、桜庭太郎左衛門は二通目の建白書を差し出した。,このような中、桜庭太郎左衛門は宝永七年(一七一〇)二月十八日付の三通目の建白書を提出する。
通史編2(近世1) (藩政の転換と家臣団統制の動き)

図110.武田源左衛門定清の墓碑  この政治過程をみると、宝永期に桜庭太郎左衛門が三通の建白書で
通史編2(近世1) (農政の転換)

えることもできず、かえって「秋之実成不可然」となってしまう状況に陥っていた(宝永六年「御家中之面々困窮之義ニ付桜庭太郎左衛門内情建白書
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