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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (家臣団の成立)

次いで、重要な資料は「梅津政景日記」である。,これは、隣藩の秋田藩の勘定奉行で、のち家老に昇進する梅津政景(うめづまさかげ)の日記で、元和三年(一六一七,図表13 「梅津政景日記」にみえる弘前藩家臣  しかし、『津軽史 第八巻』(一九七八年 青森県文化財保護協会刊
通史編2(近世1) (二代信枚の動向)

この境目交渉の動きについては、残念ながら津軽側には資料がほとんどなく、秋田藩の境目交渉検使であった梅津政景,の記録が中心となる(以下の記述は、福井敏隆「元和・寛永期の津軽藩の家臣団について―『大日本古記録 梅津政景日記,なお、資料近世1No.三五五~三五八に『大日本古記録 梅津政景日記』の関係部分が載っている)。
通史編2(近世1) (津軽信枚の越後転封)

そこで、前項と同じく『大日本古記録 梅津政景日記』(一九八四年 岩波書店刊以下、略して『日記』とする),経過をみてみよう(なお、以下の記述は、福井敏隆「元和・寛永期津軽藩の家臣団について―『大日本古記録 梅津政景日記,梅津政景は義宣の命を受け、六月二十日に直時の元に参上し、わざわざその任務を聴いている。,を知る 福島正則の津軽転封中止 2 福島正則へ津軽転封中止の老中奉書を下す 8. 6 梅津政景
資料編2(近世編1) (第一章 編年史料出典・典拠一覧)

……東京大学史料編纂所影写本    う 上杉家文書………………………東京大学史料編纂所影写本 梅津政景日記
通史編2(近世1) (本村と新田)

しており(資料近世1No.四一三・四一四)、帰国したのは寛永元年(一六二四)五月二十五日であったことが、『梅津政景日記
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●元和五年(一六一九)八月六日、津軽信枚、秋田藩重臣梅津政景へ使者秋田金左衛門を遣わし、帷子を贈る。,秋田藩重臣梅津政景、信枚の宿所へ使者を派遣する。,●寛永八年(一六三一)十一月八日、秋田藩重臣梅津政景へ服部康成等から書状あり。
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