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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(江戸時代初期の建築)
江戸時代初期の建築 慶長八年(一六〇二)の
棟札
(むなふだ)(長勝寺蔵)をもつ岩木山神社拝殿(はいでん,ほんでんほか)四棟修理工事報告書』(一九七八年)によると、社蔵(しゃぞう)の寛永十七年(一六四〇)の
棟札
,菩提寺や為信の菩提寺であったりと、津軽家との関係も深いものがあるが、これらの寺院には、いずれも当初の
棟札
,これは慶長十七年(一六一二)に完成したと伝えられるが、
棟札
や墨書(ぼくしょ)は発見されていない。,熊野奥照(おくてる)神社の本殿が、慶長十八年(一六一三)に再建されたものであることは、残されている
棟札
資料編3(近世編2)
(●厳鬼山神社 本殿 十腰内字猿沢--県重宝)
●厳鬼山神社 本殿 十腰内字猿沢--県重宝
棟札
に「……十一面観世音精舎一宇……」と記されているように,建立されたのは、
棟札
によると、元禄四年(一六九一)のことであった。
通史編1(古代・中世)
(下総葛西氏と津軽葛西氏)
の葛西氏についての確実な最古の史料は、永正二・三年(一五〇五・一五〇六)の年紀をもつ深浦町の円覚寺の
棟札
,写真101 円覚寺
棟札
木庭袋とは下総の葛西御厨のなかの地名である。
資料編3(近世編2)
(●熊野奥照神社 本殿 田町四丁目--重要文化財)
田町四丁目--重要文化財 慶長十八年(一六一三)に、津軽二代信枚らによって復興建立されたものであることが
棟札
資料編3(近世編2)
(●熊野宮 本殿 樋の口町--県重宝)
慶長二十年(一六一五)という
棟札
も備えている。
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
巖鬼山(がんきさん)神社の本殿は、保存されている元禄四年(一六九一)の
棟札
に「――十一面観世音精舎一宇,その建立は宝永元年(一七〇四)であることが保存されている
棟札
によって知られ、報恩寺本堂と同時に造られたものであった,先の観音堂と同じく
棟札
を保存しており、宝永元年(一七〇四)の建立。 ,本殿は、
棟札
などは発見されておらず、信政の没年などから推して正徳元年(一七一一)から二年にかけて造営されたようである,拝殿および幣殿は一体となっている建造物であるが、ここに保存された拝殿の
棟札
には、幣殿のことはいっさいなく
通史編3(近世2)
(二の丸屋敷稲荷宮)
棟札
は、文政元年(一八一八)と嘉永五年(一八五二)の二枚があった。
通史編3(近世2)
(藩政前期為信)
慶長七年(一六〇二)の為信の
棟札
(同前No.一五一)が現存する弘前神明宮は、初め堀越城内に創建、のち、,図188.神明宮
棟札
天正十四年(一五八六)に為信は深沙宮(じんじゃぐう)(現猿賀神社、南津軽郡尾上町
通史編2(近世1)
(初代為信の動向)
おりいのみや)(現岩木町百沢の岩木山神社)の再建に着手し、完成した慶長六年(一六〇一)九月に為信が奉納した
棟札
,また、神明宮(現弘前市東城北二丁目)には、完成を期して慶長七年九月に為信が奉納した大神宮宝殿の
棟札
が現存,百沢寺大堂(現岩木町百沢の岩木山神社)の完成を期して慶長八年(一六〇三)八月に為信が奉納した
棟札
も現存,図58.百沢寺大堂
棟札
この後、為信は慶長八年十月九日に上洛をしているが、慶長七年九月から同八年八月,前述した
棟札
の存在を考えると、国元にいた可能性が高い。
資料編3(近世編2)
(●高照神社 岩木町大字百沢字神馬野)
(四)拝殿および幣殿--県重宝 現在はつながって一体となっている建築であるが、その残されている
棟札
通史編3(近世2)
(江戸時代前期の建築)
また当初の
棟札
によると、この時の技術者は、奉行 伊州(いしゅう)住――、同 勢州(せしゅう)住――、大工奉行,この時の
棟札
には「――精舎一宇(しょうしゃいちう)岩木山大堂――寛永十七庚辰(かのえたつ)年」と記されており
通史編3(近世2)
(下居宮)
神仏分離で百沢寺は廃寺となり、本尊と厨子、
棟札
は長勝寺、山頂の聖観音は専称院(現南津軽郡大鰐町)へ移された
通史編3(近世2)
(弘前八幡宮小野家)
寺社奉行のもとにあって、領内神職の約九〇パーセントを配下に置き、社家頭を通して神職の上申・下達・継目上京・
棟札
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
同十五年(一六三八)九月二十七日には浪岡八幡宮の再建をしており(同前No.六〇三)、
棟札
(むなふだ)には,図74.浪岡八幡宮鳥居
棟札
幕府との関係では、寛永十八年(一六四一)に津軽家にとっての重大事である
通史編3(近世2)
(江戸時代後期の建築)
文政九年(一八二六)の建立を示す
棟札
ものこっており、津軽家の祈願所であった神社が、これほどの地方色をあらわにする
資料編2(近世編1)
([口絵])
弘前市・巌鬼山神社蔵、県重宝、本文史料一九四号) 慶長十八年 津軽信枚奉納 熊野奥照神社
棟札
通史編2(近世1)
(「津軽一統志」の編纂まで)
、藩では領内の古懸(こがけ)不動尊・浪岡八幡宮・百沢宮(ひゃくたくのみや)をはじめとする寺社の縁起や
棟札
資料編3(近世編2)
(●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)
現在、長勝寺に保管されている慶長八年の
棟札
には、大工職や鍛冶職に越前や丹波の工人が名前を連ねているが、
通史編2(近世1)
(本村と新田)
至徳二年(一三八五)の鰐口や永正三年(一五〇六)四月十七日に葛西木庭袋伊予守市頼清が建立した薬師堂と
棟札
資料編3(近世編2)
(3 現存する天守・城門等の考察)
現存のものの
棟札
には「御櫓新規御造営………」とある。
通史編3(近世2)
(藩政後期)
和徳稲荷神社蔵)をみると、吉田家より認可された官職宮かどうか、境内地が除地か年貢地かの区別、保存する
棟札
通史編3(近世2)
(小社の神仏分離)
⑤今までの
棟札
は仏体とともに取り除き、神職宅で保管すること。
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長六年(一六〇一)九月、津軽為信、百沢寺下居宮を再建し、
棟札
を奉納する。,●慶長七年(一六〇二)九月、津軽為信、神明宮へ建立の
棟札
を奉納する。,●慶長八年(一六〇三)八月、津軽為信、百沢寺大堂へ
棟札
を奉納する。,●慶長十九年(一六一四)六月、津軽信枚、浪岡八幡宮へ
棟札
を奉納する。,●元和九年(一六二三)八月、津軽信枚、高岡神明宮に
棟札
を奉納する。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
そのほか文献史料のみならず、
棟札
などの金石文や絵図なども可能な限り掲げた。
通史編1(古代・中世)
(「津軽(郡)中名字」と浪岡北畠氏)
一六六六)の年記をもつ熊野山十二所権現宮(くまのさんじゅうにしょごんげんぐう)(現青森市油川所在)の
棟札
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
棟札
に大旦那源行定・小旦那阿部助季・勧進祢宜阿部盛季の名がある。
資料編1(古代・中世編)
(出典・典拠一覧(第一章・第二章))
……………………………………………………………………………………… 新訂増補国史大系 油川熊野権現宮
棟札
,………………………………………………………………… 東京大学史料編纂所影写本 お 追良瀬見入山観音堂
棟札
,…………………………………………………………………… 北畠顕文氏所蔵写本〔青森県板柳町〕 種里八幡宮
棟札
,深浦円覚寺懸仏裏板墨書 …………………………………………………………………… 現物〔青森県深浦町-円覚寺〕 深浦円覚寺
棟札
,和田本) ……………………………………………………………………………………… 越崎宗一氏刊本 藤井秀任
棟札
集成
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
棟札
に大旦那源行定・小旦那阿部助季・勧進祢宜阿部盛季の名がある。,…………………… 深浦円覚寺
棟札
280 ●永正三年(一五〇六)四月十七日、葛西頼清、深浦円覚寺薬師堂,…………………… 種里八幡宮
棟札
283 ●大永四年(一五二四)ころ? ,……………… 油川熊野権現宮
棟札
299 ●永禄三年(一五六〇)九月二十五日、岩木山神社御宝殿造営、
棟札
,…… 館越日記・藤井秀任
棟札
集成 300 ●永禄三年(一五六〇)、蠣崎慶広、波岡御所北畠顕慶(具運)に
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●永禄三年(一五六〇)九月二十五日、岩木山神社御宝殿造営、
棟札
に大旦那南部信濃守為則、祢宜阿部与四郎仲信
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